今朝(8/15)の産経新聞奈良版「今日も奈良はおさんぽ日和」(もりきあや)は、奈良市大柳生町の「夜支布(やしふ)山口神社」を取り上げていた。この神社には、700年の伝統をもつ「大柳生の太鼓踊り」(奈良県指定無形民俗文化財)が奉納される。これは、毎年踊られる県内唯一の太鼓踊りである。記事によると
神社近くの道路脇に、大柳生「太鼓踊り」の立て看板が出ていた。大柳生には、夜支布山口神社祭神の分霊をその年の当屋に祀る「廻り明神」という風習が残り、毎年8月中ごろにその家の庭で太鼓踊りが奉納されるのだ。「本年が最後となりますので、多数のご来場お待ちしています」。後継者不足で、今年(8月18日)で太鼓踊りは休止されるそう。
農作業をする人に、若者を見ることが少なくなった。田んぼが美しいこの里に暮らす子供も少なくなったのかもしれない。大柳生小学校が見えてきた。夏休みとはいえ静かだと思えば、今春に同市須川町の小学校と統合、再編され、そちらが本校舎(興東小学校)となったとのこと。
この話は、すでに当ブログ「大柳生の太鼓踊りFINAL」(7/31)でも紹介した。この記事に昨日、地元の方からこんなコメントをいただいた。タイトルは「継承して行けない残念さ」である。《室町の時代から継承されて来た太鼓踊り 終わりになってしまうのはその地域に住んでる者としては申し訳無い気持ち 何とかして継承して行ける方法を模索して行きたいとの思いです 今後 踊り子や世話をして頂ける方を地域外の方達にも呼びかけていくのも一つの方策かとも思えます 是非 最後になってしまった太鼓踊りを見に御出で下さい》。
室町時代から綿々と続けられてきたお祭りが、平成の時代になって途絶えてしまうとは、何とも口惜しいことである。東吉野村の「小川祭り」では、祭りの日には村外に住んでいる元村民(元青年)が一斉に帰省し、太鼓台をかついでいる。大柳生の太鼓踊りの場合、踊り手は青年なので、少子化の進む大柳生町での継承が難しいのは分かる。しかし例えば奈良市全域に声をかけて、協力者(サポーター)や指導者を募ることはできないものだろうか。単純比較はできないにしても、毎夏のバサラ祭りはあれほど盛り上がるのである。
何とも悔しくて、また同じ話を書いてしまった。伝統行事・民俗行事の宝庫である奈良県下で起きている「祭りの断絶」は、おそらく少子化の進む各地で起きている現象だろう。それは「地域力」の衰退だ。立ち上がるべきは、地元である。
(8/19追記)msn.産経ニュース(8/14 02:03配信)に、こんな記事が出ていた。
奈良市大柳生町で毎年夏に営まれ、江戸時代から400年続くとされる県無形民俗文化財「太鼓踊り」が、18日を最後に休止される。太鼓を打ちながら踊るため相当の体力が必要だが、少子高齢化で担い手の若者が不足し、継続を断念した。それでも地元関係者は「一日も早い復活を」と願い、今年の奉納に向けた練習に励んでいる。
大柳生太鼓踊り保存会によると、太鼓踊りには「室町幕府の3代将軍・足利義満が武門の門出を祈って営まれた」とする伝承があり、大柳生町の3集落には、江戸時代に伝わったとされる。3集落では、地元にある夜支布山口神社の祭神の分霊を、長老が1年交代で自宅に迎える「廻り明神」と呼ばれる習慣があり、分霊を迎える家は「当屋(とうや)」と呼ばれる。当屋のある集落の人々が中心となり、同神社の毎年の夏祭りにあわせて、当屋の庭で太鼓踊りを奉納してきた。
太鼓踊りは、10~20人程度が参加し、大太鼓や小太鼓、笛などを使用。踊りながら太鼓をたたく。特に太鼓担当は動きが激しく、相当の体力が必要とされる。保存会の坊垣内昭典(ぼうがいとあきふみ)会長(70)は「30代ぐらいまででないと、とても体が持たない」と話す。同神社の祭神は女性を嫌うとされ、太鼓踊りは若い男性だけで続けられてきた。ところが、近年の少子高齢化で若者を集めることが困難に。平成19年には、いったん太鼓踊りの中止を決めた。
しかし、継続を願う地元の若者らが立ち上がり、場所を当屋の庭ではなく地域の広場に移動。踊りの参加者も、集落単位ではなく町全体で有志を募り、これまで続けてきた。それでも徐々に担い手が減り、今年を最後に休止を余儀なくされた。「当時立ち上がってくれた若者たちも、40歳近くになる。家は大柳生にあっても、都市部に出て仕事をしている人もいて、継続は難しくなった」。坊垣内会長はため息をつく。保存会では太鼓踊りを絶やさないため、各集落に伝わる踊り方や歌詞、太鼓をたたくリズムなどを冊子にまとめ、復活を願う。
坊垣内会長は「女性の参加を認めたり、町外からも有志を募集したりするなど、いろいろ方法はあると思う。伝統を絶やしてほしくないので、若者たちで一日も早く復活してほしい」と話している。太鼓踊りは18日午後7時から、夜支布山口神社前の広場で営まれる。
朝日新聞奈良版(8/19付)でも報じられた。
奈良市大柳生町の夜支布山口神社前の広場で18日、県指定無形民俗文化財の「太鼓踊り」の最後の奉納があった。過疎化や少子化で踊り手不足となり、来年以降は中止となった。踊りは豊作を願って室町時代に始まったとされる。
最後の太鼓踊りを披露する踊り手=奈良市大柳生町(朝日新聞)
この日は大粒の雨が降る中、大太鼓4人、小太鼓11人の計15人が神祭用具を背に白鉢巻き姿で、歌や笛に合わせて踊りを披露した。大太鼓を務めた大浦昭寿さん(36)は「今日が最後なので悔いの無いようにと精いっぱい踊った。いつかまた復活できることを願っている」と話した。
神社近くの道路脇に、大柳生「太鼓踊り」の立て看板が出ていた。大柳生には、夜支布山口神社祭神の分霊をその年の当屋に祀る「廻り明神」という風習が残り、毎年8月中ごろにその家の庭で太鼓踊りが奉納されるのだ。「本年が最後となりますので、多数のご来場お待ちしています」。後継者不足で、今年(8月18日)で太鼓踊りは休止されるそう。
農作業をする人に、若者を見ることが少なくなった。田んぼが美しいこの里に暮らす子供も少なくなったのかもしれない。大柳生小学校が見えてきた。夏休みとはいえ静かだと思えば、今春に同市須川町の小学校と統合、再編され、そちらが本校舎(興東小学校)となったとのこと。
この話は、すでに当ブログ「大柳生の太鼓踊りFINAL」(7/31)でも紹介した。この記事に昨日、地元の方からこんなコメントをいただいた。タイトルは「継承して行けない残念さ」である。《室町の時代から継承されて来た太鼓踊り 終わりになってしまうのはその地域に住んでる者としては申し訳無い気持ち 何とかして継承して行ける方法を模索して行きたいとの思いです 今後 踊り子や世話をして頂ける方を地域外の方達にも呼びかけていくのも一つの方策かとも思えます 是非 最後になってしまった太鼓踊りを見に御出で下さい》。
室町時代から綿々と続けられてきたお祭りが、平成の時代になって途絶えてしまうとは、何とも口惜しいことである。東吉野村の「小川祭り」では、祭りの日には村外に住んでいる元村民(元青年)が一斉に帰省し、太鼓台をかついでいる。大柳生の太鼓踊りの場合、踊り手は青年なので、少子化の進む大柳生町での継承が難しいのは分かる。しかし例えば奈良市全域に声をかけて、協力者(サポーター)や指導者を募ることはできないものだろうか。単純比較はできないにしても、毎夏のバサラ祭りはあれほど盛り上がるのである。
何とも悔しくて、また同じ話を書いてしまった。伝統行事・民俗行事の宝庫である奈良県下で起きている「祭りの断絶」は、おそらく少子化の進む各地で起きている現象だろう。それは「地域力」の衰退だ。立ち上がるべきは、地元である。
(8/19追記)msn.産経ニュース(8/14 02:03配信)に、こんな記事が出ていた。
400年続く「太鼓踊り」休止 奈良・大柳生町の県無形民俗文化財
18日最後、若者不足で継続断念
奈良市大柳生町で毎年夏に営まれ、江戸時代から400年続くとされる県無形民俗文化財「太鼓踊り」が、18日を最後に休止される。太鼓を打ちながら踊るため相当の体力が必要だが、少子高齢化で担い手の若者が不足し、継続を断念した。それでも地元関係者は「一日も早い復活を」と願い、今年の奉納に向けた練習に励んでいる。
大柳生太鼓踊り保存会によると、太鼓踊りには「室町幕府の3代将軍・足利義満が武門の門出を祈って営まれた」とする伝承があり、大柳生町の3集落には、江戸時代に伝わったとされる。3集落では、地元にある夜支布山口神社の祭神の分霊を、長老が1年交代で自宅に迎える「廻り明神」と呼ばれる習慣があり、分霊を迎える家は「当屋(とうや)」と呼ばれる。当屋のある集落の人々が中心となり、同神社の毎年の夏祭りにあわせて、当屋の庭で太鼓踊りを奉納してきた。
太鼓踊りは、10~20人程度が参加し、大太鼓や小太鼓、笛などを使用。踊りながら太鼓をたたく。特に太鼓担当は動きが激しく、相当の体力が必要とされる。保存会の坊垣内昭典(ぼうがいとあきふみ)会長(70)は「30代ぐらいまででないと、とても体が持たない」と話す。同神社の祭神は女性を嫌うとされ、太鼓踊りは若い男性だけで続けられてきた。ところが、近年の少子高齢化で若者を集めることが困難に。平成19年には、いったん太鼓踊りの中止を決めた。
しかし、継続を願う地元の若者らが立ち上がり、場所を当屋の庭ではなく地域の広場に移動。踊りの参加者も、集落単位ではなく町全体で有志を募り、これまで続けてきた。それでも徐々に担い手が減り、今年を最後に休止を余儀なくされた。「当時立ち上がってくれた若者たちも、40歳近くになる。家は大柳生にあっても、都市部に出て仕事をしている人もいて、継続は難しくなった」。坊垣内会長はため息をつく。保存会では太鼓踊りを絶やさないため、各集落に伝わる踊り方や歌詞、太鼓をたたくリズムなどを冊子にまとめ、復活を願う。
坊垣内会長は「女性の参加を認めたり、町外からも有志を募集したりするなど、いろいろ方法はあると思う。伝統を絶やしてほしくないので、若者たちで一日も早く復活してほしい」と話している。太鼓踊りは18日午後7時から、夜支布山口神社前の広場で営まれる。
大柳生の太鼓踊り2012(by 豊田定男さん)
朝日新聞奈良版(8/19付)でも報じられた。
「いつか復活を」最後の太鼓踊り 奈良・大柳生町
奈良市大柳生町の夜支布山口神社前の広場で18日、県指定無形民俗文化財の「太鼓踊り」の最後の奉納があった。過疎化や少子化で踊り手不足となり、来年以降は中止となった。踊りは豊作を願って室町時代に始まったとされる。
最後の太鼓踊りを披露する踊り手=奈良市大柳生町(朝日新聞)
この日は大粒の雨が降る中、大太鼓4人、小太鼓11人の計15人が神祭用具を背に白鉢巻き姿で、歌や笛に合わせて踊りを披露した。大太鼓を務めた大浦昭寿さん(36)は「今日が最後なので悔いの無いようにと精いっぱい踊った。いつかまた復活できることを願っている」と話した。
祭りがフェスタになって目的が変わったからかなと思います。「地域の力」たしかに落ちていますよね。
リンクに入れさせていただいても良いですか?
> 私も産経新聞読みました。本当に残念です。
700年、続いてきましたからね。残念無念です。しかし、まだ諦めたわけではありません。
> 「地域の力」たしかに落ちていますよね。
> リンクに入れさせていただいても良いですか?
堺屋太一が「高齢化は予測していたが、少子化がこんなに進むとは、想定外だった」と言っていました。よく新聞などが「少子・高齢化」と書きますが、少子化と高齢化は、要因もインパクトも対策も全く違いますので、一緒くたにしない方が良いですね。リンク、どうぞ貼って下さい。
この行事は何度も暗礁に乗り上げ、それをそのたびに克服してきたと聞きました。
いつか、また復活の報せが来ることを祈っています。
ps.私のブログでも記事にさせていただきました。
http://blog.goo.ne.jp/azukinieta/e/abdc31cff9589c5459c11bac61740c34
> 四年に一度開催となると、本来の意義が失われてイベントになるのかな。
完全になくなるようですよ、今のところ。各新聞も、そのように報道しています。
> 日本全国でここ10年のうちに伝統芸能が雪崩的に無くなるでしょう。
私はそれを懸念しています。「奈良まほろばソムリエ友の会」では、それを何とかしようと、真剣に議論しています。
> いつか、また復活の報せが来ることを祈っています。
貴ブログ拝見しました。雨の中、よくあれだけ撮れましたね。私も、復活をお祈りしています。