天真寺日記

天真寺の日々を綴ります

報恩講、近づく

2008-10-20 12:09:08 | 雅楽教室
10月の雅楽教室を終えました。





今月は新しい方が3名加わって下さいました。
うち2名は楽器を触るも吹くも初めてで、音が出る喜びを体験していただいたようです。

練習曲は「五常楽」、メンバーで来月に迎える報恩講で演奏に加わります。
まだまだ仕上がるには時間がかかりそうですが。。一つの区切りとして、頑張って
吹かせていただこうと思います。

最後に「ふるさと」を合奏。
こちらも毎年大好評な報恩講の法要前に行われる「雅楽ミニコンサート」で演奏します。

いよいよ報恩講が近づき、一年が過ぎる早さを実感します。
11月は法要前日にお稽古の予定です。

22日(土) 午後3時  前日のお稽古
23日(日) 午前10時 本番です!



で今月もお稽古終了後に、お疲れさま会。





Tさん特製の具だくさんのお鍋で、一杯となりました。
Tさん、とっても美味しかったです~。
ごちそうさまでした。

(静)




朝のお参り

2008-10-19 20:29:42 | 天真寺
今日はお朝事(=朝のお参り)のご紹介をします。

天真寺のお朝事は、毎週日曜日の午前7時より行われます。

本堂にて、正信偈六首引繰り読み・御文章・七分法話。
その後、和室にてみんなでお茶を楽しみます。





本日の担当は私タツヤ。

ご法話では、本日のご和讃

本師道綽大師は 涅槃の廣業さしおきて 
本願他力をたのみつつ 五濁の群生すすめしむ

高僧和讃の道綽讃を頂き、先日訪れた多摩全正園での体験談、そして「五濁」のお話しをさせていただきました。

朝は仏さまにご挨拶をしてから始まります。
それとともに、なによりも皆様との朝の憩いの一時が楽しみであります。

どうぞ、お朝事にお参り下さいませ。

(龍)

ハンセン病を考える

2008-10-17 19:08:10 | 日々
ハンセン病ほど、でたらめな偏見にさらされてきた病気はない。仏罰、血筋の汚れ、うつりやすい、不治……。恥ずべき差別史は、社会や個々人の「成熟度」を問うてもいる。国立ハンセン病資料館(東京都東村山市)の企画展「ちぎられた心を抱いて」を見て、胸に手をあてた

▼この病ゆえに、各地の療養所に強制収容された子どもたちの記録である(11月末まで)。家族から引き離された心細さ、恐ろしげな白い予防着の職員。震える心が、作文などに滲(にじ)んでいる

▼昭和初期、患者の強制隔離が国策となる。各県は「根絶」を競い、少年少女も「すぐに親元に帰れるから」と連れてこられた。所内の学校に通ううち、塀の中で一生を終える定めと知る。いわれなき隔離は戦後も続いた

▼絶望の中の至福は面会だった。少女の短文がある。〈お母さんは、私を見ると「千砂」と言ったまま、お泣きになった。私も声を出してわっと泣いた。思って居た事を、言おうとするけれど泣きじゃくって、声が出なかった〉

▼離れていても愛されている、と確かめる術(すべ)が郵便だった。千代子さんの、これは詩だろうか。〈てすりにもたれている友/目かくししようと思って/そっと後(うしろ)にまわったら/手紙をもって泣いていた〉

▼かるた、ひな人形、運動会の写真。閉ざされた四季が並んでいる。宝物は、肉親と暮らした遠い記憶だったのだろう。康子さんの詩の冒頭を記す。〈思い出は/私の胸の小さな銀の箱にある/そんなものがあるってことも/中に何が入っているかも/誰も知らないの〉
(朝日新聞朝刊10.17より)

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本日10月17日(金)の朝日新聞の朝刊「天声人語」であります。

人間の犯してきた差別・偏見の末に多くの命が悲しい人生を送ることを余儀なくされてきた歴史があります。。

昨日、私も東京教区青年僧侶の研修として、多摩全生園そして、国立ハンセン病資料館を訪れました。

この度は、真宗会館にてお勤めをさせていただき、浄土真宗大谷派僧侶S先生よりハンセン病の実情のお話を聞いた。
その後、多摩全生園内をご案内を頂きました。


(少年少女が生活をしていた場所)


(礼拝堂跡の瓦)



(合葬墓)


園内を歩いていると、そこにお住まいの方とお話しすることができました。



ハンセン病に感染すると、肉親と別れ、患者専用の列車に乗せらる。列車の降り口はホームのはずれ、しかもそこから飛び降りる。いばらで隔離された園内では、名前は変えられ、強制労働を強いられる。


家族から送られてくる食べ物が職員の手に渡ることもあった。
それに対して異議を唱えれば、独房に入れられる。
食事は、味噌汁と握り飯一つ、冬は-20℃・夏は60℃になる狭い部屋に閉じ込められる。


洗濯主任の青年は、破れた長靴では、神経痛に良くないと、新しいものとの交換を要求。しかし、要求は通らず、草津にある重監房に送り込まれる。そこは、厳しい監房、青年は短い生涯を閉じた。

◇園内の人が亡くなった時には、みんなで喜んだ。
なぜなら、こんな苦しい人生を終えられるからであるという。



人間として生きる権利も自由も奪われる。
こんな現実があるのかと、聞くに堪えない話ばかりでした。

そんな状況下で、生まれてきた歌があります。

曲名は「しんらんさまはなつかしい」

1 かぜもないのに ほろほろと だいちのうえに かえりゆく
  はなをみつめて なみだした しんらんさまは なつかしい

6 まづしきものの てをとりて われもさびしき ぼんぶぞと
  だいちのうえに ひれふした しんらんさまは なつかしい

上記は1番と6番ですが、この歌は7番まであります。

親鸞聖人を懐かしむ歌であります。

人権を奪われ、自由を奪われた状況下で、「いし・かわら・つぶてごとくなるわれら」といわれた親鸞聖人のおこころに出遇われた。

「いし・かわら・つぶて」とは見向きもされないもの。

「その見向きもされないものを救ってあげよう」というのではなく、
「私シンランもいのちの光を見失ってしまう凡夫。その私を照らし続けて下さる仏の願いの世界を生きることの中に、光輝くいのちを一緒に歩もう」という親鸞聖人の御同朋の世界、ともに歩んでいく道に出遇われた。

「ひとりじゃないんだ、大悲の仏さまは一緒に悲しんでいてくださっているぞ」と、仏の願いを聞きながら、苦境を乗り越えていかれた方々の思いが言葉となった歌が、「しんらんさまはなつかしい」であります。

S先生が「(浄土真宗とは、)人間であることを回復する道」とおっしゃっていた。

ハンセン病による差別偏見で苦しんでいる人たちを思うと、私が私らしく、あなたがあなたらしく生きていく世界を築いていきたくことが私たちの使命だろうと実感した。


多摩全生園のホームページです

http://www.hosp.go.jp/~zenshoen/

(龍)






築地本願寺寺基移転350年記念法要

2008-10-13 09:13:33 | 仏教
ただいま、築地本願寺にて寺基移転350年記念法要が厳修されております。

1617年に浅草に築地別院が建立されましたが、1657年明暦の大火にて焼失。
幕府は江戸の復興を考えており、築地本願寺に与えられた場所は八丁堀の海上。
そこに、佃島門徒が中心となり埋め立てをして本堂が建立されました。
それから、350年の歳月が流れたのであります。

その寺基移転350年を記念して法要が執り行われております。

稚児行列があったり、人気お笑い芸人によるライブがあったりと盛りだくさん。

その企画のなかに、キッズサンガ「つきじキッズクラブ--350交流会--」があります。ここでは、クイズをしたり、お稚児さんをしたり。今回は、そのお手伝いをしてきました。

この企画のメインは、「バルーンアート」。

私もバルーンアート暦一年。
バングラデシュやインドの子どもたちに披露をして以来、すっかりはまってしまいました。

今回は、バルーンアート全米チャンピオンSHINOさんがいらっしゃるということで楽しみにしておりました。

プロの技術は、さすが。
アっという間に、人間・バイク・フルーツバスケットを作っていきます。
ショータイムの後は、子どもたちも一緒にバルーンアートを体験しました。

バルーンアート恐るべし、大人にも子供にも大ウケです。

わたしも、もうちょっと本気に練習しようかなと思います。

また、今日も法要があります。
今日の法要には、恩師内藤知康先生が来られるので、ぜひお話を聞きに行きたいなぁと思っています。

http://www.tsukijihongwanji.jp/tsukiji/0810_2.html
(法要のご案内)

ぜひぜひ、皆様もご参拝下さい。

(龍)