“今でいう小学校高学年のクラスの女児三十六人のうち漢字も同じ名前が私を含め三人いました。親近感が湧いたこともあって意気投合し勉強も遊びも三人一緒で、戦時中は防空壕にともに駆け込みました。しかし中学校卒業後、同名の女子と会うことはまずありませんでした。時は過ぎ、私も八十代半ばとなり、デイサービス施設への送迎バス利用時、男性利用者の奥さまが「百合子」さんであることを知り、うれしくなりました。今やバスで私を見つけた奥さまは「頑張ってね」と声を掛けてくれ、小学生の孫娘二人と手を振ってくれることもあります。同じ名前ならではの縁は深いな。私はそう強く感じています。”(1月13日付け中日新聞)
愛知県大府市の阪野さん(女・89)の投稿文です。同じ名前で近親感を持つ、これはよくあることであろう。女性36名の小学校で3人が同じ名前であった。そして意気投合し、活動を一緒にされた。いい思い出であろう。そしてまた今、同じ名前の楽しさを味わってみえる。人はどこに楽しみを見つけるか、分からぬものである。
実はボクも同じような経験を持つ。小学校低学年の時であるが、男子16人のクラスで、漢字は違うが3人が同じ名前であった。一人はまもなく転校していった。そしてボクは小学2年の時に改名するのである。これは3人が同じ名前と言うことではなく、近所に全く同姓同名の人があったからである。その方はもう90歳であるが、まだ存命である。近所になったのはボクの家が引っ越ししたからである。改名するのに父親は随分苦労したようだ。
ボクと同じ名前、実際にはあまり覚えがないが、テレビなどでは時折見る。確かに近親感を覚える。でもそれはいい人の時である。これが悪い人だったらどうだろう。嫌だろう。同じ名前の人のためにも批判を受けるような行動をしてはならない。
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