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この日(1/2)吉野の山々にはうっすらと雪が積もっていた。向かったのは吉野山である。吉野郡吉野町吉野山と、吉野の文字が3つもつく吉野の中の吉野、「金峯山寺(きんぷせんじ)蔵王堂」は標高約365mの地点にある、言わずと知れた修験道の聖地である。
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奈良検定公式テキスト「金峯山寺」(P218)によると、《金峯山とは蔵王堂のある吉野山の麓、吉野川六田柳の渡しから大峯山寺のある山上ヶ岳の少し南、化粧(けわい)の宿まで続く一連の峰を指す総称》《理源大師聖宝(りげんだいししょうぼう 832~909)が金峯山に入って以来、その弟子貞崇(じょうすう)など多くの修験僧が入山》《皇族・貴族の御岳詣は白河上皇の世に絶頂を迎えた》とある。
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近鉄吉野神宮駅の横の道から坂を上り、「吉野山観光駐車場」(無料)に車を置いた。時折舞い散る粉雪を浴びながら、歩いていくと、まず写真の黒門が目に飛び込んでくる。金峯山寺の総門であり、いわば吉野一山の総門という位置づけだ。沿道には、お土産物屋さんも多い。
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これは国宝・仁王門だ。延元3年(1338年)の建立である。Wikipedia「金峯山寺」によると《本堂(蔵王堂)の北側に位置する入母屋造、本瓦葺きの二重門。軒先に吊るしていた風鐸(ふうたく)の銘から室町時代の康正2年(1456年)の再興とわかる》。
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《本堂が南を正面とするのに対し、仁王門は北を正面とし、互いに背を向けるように建っている。これは、熊野から吉野へ(南から北へ)向かう巡礼者と吉野から熊野へ(北から南へ)向かう巡礼者の双方に配慮したためという》。蔵王堂へは、この石段を登る。
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石段を登り切ったところが蔵王堂だ。さすがにデカい!こんな大きなお堂を見るのは、東大寺大仏殿以来である。これを建てるのは大変だったろう。Wikipediaによると《山上ヶ岳の大峯山寺本堂(「山上の蔵王堂」)に対し、山下(さんげ)の蔵王堂と呼ばれる。屋根は入母屋造檜皮葺き。2階建てのように見えるが構造的には「一重裳階(もこし)付き」である》。
《豊臣家の寄進で再興されたもので、扉金具の銘から天正19年(1592年)の建立とわかる。高さ34メートル、奥行、幅ともに36メートル。木造の古建築としては東大寺大仏殿に次ぐ規模をもつといわれる豪壮な建築である。内部の柱には、原木の曲がりを残した自然木に近い柱が使われていることが特色で、ツツジ、チャンチン、梨などと称される柱が用いられている。内陣には巨大な厨子があり、本尊として3体の巨大な蔵王権現像(秘仏)を安置する》。
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蔵王堂の前に桜の木が見えるが、これが「四本桜」である。Wikipediaによると《 本堂前の広場に石柵で囲まれた一廓があり、4本の桜が植わっている。ここは、元弘3年(1333年)、北条軍に攻められた大塔宮護良親王が落城前に最後の酒宴を催した故地とされている。石柵内に立つ銅燈籠は文明3年(1471年)の作で、重要文化財に指定されている》。
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境内に、こんな一角がある。後醍醐天皇の御座所跡だ。案内板によると、ここは《かつての南朝(吉野朝廷)の皇居跡で、元は実城寺という寺でした。この付近には大小20にも及ぶ寺院がありましたが、その中でも最も広い実城寺が行宮(あんぐう・仮の宮)とされ、当時足利幕府と北朝に対抗する南朝方の拠点として、後醍醐天皇の御座所となっていました》。なお左奥の建物は、仏舎利宝殿である。
なお、奈良検定テキストに、よく「本山派」「当山派」という言葉が出てくる。その意味がWikipedia「金峯山寺」に出ているので紹介しておく。《修験道は中世末期以降、「本山派」と「当山派」の2つに大きく分かれた。本山派は天台宗系で、園城寺(三井寺)の円珍を開祖とする。この派は主に熊野で活動し、総本山は天台宗寺門派(園城寺傘下)の聖護院(京都市左京区)である》。
《一方の当山派は真言宗系で、聖宝を開祖とする。吉野を主な活動地とし、総本山は醍醐寺三宝院(京都市伏見区)であった。金峯山寺は中興の祖である聖宝との関係で、当山派とのつながりが強かった。中世の金峯山寺は山上・山下に多くの子院をもち、多くの僧兵(吉野大衆と呼ばれた)を抱え、その勢力は南都北嶺(興福寺と延暦寺の僧兵を指す)にも劣らないといわれた。南北朝時代、後醍醐天皇が吉野に移り、南朝を興したのにも、こうした軍事的背景があった》。
さて、「吉野・大峯」は世界遺産に登録されているので、奈良検定では必修事項である。世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」のうち、奈良県内の構成施設は、吉野山、吉野水分(みくまり)神社、吉水(よしみず)神社、金峯山寺、金峯神社、大峯山寺(おおみねさんじ)、大峰奥駈道(玉置神社を含む)、熊野参詣道小辺路(こへち)の8つであるが、この8つはそれぞれの頭文字をとって「吉3、金2、大2、小1」と覚えておけば良い。
第3回奈良検定まで、あと4日となった。最後の追いこみに希望を託しているのだが…。
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奈良検定公式テキスト「金峯山寺」(P218)によると、《金峯山とは蔵王堂のある吉野山の麓、吉野川六田柳の渡しから大峯山寺のある山上ヶ岳の少し南、化粧(けわい)の宿まで続く一連の峰を指す総称》《理源大師聖宝(りげんだいししょうぼう 832~909)が金峯山に入って以来、その弟子貞崇(じょうすう)など多くの修験僧が入山》《皇族・貴族の御岳詣は白河上皇の世に絶頂を迎えた》とある。
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近鉄吉野神宮駅の横の道から坂を上り、「吉野山観光駐車場」(無料)に車を置いた。時折舞い散る粉雪を浴びながら、歩いていくと、まず写真の黒門が目に飛び込んでくる。金峯山寺の総門であり、いわば吉野一山の総門という位置づけだ。沿道には、お土産物屋さんも多い。
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これは国宝・仁王門だ。延元3年(1338年)の建立である。Wikipedia「金峯山寺」によると《本堂(蔵王堂)の北側に位置する入母屋造、本瓦葺きの二重門。軒先に吊るしていた風鐸(ふうたく)の銘から室町時代の康正2年(1456年)の再興とわかる》。
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《本堂が南を正面とするのに対し、仁王門は北を正面とし、互いに背を向けるように建っている。これは、熊野から吉野へ(南から北へ)向かう巡礼者と吉野から熊野へ(北から南へ)向かう巡礼者の双方に配慮したためという》。蔵王堂へは、この石段を登る。
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石段を登り切ったところが蔵王堂だ。さすがにデカい!こんな大きなお堂を見るのは、東大寺大仏殿以来である。これを建てるのは大変だったろう。Wikipediaによると《山上ヶ岳の大峯山寺本堂(「山上の蔵王堂」)に対し、山下(さんげ)の蔵王堂と呼ばれる。屋根は入母屋造檜皮葺き。2階建てのように見えるが構造的には「一重裳階(もこし)付き」である》。
《豊臣家の寄進で再興されたもので、扉金具の銘から天正19年(1592年)の建立とわかる。高さ34メートル、奥行、幅ともに36メートル。木造の古建築としては東大寺大仏殿に次ぐ規模をもつといわれる豪壮な建築である。内部の柱には、原木の曲がりを残した自然木に近い柱が使われていることが特色で、ツツジ、チャンチン、梨などと称される柱が用いられている。内陣には巨大な厨子があり、本尊として3体の巨大な蔵王権現像(秘仏)を安置する》。
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蔵王堂の前に桜の木が見えるが、これが「四本桜」である。Wikipediaによると《 本堂前の広場に石柵で囲まれた一廓があり、4本の桜が植わっている。ここは、元弘3年(1333年)、北条軍に攻められた大塔宮護良親王が落城前に最後の酒宴を催した故地とされている。石柵内に立つ銅燈籠は文明3年(1471年)の作で、重要文化財に指定されている》。
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境内に、こんな一角がある。後醍醐天皇の御座所跡だ。案内板によると、ここは《かつての南朝(吉野朝廷)の皇居跡で、元は実城寺という寺でした。この付近には大小20にも及ぶ寺院がありましたが、その中でも最も広い実城寺が行宮(あんぐう・仮の宮)とされ、当時足利幕府と北朝に対抗する南朝方の拠点として、後醍醐天皇の御座所となっていました》。なお左奥の建物は、仏舎利宝殿である。
なお、奈良検定テキストに、よく「本山派」「当山派」という言葉が出てくる。その意味がWikipedia「金峯山寺」に出ているので紹介しておく。《修験道は中世末期以降、「本山派」と「当山派」の2つに大きく分かれた。本山派は天台宗系で、園城寺(三井寺)の円珍を開祖とする。この派は主に熊野で活動し、総本山は天台宗寺門派(園城寺傘下)の聖護院(京都市左京区)である》。
《一方の当山派は真言宗系で、聖宝を開祖とする。吉野を主な活動地とし、総本山は醍醐寺三宝院(京都市伏見区)であった。金峯山寺は中興の祖である聖宝との関係で、当山派とのつながりが強かった。中世の金峯山寺は山上・山下に多くの子院をもち、多くの僧兵(吉野大衆と呼ばれた)を抱え、その勢力は南都北嶺(興福寺と延暦寺の僧兵を指す)にも劣らないといわれた。南北朝時代、後醍醐天皇が吉野に移り、南朝を興したのにも、こうした軍事的背景があった》。
さて、「吉野・大峯」は世界遺産に登録されているので、奈良検定では必修事項である。世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」のうち、奈良県内の構成施設は、吉野山、吉野水分(みくまり)神社、吉水(よしみず)神社、金峯山寺、金峯神社、大峯山寺(おおみねさんじ)、大峰奥駈道(玉置神社を含む)、熊野参詣道小辺路(こへち)の8つであるが、この8つはそれぞれの頭文字をとって「吉3、金2、大2、小1」と覚えておけば良い。
第3回奈良検定まで、あと4日となった。最後の追いこみに希望を託しているのだが…。
悪あがきしたくなる、
1番キライな頃です。
金峯山寺の蔵王権現様に、
喝を入れていただきたいような心境です。
この週末はかなり冷え込むようですね。
冬というと
体調管理と交通機関の乱れが気になります。
新幹線で出かけると、
関ヶ原付近で雪のため足止めとなったりします。
今回は苦手な航空機で伊丹空港より入ることにしましたが、
穏やかなフライトであって欲しいです。
うまく行けば奈良近辺の空からの景色に会えるので、
期待しています。
受験される皆様のご健闘、
お祈り申し上げます。
解答が30問のマークシートと小論文なので京都検定のような全手書き解答のプレッシャーがなくなったので、気楽に行きたい。70%ぐらい何とかなろうと高をくくって・・・・本番の試験中に焦るのだろう。去年は焦った、今さら何も出来ない。
世界遺産「紀伊半島の霊場と参詣道」の構成要素には、去年は万歳するほかなかった。
私は「原動機付き自転車」で参戦してやろうか・・・・電車やバスで他の受験者からのプレッシャーを受けたくないから・・・・・
> 航空機で伊丹空港より入ることにしましたが、穏やかなフライトであって欲しいです。
> 受験される皆様のご健闘、お祈り申し上げます。
遠方よりのご受験、有り難いことです。1級の東京会場も、実現していただきたいですね。日曜日にかけて相当冷え込むようですが、無事、奈良に入られますように。
> 30問のマークシートと小論文なので京都検定のような
> 全手書き解答のプレッシャーがなくなったので、気楽に行きたい。
京都検定1級は、すさまじいですね。初のソムリエ誕生に、期待しています。