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tetsudaブログ「どっぷり!奈良漬」

万博も開幕し、これからが観光シーズン、ぜひ奈良に足をお運びください!

募集しています!5月3日の天平行列 女官&男性貴族(2013Topic)

2013年02月18日 | お知らせ
今年も「平城京天平祭・春2013」が開催される。大和路アーカイブには《開催日時 : 2013年5月3日~2013年5月5日 開催場所 : 平城宮跡 問合せ先 : 平城宮跡にぎわいづくり実行委員会》と出ている。5月3日(金・祝)には、恒例の「天平行列」も実施される。

先週の木曜日(2/14)、実行委員会事務局の平田隆子さんから私の勤務先に、行列に参加するメンバー募集の依頼があった。いただいたメールによると

本年も平城宮跡において5月3日(金曜日)~5月5日(日曜日)「平城京天平祭」を開催することとなりました。その催しの中心軸となる「天平行列」を、奈良文化財研究所の先生方に歴史的監修を受けながら構成いたします。今後、京都「時代祭」を超える荘厳な行列にしていきたいと思っています。奈良発祥の企業の皆さんに、遷都 1303 年を迎える平城宮跡での「天平行列」に参加・出演いただき、「日本の始まり 奈良」を感じていただけると幸いです。

●天平行列開催日:25 年 5 月 3 日(金曜日・祝日)午前11時~
参加募集
女性女官 10名(45歳くらいまで)
男性貴族 10名
※参加人数は多くなっても可。参加費用は無料


つきましては、趣旨ご賢察いただき何とぞご協力くださいますようにお願い申し上げます。

●本件に関するお問い合わせ先
平城京天平祭 実行委員会事務局 〒630-8108 奈良市法連佐保山1-6-1
電話 0742-25-0707 FAX 0742-25-0710 ホームページ:http://www.tenpyosai.jp
天平行列募集担当 平田 隆子 電話(090-2707-2627 )


団体参加の呼びかけなので「奈良発祥の企業の皆さんに」とあるが、もちろん個人参加もできる。女官は「45歳くらいまで」とあるが、さほど厳密なものではなく、外見がその程度に見えれば良いようだ。奈良時代の平均寿命は20代という説があるから、若い女性の方がリアルな行列が再現できる、ということなのだろう。より詳しい情報が、平田さんに添付していただいた「参加概要」に出ている。

●開催日時・場所
平成25年5月3日(金・祝)開催場所:平城宮跡内
行列開始時間 午前 11 時~
集合場所 奈良文化財研究所講堂(集合 午前 8 時)
※雨天の場合中止

●行列の構成内容(案)
天理大学伎楽隊を先頭に、平城京歴代天皇(8 人):元明天皇(女性)、元正天皇(女性)、聖武天皇(男性)、光明皇后(女性)、称徳天皇(女性)、淳仁天皇(男性)、孝謙天皇(女性)、光仁天皇(男性)。男性貴族、女官、文武百官、兵衛他 総数約380名(スタッフ含む)

●参加者の役割
女性参加者は、主に女官として、天皇に続いて列を編成します。男性参加者は、文武百官(100 人)、歴代天皇付男性貴族や兵衛府の武官、白丁などを担当していただきます。


●行列説明会とリハーサル
4 月 21 日(日)13 時~17 時、平城宮跡で予定しています。万障繰り合わせて参加いただきますよう、お願い申し上げます。


行列参加の申込先・問い合わせ先は、平城京天平祭実行委員会事務局(電話 0742-25-0707 メールアドレス info@tenpyosai.jp)である。なお連絡先(電話・携帯電話番号、メールアドレス)のほか、身長、服のサイズ、靴のサイズ、髪の長さ(女性のみ)の連絡が必要とのこと。

380人の行列とは、すごい。今回募集している女官は天皇のあとに続いて歩くのだから、これは目立つ。力が入るのも、もっともだ。たくさんの方にご参加いただき、奈良の春を大いに盛り上げていただきたい。

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キャメロン・スミスさんに、吉野杉の割り箸を発送しました!

2013年02月17日 | 林業・割り箸
今朝(2/17付)の奈良新聞社会面に「姉妹都市 友好深まれ リズモー市職員・スミスさん 大和高田市派遣 故郷PRに意欲」という大きな見出しが踊った。リード文は

大和高田市と国際友好姉妹都市を結ぶオーストラリア・リズモー市から市職員のキャメロン・スミスさん(44)が大和高田市役所に1ヵ月間、派遣され、広報情報課に勤務している。3月1日までの予定で、周囲が「日本人より日本人らしい」と評する親日家のスミスさんは、両市の友好に寄与しようと意欲的に仕事に取り組んでいる。

大和高田市は1963年、オーストラリアのリズモー市と姉妹都市提携を結んだ。これは日豪間の姉妹都市の第1号だった。経緯は大和高田市のHPに出ていて、今も学生の相互派遣(交換留学生)を行っている。奈良新聞の記事からの引用を続ける。
※トップ写真は吉野杉の天削(てんそげ)割り箸(Webかっぱ橋 より)

今年が両市の友好都市締結50周年に当たるため、リズモー市から職員派遣の申し出があり、大和高田市が受け入れた。スミスさんは市役所の食品衛生管理の仕事をしており、「日本の食の安全を学ぶとともに、両市の友好関係を深めよう」と派遣職員に志願したという。

リズモー市のPR活動などに従事しているが、周囲の市職員らはスミスさんについて「まじめで何でも興味を持ち、意欲的」と評価する。


ここまでは良い、問題はこの次である。

自分の箸を持ち、懇親会でも日本酒をたしなむ。約20年前から空手を習い、2段の腕前で、滞在中は橿原市内の道場へ稽古に出向く。近鉄高田市駅前のアパートに1人往まいしているが、「食べることが好き。日本はコンビニ弁当、外食なんでもおいしい。困らない」。特にたこ焼きがお気に入りとか。

日本酒も空手もたこ焼きも、大いに結構だが「自分の箸を持ち」はいけない。これを受けて記事の小見出しにも「マイ箸使う親日家」と出てしまっている。

 割り箸はもったいない?―食卓からみた森林問題 (ちくま新書)
 田中淳夫
 筑摩書房

キャメロン・スミスさん、決してマイ箸など持たず、吉野杉やヒノキ(Japanese cedar or Japanese cypress grown in Yoshino district)の割り箸をどんどん使い捨てて下さい。吉野杉・ヒノキの割り箸は、通常は捨てられる部分(丸太から柱材などを取った残りの部分)から作る立派な「エコ商品」(ecology commodity)です。プラスチック製(made of plastic)などのマイ箸よりずっと舌触りが良く、食べ物を美味しく感じます。マイ箸を持つ人は、往々にして「食べたらティッシュでさっと拭いて箸箱に入れ、また次に使う」という不潔なことをしている人も多いです。母国で「市役所の食品衛生管理の仕事」をされているスミスさんは、まさかそんなことはされていないでしょうけど。

吉野杉やヒノキの割り箸を使うことは、森林や林業の活性化につながります。杉やヒノキの人工林は、植林して何度も間伐して、最後に主伐してまた植林する、というサイクルの繰り返しです。木を使わないと森林が荒れ、花粉症や山崩れの原因になります。まさにスミスさんの記事の隣に「林業再生へ思い熱く 橿原で『フォーラム十津川』」という記事が出ていて、十津川村における森林・林業の再生について、真剣な討議が行われた様子が紹介されています。

割り箸が地域と地球を救う
佐藤 敬一,鹿住 貴之
創森社

森林・林業を再生するために最も大切なことは、もっと私たちが木材を使うことです。だから林野庁は全国的な規模で木づかい運動を推進しています。私も、割り箸をテーマにして、たくさんのブログ記事を書いています。当ブログ左端の「カテゴリー」の「林業・割り箸」をご覧ください。また、高田木材協同組合をお訪ねになれば、もっと詳しいことを教えてもらえると思います。

スミスさんは大和高田市の「広報情報課」で勤務されていますが、広報マンに求められる役割の第一は、「正しい情報を受け入れ、それを発信すること」です。誤った情報がもとで判断を誤り、それが発信されてしまってはいけません。

私は吉野杉の割り箸をカバンに忍ばせていて、飲食店でプラスチック箸が出てきたらそっと割り箸を取り出し、それで食事しています。いわば「マイ割り箸」です。吉野杉は木目が緻密で美しく、持った感触も温かいですし、麺類がつるつる滑ることもありません。使い捨てますので、清潔です。

奈良県の県土の77%は森林です。しかし木材を伐採する量より、蓄積される量(木が育つ量)の方が大きいので、どんどん森林蓄積が増えているのが現状です。奈良新聞のスミスさんの記事の末尾には、こう記されています。

スミスさんは「リズモー市のことを、もっと多くの大和高田市民に知ってもらえるよう宣伝したい。個人的には歴史ある奈良の風物や空手を通じて日本の文化を学びたい」と話す。吉田誠克市長は「職員派遣は、リズモー市が50周年を積極的に盛り上げようという気持ちが伝わって大変うれしい。スミスさんには両市の友好の懸け橋になってもらいたい」と期待する。

スミスさん。本日クロネコ便で、吉野杉の割り箸(上端を斜めにカットした天削箸)を市役所宛、たくさん発送いたしました(送料の方が高いくらいの安価な箸ですがさすが吉野、シッカリと作られています)。まずは香りを嗅いでください(smell it directly)。そしてコンビニ弁当もたこ焼きも、外食時にも、この割り箸をお使いください。相当な量ですので、余ったら母国に持ち帰り、お友達にも差し上げてください。

ぜひ吉野杉・ヒノキの素晴らしさと、かつては奈良県の伝統的地場産業(traditional local industry)のトップランナー(the first runner)だった林業・製材業(lumbering industry)の抱える問題点、日本の「木の文化」のことなどを教えてあげてください。それこそが「広報情報課」のtrainee としての the key (most important point) です。

※2/19追記
当記事を読まれた大和高田市役所・広報情報課勤務の女性から、お電話をいただいた。スミスさんの「マイ箸」に関しては、来日された時から議論があったとのこと。母国では偏った情報しか入らず、また良い割り箸が入手できない事情から、このように誤解されていたとのことであった。日本人の吉田遊福さんでさえ永らく誤解されていのだから、ムリないのかも知れない。「いただいた吉野杉の割り箸は、シッカリと使わせいただくよう伝えます」とのことで、一件落着。


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九品寺(御所市)の千体石仏(産経新聞「なら再発見」第17回)

2013年02月16日 | なら再発見(産経新聞)
産経新聞奈良版と三重版に好評連載中の「なら再発見」、隔週で同紙・京都総合面(京都版および滋賀版)に「古都結び なら再発見」のタイトルで掲載されている。隔週なので全ての記事が載るわけではないが、すでに「東大寺 相輪に東西七重塔しのぶ」「ニホンオオカミの咆哮に耳すませ」「そうめんの里、三輪」などが掲載された。ライバルの京都に奈良が進出した格好なので、奈良県民としては、とても誇りに思う。これからも頑張って、良い記事を書かなければ…。

さて、今日(2/16)の見出しは「御所・九品寺 千体石仏に感じる家族愛」である。執筆されたのは「NPO法人 奈良まほろばソムリエの会」の田原敏明さんである。任意団体だった「奈良まほろばソムリエ友の会」は、2/6付で特定非営利法人に移行したのである。田原さんは、当会の「ガイド名人」のお1人である。では、全文を紹介する。

大和の古道を歩いていると、道端に佇(たたず)む石仏に出会うことが多い。葛城山東麓、葛城古道の猿目橋(御所市櫛羅[くじら])近くに、「六地蔵石仏」がある。
 室町時代に葛城山から崩落した巨岩に、死後の世界をさまよう魂を救うという日光菩薩など6体の地蔵仏が彫られている。
 うっすらと輪郭を残しているだけだが、戦乱の世に平穏を願った人々の思いが刻まれ、今も地域の祈りの対象となっている。
 そこから葛城古道を南に進むと九品寺(くほんじ 同市楢原)が見えてくる。聖武天皇の命により行基が建立した寺と伝わる。参道両脇の回遊式庭園「十徳園(じゅっとくえん)」は、西国三十三カ所の本尊を模した石仏を並べ、四季の花々が美しい。
 境内の行基像は、近鉄奈良駅前の行基像と、バラで有名な霊山寺(りょうせんじ 奈良市中町)の行基像とあわせ、三つ子の像という。
      *   *   *
 本堂裏の墓地斜面には「千体石仏」がある。中世にこの地を治めた楢原氏の菩提(ぼだい)寺だ。千体石仏は、南北朝時代に南朝方についた楢原一族が、死後の極楽浄土を願い奉納したと伝わる。
 これらの石仏は、歴史の流れで埋没し、数百年間、竹林の地中深く眠っていた。ところが約200年前に裏山が開墾された際、土中から掘り出され、現在のように配置されたという。
 その数は1700~1800体ともいわれている。前垂れを掛けられた石仏群は壮観であるが、ひとつひとつの石仏に奉納者のさまざまな思いが込められている。



 本堂横に並んだ樹木に手書きの歌碑板がつるされていた。
 「ホロホロとなく山どりの声きけば父かとも思う 母かとも思う」
 行基作と伝わる歌が目にとまった。各地に寺院を建立した行基も、深山で鳴く鳥の声にふと親のことを思い出すときがあったのだろう。 
 裏山の墓地に続く細い坂道を上がった。墓地で農作業帰りと思われる高齢女性をみかけた。木漏れ日が差し込む石仏群に向かって一心に祈る後ろ姿がみえた。 
 亡き母や義母の面影が一瞬重なったのは、この場の雰囲気のせいだろうか。
 石仏群をじっくり眺めると、2体一緒に彫られた石仏も多い。夫婦像か親子像だろう。奉納者の深い家族愛を思わずにはいられない。
      *   *   *   
 九品寺をあとにして葛城山麓を歩いた。眼下に視線を向けると、左手には大和三山や三輪山、竜王山が、右手には神武天皇が国見をしたという国見山、その後方に高取、多武峰(とうのみね)の山並みを遠望できる。随筆家の白洲正子(しらすまさこ)が紀行文「かくれ里」で称賛した大和平野のパノラマが広がる。(NPO法人 奈良まほろばソムリエの会 田原敏明)

千体石仏のよだれかけは、年に1回、新調される。大阪府下の篤志家グループが奉納されるそうだ。私はかつて、新調されたばかりの真っ赤なよだれかけをつけた石仏群を拝観したことがあるが、これは壮観であった。

NPO法人 奈良まほろばソムリエの会では、「まほろばソムリエと巡る大和路」というウォーキングツアー(全9コース)を実施している。九品寺周辺を歩くコースもある。「葛城古道~神話の神々と古代天皇・古代豪族の古里を歩く~(コースコード:K01)」で、高鴨神社、高天彦神社、橋本院、一言主神社、九品寺を回る約13kmのコースである(短縮可)。お1人300円で参加できるので、ご利用をお薦めしたい。

田原さん、興味深い記事を有難うございました!


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天誅組決起150年記念、四国の志士たちの足跡を辿るツアー(2013Topic)

2013年02月15日 | お知らせ
今年は、明治維新の魁(さきがけ)といわれる「天誅組(てんちゅうぐみ)」が決起して150年目の年である。天誅組に関する詳しい説明は以前、当ブログに書いた。まもなく舟久保藍さん(「維新の魁・天誅組」保存伝承・推進協議会 特別理事)の書かれた『実録 天誅組の変』(淡交社刊 2,415円)も出版される予定で、AMAZONで予約を受け付けている。版元の紹介文には、

幕府の直轄領であった大和五條(奈良県五條市)は現在でも穏やかな地方都市ですが、文久3年(1863)8月17日、尊王倒幕を目指した一団によって突如占領されました。「天誅組」と呼ばれたその一団は、幕府に追討を命じられた諸藩の包囲を受け、約40日にわたって西吉野、十津川と転戦し、東吉野で壊滅します。しかし、彼らが目指した倒幕は5年後に実現し、明治維新を迎えることになりました。「維新の魁」とも呼ばれる彼ら天誅組の実態を詳細にまとめた一冊。


とある。天誅組のメンバーで最も多かったのは、土佐の出身者だった。そこで3月23日(土)~25日(月)、「四国の志士たちの足跡を辿る」という2泊3日のバスツアーが開催される。天誅組大和義挙150年記念事業実行委員会のHPによると、

四国の志士たちの足跡を辿る

天誅組隊士の中でも一番多い、土佐志士たち。彼らのそれぞれの故郷を訪ね、墓所や生家を2泊3日で辿ります。

日 時
平成25年3月23日(土)~25日(月)
参加費
45,000円/人
行 程
【1日目】五條市内(8:00)-大和八木駅-近鉄奈良駅-古東領左衛門宅跡-福浦元吉碑(徳島市)-安岡家住宅・安岡嘉助墓(高知県)-高知市内泊(三翠園)
【2日目】高知市内史跡(要法寺、島浪間墓)-佐川町青山文庫、田中光顕宅跡-津野町泊(天狗荘)
【3日目】津野町見学(吉村虎太郎銅像、生家)-梼原町(維新の群像・吉村虎太郎庄屋屋敷跡・那須信吾屋敷跡ほか)-帰路-近鉄奈良駅-大和八木駅-五條市内
※当日の道路事情等により、行程は一部変更になる場合があります。
定 員
20名
申込み
電話、FAX、メールで五條市立民俗資料館長屋門内「天誅組150年記念事業実行委員会」迄。追ってご連絡をいたします。
TEL/FAX 0747-22-0450 メールinfo@tenchugumi.jp

天誅組大和義挙150年記念事業実行委員会
〒637-0043 奈良県五條市新町3丁目3-1
TEL/FAX 0747-22-0450 Mail info@tenchugumi.jp

旅行企画・実施
(社)全国旅行業協会会員 やまとびとツアーズ(奈良県知事登録旅行業 第2-194号)
〒633-0112 奈良県桜井市初瀬860番地
TEL 0744-52-2221 FAX 0744-55-0480


申込用紙を兼ねたパンフレットは、こちらである。なかなかお目にかかれないディープなツアーである。ぜひ、たくさんの方にご参加いただきたい。

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箸墓古墳、2月20に立ち入り調査!(2013Topic)

2013年02月14日 | お知らせ
 箸墓は卑弥呼の墓か
 大和 岩雄 著
 大和書房

2月13日、卑弥呼の墓説のある桜井市の「箸墓古墳」(大市墓)への立ち入り調査が認められた。NHKニュース(2/14 4時20分)によると、

邪馬台国の女王、卑弥呼の墓という説もある奈良県桜井市の箸墓古墳について、管理している宮内庁が初めて研究者の立ち入りを認め、今月20日に調査が行われることになりました。箸墓古墳は、全長およそ280メートルの最も古い時期の大型の前方後円墳で、3世紀中ごろに亡くなったとされる邪馬台国の女王、卑弥呼の墓という説もあります。

陵墓に指定されているため立ち入ることができず、これまでは周辺の調査などをもとに研究が進められてきましたが、宮内庁が研究者の団体からの要望を受け、今回初めて調査を認めることになりました。調査は今月20日に行われ、研究者が古墳に立ち入って形などを確認することになっていますが、発掘や土器などの採取はできないということです。また、奈良県天理市にある大型の前方後円墳「西殿塚古墳」でも同じ日に調査が行われます。

古墳時代に詳しい大阪府立近つ飛鳥博物館の白石太一郎館長は「研究者として陵墓は公開されるべきだと考えている。2つの古墳は古い時代の前方後円墳で、まだ墳丘の形態なども分かっていない。複数の研究者が見ることで、新たな知見が得られるものと期待している」と話しています。

 天皇陵を発掘せよ (三一新書)
 石部 正志 ・古田 武彦・藤田 友治 編著
 三一書房

同じニュースを報じた共同通信の記事(2/13)は、こちらに出ている。「発掘や土器などの採取はできない」とのことであるが、とにかくこれは大きな「一歩前進」である。箸墓のお近くにお住まいのYさんは、早速Facebookに「近所が騒がしくなりますが、だんだん箸墓の秘密が明らかになってきますね」とコメントされていた。では「箸墓古墳」とは、どんな古墳か。『ならまほろばソムリエ検定 公式テキストブック』(山と渓谷社刊)によると、

大市墓(おおいちぼ 桜井市箸中)<箸墓古墳>
箸墓古墳は、邪馬台国の女王卑弥呼の墓という説もあり、わが国において最も著名な古墳の一つである。現在は宮内庁によって第七代孝霊天皇皇女倭迹迹日百襲姫(やまとととひももそひめ)命の大市墓として管理されている。墳丘長は二八〇㍍、前方部の先端がバチ状に広がる形状は前方後円墳の中でも古相を示すとされる。

近年、周辺の調査が進められてきており、徐々に古墳の詳細が明らかになりつつあるものの、内部施設、副葬品については全く知られていない。ただ、墳丘裾部分に板石が散見されることから、竪穴式石室の存在が予想される。平成十年九月の台風七号により、多くの樹木が倒壊し、墳丘に大きな損傷が生じた。この復旧工事に当たって、根起き箇所などから多数の二重口縁壷形埴輪、特殊器台形埴輪が採取された。


 盗掘でわかった天皇陵古墳の謎
 安本 美典 著
 宝島社

また同じ日に調査が行われる「西殿塚古墳」は、同書によると、

衾田陵(ふすまだりょう 天理市中山町)<西殿塚古墳>
継体天皇皇后手白香皇女(たしらかこうじょ)の衾田陵に治定されている前方後円墳。龍王山麓に位置し、前方部を南に向ける。全長は二三〇㍍、後円部径は一四五㍍である。最大の特徴は、東から西側にかけての傾斜面に築造されたため、東西の比高が一三㍍もあり、よって西側には「エプロン状張り出し部」と称される基壇が存在することである。

また墳丘の特徴として、前方部頂上に一辺約二〇㍍の方形壇が存在するが、埋葬施設を示すものか否かについては不明である。墳丘周りの発掘調査によって葺石の基底石が検出され、本来の墳丘が現在の宮内庁の敷地外まで広がっていることが明らかにされた。


いずれも「陵墓」(天皇、皇后、太皇太后、皇太后などを葬る墓所)に指定されているので、調査が認められていなかったのである。掘らずにどこまで分かるかは未知数であるが、まずは研究者の観察眼に期待したい。
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