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tetsudaブログ「どっぷり!奈良漬」

万博も開幕し、これからが観光シーズン、ぜひ奈良に足をお運びください!

聖林寺「観音堂」改修資金クラウドファンディング、12月24日23時まで!

2020年12月21日 | お知らせ
桜井市の聖林寺が国宝・十一面観音立像を安置する「観音堂」の改修を予定していることは以前、当ブログでも紹介させていただいた。

改修に要する資金は約1億5千万円で、そのうち1割の1,500万円を第一目標額としてクラウドファンディングで募っていたところ、本年(2020年)12月13日(日)に、めでたく目標達成となった。

そこで次の目標額(第二目標額)を2,000万円とし、12月24日23時まで、募集を継続している。現在(12/21)のところ、15,980,000円が集まっているが、何とかあと約400万円ほどを募りたいところである。

ご支援は、こちらから行っていただける。またインターネットでのご支援が難しい方は、こちらの方法がある。皆さん、ぜひ温かいご支援をお願いいたします!
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奈良市・猿沢池畔「おか田」(日本料理)の絶品!コース料理

2020年12月20日 | グルメガイド
先月(2020.11.16)、年上の友人Kさんと「おか田」(奈良市今御門町26-2 Noriビル1階)を訪ねた(要電話予約)。猿沢池から少し南に下がり、旧魚佐旅館(現「KOTOWA 奈良公園 Premium View」)の斜め後ろのところにある。いただいたのは「夜のコース」税別12,000円だった。GoTo EATの食事券が使えたので、実質的には25%OFFとなる。
※トップ写真は夜のコースの前菜(八寸)。前菜からこんなに豪華とは!


この写真のみ、同店の公式Facebookから拝借

ご主人の岡田直己さんは奈良市のご出身。エコール辻 大阪(辻調理師専門学校)を卒業し、大阪の名店で16年間修業されたそうだ。なお岡田さんは奈良きたまち「而今(にこん)」の清水唱二郎さんと幼ななじみだそうだ。この日いただいた料理の数々を、以下に紹介する。同店の公式サイトには、


前菜料理のフタを取ったところ。一番手前がご店主手作りのからすみ


からすみは、こんな風に手作りされている

おか田のこだわり
市場で厳選した季節の食材を吟味するのは勿論、地元奈良の新鮮なお野菜も使用致しております。お出汁には味の濃い道南の真昆布と血合いを取り除いた香り豊かな本枯節をふんだんに使用し、旨味、風味共に味わって頂けます。



前菜をアップで撮ってみた







お料理を彩る器にもこだわり、目でも季節を感じ、楽しんで頂けるよう趣向を凝らしてお迎えいたします。皆様にご提供する‘至福の時間’ 是非、おか田で楽しんで頂けたら幸いです。


椀物には、こんなにたくさんのウニが!


刺身の一品め

お昼のコース 5.000円(税抜)/​夜のコース 12.000円(税抜) 
​季節に合わせたお料理を月替わりでご提供いたします。



希少種・スマガツオのたたき。「大トロ以上にうまい」という評判通りだった!


アナゴとキュウリを海苔に巻いていただく。うーん、これはしみじみと美味しい

奈良のグルメ情報を網羅した「奈良グルメ図鑑」には、このように紹介されていた。

猿沢池から南へすぐ、心斎橋のミシュラン2つ星店「枡田」で16年間修行された店主が独立。今回いただいたのはランチのおきまり(5000円)。正統な懐石料理の中に少し洋を取り入れた舌だけでなく目にも楽しい料理がいただける。






炊き込みご飯は、土鍋炊き

オーダーメイドで1年かけて作られた輪島塗の椀や鴛鴦(オシドリ)の器、香水の瓶の醤油差しなど趣向を凝らした器も素晴らしい。誠実な店主の気配りのきいた接客も心地よく、入店から退店まで気持ちのいい時間が過ごせる。


「残ればおにぎりにしますよ」とのことだったが、私は何度もお代わりしてすべて平らげた

前菜からデザートまで、珍しくて美味しい料理のオンパレードだった。スゴいお店が奈良に登場したものだ。近年、奈良市内では日本料理を中心に、新店ラッシュが続いている。こんないいお店ができたのなら、これまで大阪や京都に流れていた口の肥えたお客さんが奈良市内に戻る良いきっかけになることだろう。





ご店主、素晴らしいお料理をありがとうございました!Kさん、また一献傾けましょう!
※食べログは、こちら
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死という最後の未来(石原慎太郎・曽野綾子)/奈良新聞「明風清音」第50回

2020年12月19日 | 明風清音(奈良新聞)
奈良新聞「明風清音」欄に、月1~2回、寄稿している。この木曜日(2020.12.17)に掲載されたのは「死という最後の未来」。同名の対談本のことを紹介した。対談したのは石原慎太郎と曽野綾子で、見事に話がすれ違っている。しかし、その対照が鮮やかなので、興味深く読んだ。ではその中身を以下に紹介する。

石原慎太郎と曽野綾子の対談本『死という最後の未来』(幻冬舎刊)を読んだ。帯には《キリストの信仰を生きる曽野綾子。法華経を哲学とする石原慎太郎。対極の死生観を持つふたりが「死」について赤裸々に語る》。歳はひとつ違い(曽野が上)、家も近所だそうだが、作風も宗教も死生観も全く違う2人の対談はどうなるのだろうとハラハラしながら読んだ。結局、話はすれ違いだらけなのだが、そのギャップが興味深かった。印象に残ったところを以下に紹介する。

まず裕次郎のこと。裕次郎は解離性大動脈瘤(りゅう)に冒された。《(石原)9時間もの手術をしました。生還して奇跡といわれたけれど、次の検査で肝臓がんが発見されてね、それからが大変でした。(中略)管に繋(つな)がれて、苦しみ抜いた。「泥に埋まって、沈んでいくようだ」と言っていて、むしろ残酷だと思いましたね。早く死んで楽になれよ、と言いたかった》。

《(曽野)そう思うのが愛情ですよ。私は、人にはたぶん死ぬべき時があると思っているんです。(中略)病人が水を飲みたいと言えば飲ませてあげる、食べたいものがあれば用意してあげる、その人が望む状態を叶(かな)えてあげる、そういう自然の範囲でいいと思うんです》。



石原は30歳代半ばでベトナム戦争の最前線に取材に行き肝炎に感染し、帰国してから発症した。《(石原)肝炎は戦争につきものらしいですね。神経が消耗して、疲れ果てて発症する。しかし僕の場合はあまりの書き物の多さで、心身が疲弊していたこともあったでしょうね》。このとき、週刊誌の連載小説を何本も抱えていた自身を反省する。

すると三島由紀夫から手紙が届く。《(石原)「気落ちしているだろうが、これを人生に起こった大切な出来事、機会として捉えたらどうか。達観し、自分のこと、世の中のあらゆることをじっくり眺めたらいい」というようなことが書かれていました。この手紙が僕の人生を変えたんです。(中略)熱く湧き上がってくるものがありましてね、政治に参加しようと決意しました》。

曽野は夫・三浦朱門をキリスト教式の家族葬で見送った。神父は死の日をディエス・ナターリス(生まれた日)と呼んだ。《(曽野)「人間の死は決して、命の消滅ではなくて、永遠に向かっての新しい誕生日」という意味ですね。これはカトリック教徒の全員の中にあるものなんです。(中略)ミサの終わりに、神父がハーモニカで「ハッピー・バースデイ」を吹いてくださって、皆で合唱しました》。

最終章には《(曽野)いろいろとお話をしてきましたが、死というものには結論など出ない。(中略)死はすべての人に平等に訪れるものであって、これだけ、あれこれと命題が与えられている、ということが素晴らしいんだと思います》。《(石原)僕と曽野さんの考え方だけでも、正反対ですからね。最後までがむしゃらにやりたい僕と、静かに死を受け入れていく曽野さんと。老年期は、それぞれ自分の老境と向き合って存分に味わっていく。そうやって人は成熟していくのでしょう。(中略)まさに死は人生の頂点です。そして最後の未知、希望である》。

私はもう少し石原の死生観を知りたくて、本書の姉妹編ともいえる彼の『老いてこそ生き甲斐』(幻冬舎刊)を読んだ。《老いるということは経験の蓄積です。それはなまじ貯金なんぞよれも貴いともいえる。貯金は他人に簡単に分ける気にはなれないが、人生での経験は無差別無尽に他の人々に分かち役立てることが出来ます。そしてその献身は喜ばれるし、自分自身にとって生き甲斐になります》。本書ともども、ご一読をお薦めしたい。(てつだ・のりお=奈良まほろばソムリエの会専務理事)

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みなみ食堂(奈良市)と 昼まぜそば まるはち(大和高田市)by ええ古都なら

2020年12月17日 | グルメガイド
南都銀行の観光サイト「ええ古都なら」グルメコーナーに、「超おすすめ!絶品ラーメン」欄がある。ラーメン王子TAR-KUNこと林岳史さんが、取材・執筆されている(10月から3月までの間に毎月2店を紹介)。この10月(2020.10.23)に掲載されたのは、以下の2店である。
※トップ写真は「みなみ食堂」の豚醤油らぁめん。写真は2枚とも「ええ古都なら」から拝借

みなみ食堂(奈良市)
多彩な修業経験からたどり着いたのは、地元醤油を生かした“あっさり豚骨”

昼まぜそば まるはち(大和高田市)
居酒屋との二毛作だからこそ生まれた一杯、和出汁ベースの“台湾まぜそば”



こちらは「まるはち」の台湾まぜそば

詳しい情報は、こちら(みなみ食堂)とこちら(昼まぜそば まるはち)に出ている。ぜひ、足をお運びください!
※TAR-KUNのブログ「麺バカTAR-KUN~全国制覇の野望~ 麺伝説」は、こちら
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推古天皇の額の傷を治した額安寺(かくあんじ)/毎日新聞「やまと百寺参り」第81回

2020年12月16日 | やまと百寺参り(毎日新聞)
NPO法人「奈良まほろばソムリエの会」は『奈良百寺巡礼』(京阪奈新書)の刊行を記念して、毎日新聞奈良版に「やまと百寺参り」を連載している。先週(2020.12.10)掲載されたのは「聖徳太子、推古天皇に縁/額安寺(大和郡山市)」、執筆されたのは同会会員で奈良市在住の酒井良子さんだった。
※トップ写真は奈良、鎌倉、室町、江戸期の瓦が入り混じる額安寺の本堂

額安寺は県道108号(真っ直ぐ南北に走り、大和まほろばスマートICで西名阪道とクロスする道)から少し入ったところなので、車だと分かりやすい場所だが、近鉄平端駅からの道は入り組んでいて、やや分かりづらい。お寺の近くには額田部窯跡(ぬかたべかまあと)や鎌倉墓(五輪塔)もあるので、ぜひお参りいただきたいお寺である。では記事全文を紹介する。

聖徳太子は、熊凝(くまごり)の地に釈迦の祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)に倣って学問所を建て熊凝精舎と名付けました。熊凝山の山号はそれに由来します。太子の叔母、推古天皇の額の傷の平癒に効があり、額安寺(かくあんじ)の寺号を賜ったと伝えられます。

奈良時代は広大な偉容を誇りましたが、檀家(だんか)を持たない学問所の額安寺は衰退していきました。額安寺で得度した忍性(にんしょう)らによって鎌倉時代に再建されます。忍性の遺言で額安寺に分骨された骨臓器は、五輪塔とあわせて国の重文に指定されています。

古(いにしえ)から同寺は衰退、修理と復興を繰り返す歴史を重ねてきました。戦国時代には豊臣秀吉の命により、塔も四天王寺に移されて本堂だけになった時代もありました。明治時代には廃寺同然となりますが、1975(昭和50)年、名刹(めいさつ)の消失することを恐れて近くで誕生された喜多亮快(りょうかい)師が復興事業を進め、亮快(りょうかい)師没後は妻の寿桂(すが)住職がその志を継ぎ現在の額安寺の姿となりました。
  
室町期の十一面観音菩薩(ぼさつ)は本堂に置かれています。奈良時代から現代に至るまでの屋根瓦を生かして修復された本堂に、額安寺の歴史の重さを感じます。(奈良まほろばソムリエの会会員 酒井良子)

(宗 派)単立(真言系)
(住 所)大和郡山市額田部寺町36
(電 話)0743・59・1128
(交 通)近鉄平端駅から徒歩20分
(拝 観)10~16時、100円 
(駐車料)有(無料)


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