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伊勢山皇大神宮(横浜市西区)は、関東のお伊勢さん

2012年09月21日 | 記紀・万葉
9/17(月・祝)、甥っ子の結婚式で、横浜市西区にある伊勢山皇大神宮(いせやまこうたいじんぐう)にお参りした。ご祭神は天照大御神(あまてらすおおみかみ)で、「関東のお伊勢さん」と呼ばれている。伊勢山皇大神宮の公式HPによると


境内の記念館で、記念撮影(当記事の写真はすべて9/17に撮った)

由緒 『関東のお伊勢さま』と親しまれる当宮は、明治初年に国費を以て創建された神社であり、神奈川県の宗社、横浜の総鎮守とされています。かつては、久良岐郡戸部村の丘陵に鎮座されていましたが、神社名、創建年代共に不明です。


一の鳥居。式は撮影禁止なので、以下の写真は早めに着いて撮った

明治維新後、神仏分離、国家神道の時代を迎え、当地横浜が国の貿易の要として開港されるに及び、人々の心を1つにし、外国との国柄の違いを胸に刻み、国家の鎮護を祈る事を目的に、明治3年4月14日、時の神奈川県副知事井関盛艮氏が太政官に対し建白書を送り、『伊勢山に皇祖の御社を勧請あれば、高麗の宮殿を創立し、国家の鎮護を祈り、人民をして、崇敬胆仰せしめん』との布告を戴き、社殿を始め、境内の整備が開始されました。



総ヒノキ造りの二の鳥居。正面に社殿が見える

翌年4月15日、社殿並びに境内施設が竣工し、正遷宮が執り行われ、横浜の町を挙げての初めてのお祭りは壮大華美を極めた様子でした。また、この時、地名も野毛山から伊勢山へと変えられました。



社殿 境内は3900余坪、御社殿は神明檜造(しんめいひのきづくり)で、太古の掘立造の面影を残し、屋根の千木(ちぎ)[角のような形]と鰹木(かつおぎ)が特徴です。創建当時の社殿は関東大震災の災禍を蒙り、ことごとく倒壊し、現在の社殿は昭和3年に復旧建造されたものです。



お宮参りのグループ



表参道の二の鳥居は、昭和45年に御鎮座100年を記念して横浜金沢の相川文五郎氏より寄贈されたもので総檜造、一の鳥居は昭和55年に御鎮座百拾年を記念して建て替えられました。


杵築宮(きづきのみや)。ご祭神は月讀命(つくよみのみこと)、須佐男命(すさのおの
みこと)、大国主命(おおくにぬしのみこと)、住吉三柱大神(すみよしみはしらのおおかみ)。
戦後は子之大神(ねのおおかみ=野毛地区の氏神さま)も合祀されている


大物主(おおものぬし)大神。伊勢神宮ご鎮座2000年奉祝の記念事業
として、平成8年に大国主大神の和魂(にぎみたま)の大物主大神が
宿る磐座(いわくら)を、大和国一ノ宮、三輪山の大神(おおみわ)
神社の分霊として移設鎮座

この神社は、JR・地下鉄桜木町駅から徒歩10分の高台にある。私は新幹線で新横浜、地下鉄約15分で桜木町駅、というルートで行ったが、新横浜からそのままJRで向かってもいい。JR桜木町駅は、もとの横浜駅である。「汽笛一声新橋を~♪」の鉄道唱歌で知られるように、日本初の鉄道は新橋・品川⇔横浜間で開通したが、当時の横浜駅は、今の桜木町駅なのである。


柳生博の一家も、寄進されていた


裏参道の鳥居

伊勢山皇大神宮の境内には桜の木がたくさん植えられ、4月には豪華な花見も楽しめそうである。横浜方面にお出ましのおりには、ぜひお参りいただきたい。

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