水曜日(2024.7.17 付)の奈良新聞「新大和の食模様」欄に、〈成長よく、病害虫にも強く 伝統野菜「大和三尺きゅうり」 「奈良漬」の要望に応えて復活〉という記事が出ていた。
※トップ写真は、的場輝佳さんの講演の様子(2024.3.12 撮影)
NPO法人「奈良の食文化研究会」さんが交代で執筆されている欄で、この回は、奈良女子大学名誉教授の的場輝佳(まとば・てるよし)さんが担当された。
詳細は記事の画像を見ていただきたいが、「大和三尺きゅうり」は、1890年(明治23年)に京都府相楽地方から奈良県添上郡狭川(さがわ)村(現・奈良市)に導入された品種を農家で交雑育種して、大正末期から昭和初期にかけて、県農事試験場(現・農業研究開発センター)で優良品種を選抜。
戦後、大宇陀の芳岡一夫さんが県農事試験場の協力を得て、優良系統を選抜・固定することに成功し、県内に普及していく。しかし、昭和40年代後半から「大和三尺きゅうり」の栽培は激減する。
一方約10年前、森奈良漬店の「地元野菜で奈良漬を」との思いを知り、葛城市の永座(えいざ)農園が栽培を始めた。代表者の永座孝泰さんは「奈良の野菜は、奈良の土壌で育てることで、野菜本来の風味が出る」…。
おいしい奈良漬ができるまでには、こんな生産者の陰のご苦労があったのだな、と感銘を受けた。
※トップ写真は、的場輝佳さんの講演の様子(2024.3.12 撮影)
NPO法人「奈良の食文化研究会」さんが交代で執筆されている欄で、この回は、奈良女子大学名誉教授の的場輝佳(まとば・てるよし)さんが担当された。
詳細は記事の画像を見ていただきたいが、「大和三尺きゅうり」は、1890年(明治23年)に京都府相楽地方から奈良県添上郡狭川(さがわ)村(現・奈良市)に導入された品種を農家で交雑育種して、大正末期から昭和初期にかけて、県農事試験場(現・農業研究開発センター)で優良品種を選抜。
戦後、大宇陀の芳岡一夫さんが県農事試験場の協力を得て、優良系統を選抜・固定することに成功し、県内に普及していく。しかし、昭和40年代後半から「大和三尺きゅうり」の栽培は激減する。
一方約10年前、森奈良漬店の「地元野菜で奈良漬を」との思いを知り、葛城市の永座(えいざ)農園が栽培を始めた。代表者の永座孝泰さんは「奈良の野菜は、奈良の土壌で育てることで、野菜本来の風味が出る」…。
おいしい奈良漬ができるまでには、こんな生産者の陰のご苦労があったのだな、と感銘を受けた。
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