“「五輪は即中止」という考えはいまだ変わりませんが、金メダルに輝いたソフトボールには大いに感動しました。五輪競技として十三年ぶりに復活し、北京五輪で「上野の413球」というキャッチフレーズを生むほど見事な投球を披露してくれた上野由岐子投手が、今回の東京五輪のマウンド上に帰ってきて以前と同じく躍動したのです。上野投手をはじめ、この間も不断の努力を続けてこられたソフト関係者には頭が下がります。
しかしながら世界では今も新型コロナウイルスは猛威を振るっています。東京五輪の開催で感染者が一人でも多く増え、死者が一人でも多く出たら・・・。スポーツの感動と、誰かの命とをてんびんにかけるようなことはやはりいかがなものかと私は考えてしまうのです。
戦後七十六年の夏-。海を渡った若者が次々と命を散らしたその昔とは違い、「五輪万歳」と叫んで亡くなる人はまずいないでしょうから。”(8月3日付け中日新聞)
名古屋市の団体役員・中川さん(男・62)の投稿文です。東京オリンピックが決まったのはもう随分前のことであり、今更反対もないが、このコロナ禍である。国民の半数以上が反対とアンケートでは答えていた。それが開催、中止の議論も説明もなく開催された。そして終わった。終わった後にはまたいろいろな意見がでる。反対の人が賛成に回った人も多かったと聞く。日本が多くのメダルを取ったことに寄ることが大きかろう。中川さんのこの投稿はその一つである。ボクの気持ちも中川さんに近い。
このコロナに罹っていない人や医療従事者などのように過重労働に関わっていない人、またコロナで大きく生活が脅かされていない人にとっては、開催が大きく響くことはない。多くの感動が得られて、結果的には良かったであろう。しかし、この国難と言えるような中で、そうした人々を脇に置いておいて、浮ついていて良かったであろうか。これで国民挙げてコロナに対応できるであろうか。こうした人にこそ寄り添うべきではないか。社会はすべてが多数決ではない。弱者にどれだけ寄り添えるか、それが国民の健全性を示す尺度ではなかろうか。ボクにはここがすっきりしないのである。中川さんの投稿文のタイトルはこの後に「もやもや」がついていた。舞台裏もいろいろ報道された。コロナ感染者はますます多くなっている。パラリンピックも開催中である。もやもやは続く。
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