“先日、一年に一度の主人の診察のため、電車で岐阜市へ行って来ました。大垣駅で乗り換えのため階段を下りかけた時、発車のべルが鳴り出しました。主人は杖を使っていて、早く歩けません。あと少しでホームという所でドアが閉まってしまいました。先頭の方で確認をしておられた駅員さんに手を振りましたら、すぐにドアを開けてくれました。
岐阜駅からバスに乗り、病院の近くで降りました。主治医の先生が勤務先を変えられ、初めて行く病院で、なかなか見つかりません。近くの仏具店で尋ねたら、店の外まで出てきて丁寧に教えてくださいました。
診察を終え、病院を出てバス停に行こうと横断歩道を渡っていると、若い奥さんらしい人が走って行ってバスを止めてくださいました。お礼もそこそこにバスに乗り込みました。夕方でバスは学生さんで混雑していました。どなたかが「席を譲ってあげて」と言ってくださり、学生さんは快く席を譲ってくれました。降りる時、運転手さんに迷惑をかけたこととお礼を言ってバスを降りました。岐阜の優しい人々に温もりをいただきました。岐阜でお世話になった方々、本当にありがとうございました。 ”(1月9日付け中日新聞)
滋賀県長浜市の主婦・大石さん(78)の投稿文です。これだけ次々と親切を受ければお礼も言いたくなるものでしょう、誰かに伝えたくもなるでしょう、投稿もしたくなるでしょう。席を譲る、道を教える、これはしやすいことでしょうが、電車やバスにはなかなか声が掛けられないものです。それをする人がいた。そしてそれに答える運転手さんがいた。気がつけばいろいろやってみるものです。
こういう文章を読むと、世の中親切になってきた、優しくなってきた、と思うのですが、どうなのだろう。ボクにはいろいろなことが両極端になってきた気がする。どんな時代でもどんなことでも良と悪はある。問題はその割合である。良が多ければ良い傾向だし、悪が多ければ悪い方向だろう。少しでもいい方向に進みたいものだ。ボク個人は少しずつでもいい方向に向かっている気がする。「人は考えた通りの人間になる」「私にとってすべてのことがだんだん良くなる」・・・・30年前の研修で習った言葉です・・・そして、おまじないです。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます