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戦慄の記録 インパール(NHKスペシャル)

2017年08月20日 | 日々是雑感
終戦の日、NHKスペシャル「戦慄の記録 インパール」(2017年8月15日19:30~20:43)を見た。本では読んでいたが、当時の貴重なフィルムを探しだし、現地取材を重ねた労作だった。NHKのHPによると(カッコ内は私の補記)、

相手の戦力や兵站(へいたん=補給)を軽視した無謀な戦いで甚大な死傷者を出し、旧日本軍の体質を象徴的に示したとされる「インパール作戦」。「援蒋ルート」(蒋介石政権を支援するために英米露などが物資や人員を輸送したルート)の遮断を主目的とし、ミャンマー(当時ビルマ)からイギリス軍の拠点があったインド北東部のインパールの攻略を目指した日本軍は、この作戦で歴史的敗北を喫した。

餓死・戦病死した日本兵の死屍累々が並んだ道が「白骨街道」と呼ばれるほど凄惨な戦いの実態はどのようなものだったのか。これまでインドとミャンマーの国境地帯は戦後長く未踏の地だったが、今回、両政府との長年の交渉の末に現地取材が可能となった。さらに、新たに見つかった一次資料や作戦を指揮した将官の肉声テープなどから「陸軍史上最悪」とされる作戦の全貌が浮かび上がってきた。数々のスクープ映像と新資料、証言からなる「インパール作戦」の全記録は、決して忘却してはならない悲劇の記憶を、未来へと継承していく。


現地(ミャンマー)の人は、今もよく日本兵の姿(亡霊)を見るというし、白骨は続々と出てくるという。イギリス軍の撮影による、ハエのたかった日本兵の死体の映像も流された。現地の老人は「日の丸」の歌を「白地に赤く 日の丸染めて ああ美しや 日本の旗は 」と上手に日本語で歌った。日本兵が現地の子供の前で歌ったのだろう。私は「ああ美しい」と教わったが、戦前は「ああ美しや」と教えたのだ。「日本兵の遺族がいつ引き取りに来てもいいように」と遺品を残してくれているミャンマーの人々…。

死者の半数は「餓死」と「病死」だった。短期戦のつもりだったので、食料は3週間分。「食料・弾薬は敵から奪え」。中止命令が出るまで4ヵ月かかり、その後、半数が死んだ。中将・牟田口廉也の無謀さとそれを止めなかった大本営。「補給は無理です」の進言に「お前に大和魂はあるのかっ!」。「倒れたら褌(ふんどし)からすべて剥ぎ取られる」。生き残った兵隊の1人は映像を見て「日本の軍隊の上層部が...悔しいけれど、兵隊に対する考えはそんなもんです。(内実を)知っちゃたら辛いです」と涙を流した。

「死体は兵や軍属が多い。下士官や将校は死んでない」。「力尽きそうになった兵士は、力を振り絞って刀の先を自らの心臓にあてた」。「5千人殺したら勝てる」(敵ではなく日本軍の兵士がそれぐらい戦死すれば勝てる)と平気で言う、恐ろしい感覚…。当の牟田口中将は、戦後も生き延びて天寿を全うした。

 失敗の本質―日本軍の組織論的研究
 野中郁次郎ほか
 中公文庫

インパール作戦のことは早くに『失敗の本質―日本軍の組織論的研究』で読んでいた(この本は小池百合子の「座右の書」だそうで、よく売れている)。本書の内容を紹介した「ロータスのブログ」によると、

ビルマ(現ミャンマー)確保を確実にするため イギリス領インドにおける交通の要衝インパールを占領するための作戦。日本陸軍の悪弊である兵站軽視・情報軽視 精神主義・敵戦力の過小評価がまんべんなく出た作戦 日本軍投入戦力10万人のうち、戦死3万、傷病2万 残り5万のうち半数は生死をさまよう病人になった。悪名高い作戦。日本軍の撤退路は白骨街道と呼ばれるほど戦局は悲惨を極めた。

もともとインド-ビルマ間には急峻な山岳地帯があり 雨季には激烈な雨が降るために行軍不能な
地域とみなされており、自軍の攻撃もできない代わりに 敵軍の侵入も困難という認識があったが 制空権を握られ敢行された航空作戦により被害が発生。攻められるならば、早急に手を打って攻めてしまおうと、もともと自軍行軍不能と認識していた地域を超えて敵陣地を急襲する作戦を決行した。

作戦を指揮したのは盧溝橋事件において日本軍を指揮した牟田口司令官 問題なのは上記陸軍作戦戦略の無謀さに加えて、多くの参謀たちが無謀と作戦中止を進言していたにもかかわらず 牟田口と懇意の河辺方面軍司令官は「つきあい」「情」から作戦中止・見直しを指示しなかった。

兵棋演習や、作戦に対する検討が進むにつれて誰かが、どこかのタイミングでストップをかけるだろうと結局誰も明確な中止をせず「体面」を重視して問題を先送りした。さらには寺内南方面軍司令官も 積極攻撃による拠点確保を肯定 杉山参謀総長も「寺内がそこまでいうのなら」と
作戦を黙認 軍事的な合理性・科学ではなく 組織内の融和を重視し作戦を決定した。

一度決行されてからは補給の無い中 急峻な山脈を将兵たちは越え ボロボロになりながら攻撃した。インパール作戦には、不測の事態に備えた代替行動案が無く そもそも代替案を用意することこそが 「必勝の信念」にかけるものとし 敗北思想であるとしたため 英印軍による重火器陣地の構築と 航空機による空中補給作戦実施という新戦法が登場し、戦局が不利になっても 作戦変更が容易にできずさらに突進を繰り返した。

兵器・食糧・人員のすべてが不足しても牟田口司令官は部下の進言を聞き入れず 補給はインパールさえ占領できればどうにでもなるという感覚でいた。困窮した現地指揮官・参謀を自分の命令に従わない臆病者と罵った。

作戦失敗が誰の目にも明らかになってからも 今度は全体の戦局不利打開として インパール作戦を捉え政権維持を考えていた東条首相の意向なども絡まり 作戦失敗の責任に対する保身から 作戦中止を言い出さず、被害は拡大した。

本来組織間の連絡を円滑にするはず人間関係がなあなあの組織をつくりだし 合理的判断より人情を優先したからこそ起きた大失敗の例。「敵をわざと勝たせた」と言われても 仕方のない作戦指導だった。

作戦失敗後に牟田口司令官は「責任を取って腹を切る腹を切る」といいながら 自己弁護に終始
多くの将兵を無駄死にさせた作戦指導者たちを 見ていくとほとんどが戦争を生き残り 天寿を全うしている人ばかり。責任は一体どこにあるのか。


番組には牟田口中将のお孫さんが登場。「(自分の)父は祖父(牟田口中将)と違ってアンチ(戦争反対)だったが、(遺品を)捨ててはいけないという思いがあったのではないか。見たくはないが、捨ててはいけない」と語り、遺品を披露した。勇気ある出演だったと思う。

『失敗の本質』は、「敗戦の原因は何か? 今次の日本軍の戦略、組織面の研究に新しい光をあて、日本の企業組織に貴重な示唆を与える一冊」として書かれている。惨憺たる「インパール作戦」は、貴重な反面教師としたい。
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