“五歳だった戦時中の一九四二(昭和十七)年秋、写真でしか顔を知らない父が出征先の中国で亡くなりました。やがて松葉づえを突く傷痍軍人のお兄さんと仲良くなり「お父さんになってよ」と冗談で言っていたら、本当に母と再婚し、足が冶った四五年三月、赤紙が届いて再び戦地に赴き秋に帰還しました。
育ての父は農業をしながら私たち子ども四人の面倒を見てくれました。二十歳で嫁ぐ私に、驚くべき話をしてくれました。育ての父は何と実父の部下でした。中国での戦闘で機関銃の弾が足に当たって負傷、いざ帰国するにあたり実父から「妻子に自分が元気だと伝えてくれ」と言われたとか。帰国後、実父の戦死を知り、幼い私を見て「この子を育てよう」と決意したそうです。その十一年後、五十五歳で病死しました。こんな二人の父に思いをはせる機会が増えた今日この頃です。”(7月13日付け中日新聞)
三重県津市の松田さん(女・85)の投稿文です。戦争は勝っても負けても国民には悲惨です。負ければ尚更です。松田さんは実の父を戦争で亡くされ、そして育ての親とのこの巡り合わせ。育ての親の優しさに、何とか救われた思いでしょう。
人生にはいろいろな巡り合わせがある。ないようでもあるのが人の一生である。ボクなども特に取り立てて言うようなことは無いと思っていた。ところが最近になっていろいろなことを知った。まずボクの父について、私生児でもらわれ子だろう、と言うことは戸籍を見て気がついていた。だから、父と祖父には実際の血のつながりはないとズッと思っていた。ところが祖父の妹、つまり叔母さんの子であることを昨年知った。何かホッとした思いを抱いた。数年前のことである。義弟が突然死をした。相続手続きをしている間に、義兄があること分かった。これには驚いたが、何とか相続問題はうまく解決できた。そして思ったのは、父母は元より親族の方にいろいろ聞いておくべきある、と言うことである。
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