“「こないだ、見つけてねえ」。母が一冊の手帳を出した。紙は相当傷んでいた。「じいちゃんのだよ」。母の言葉で開く手が止まった。祖父は他界している。手帳は祖父の出征の記録だった。見覚えのある字で書かれている。めくるうち、私は覚書に目がくぎ付けになった。「昭和十九年七月十六日宮古島着」「昭和二十年八月四日マラリア」「昭和二十年十一月十七日陸軍病院退院」つまり祖父は、「鉄の暴風」が吹きすさぶ沖縄で戦っていたことになる。そして重病にかかり、戦線を離れた。
母は戦後生まれである。祖父が生還しなかったら、私は存在していないという当然の事実を、いきなり手帳から突きつけられがくぜんとした。私は社会科の教師で、沖縄戦は何度も授業で扱った。解説がどれだけ教科書的だったかを思い知らされた。人ごとだった戦争が、私ごととして強烈に迫ってきた。次の夏、授業に手帳を持ち込んだ。生徒に見せ、顛末を話した。
「先祖が必死に生き抜いた結果、私やあなたたちの命が存在することは間違いないです。だったら、継いだ命として、自分の命を扱わなくてはと思うよ。だから、命を壊す戦争や行為は、それこそしたらいかん」伝わっているといいが。”(5月20日付け中日新聞)
愛知県豊田市の教員・杉田さん(女・42)の投稿文です。重い話である。そして大切な話である。人は誰一人として一人では存在しない。杉田さんの言われるとおり、先祖があって、親があって自分があるのである。これは最近ボクもよく言うことである。墓終いなど先祖と縁を切る話が多い世の中である。自分一人で生まれ自分一人で育ってきたと思うと、傲慢になったり、命を粗末にすることにもなる。自分は自分一人ではないことを意識して、自分の命も他人の命も大切であることを心しなければいけない。
実はこの話は、ボクにもあるのである。父も戦争に行って、左小指に球が当たり負傷した。そして、病院に入院した。その後遺症で父の小指は生涯曲がらなかった。杉田さんのお祖父さんのように、これでもう戦争に行けなくなって命が助かったのか。ボクは昭和20年9月生まれである。考えればそんな気がしてくる。
しかし、これ以上のことは知らない。もっと聞いておけばよかったと、今になってつくづく思う。もっと聞いておけばこの話ももっと書けるのに、これ以上書けない。これも父のことをあまり思っていなかった結果である。気がついた時には遅いのである。
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