天真寺日記

天真寺の日々を綴ります

観音の化身

2009-04-28 23:46:26 | 天真寺
先週末、大学院時代の友人の結婚式に出席するため山口県に行きました。
天真寺の彼岸法要でも、お法話を頂いたことがあるFさんの結婚式です。

Fさんのお寺は、日本海沿いにあるとは聞いていたが、お寺の隣に漁港があるのどかなお寺でした。







その町のお寺の跡取りの結婚式ということで村中の人たちがお掃除等々のお世話を下さったとのこと。

この度、私たちは、結婚式・披露宴と雅楽演奏というお手伝いをさせていただいたが、とても感動的な結婚式となりました。


この度の結婚式では、

司婚がK勧学
仲人がA司教夫妻

がおつとめになりました。

結婚式・披露宴と、新郎がK勧学のお話を多くの人に聞いてもらいたいという願いもとK勧学の御法話がありました。

私は、披露宴では聞けませんでしたが、結婚式でのご法話をご紹介します。


《僧侶の妻帯について》


元々僧侶は結婚しなかった。それは、お釈迦様が世俗を出て出家をされた。
そのみ後を慕い、後に続くものは一切の相続権を破棄して、姓を捨て、裸一貫で生まれ変わり、釈迦の弟子として修行をはじめた。

それが、大乗仏教に入ると出家者だけでなく、僧俗・出家在家の壁を越えての救いを実現すべきだという方向へ向かっていく。

といいましても、僧俗・出家在家にはあつい壁がありました。
それを、なしくずしに、出家でありながら妻家庭をもっていた人たちは多くいた。
そうではなく、在家と出家の隔てを行動で克服して、在家の生活がそのまま真の仏道であると証明して下さったのが親鸞聖人なのです。
 


《結婚をする意義》

親鸞聖人と恵信尼さんご夫婦はお互いに夢をご覧になられた。
それは、お互いが観音様の化身であるという夢である。

その後、お互いを観音様の化身と仰いで生きて行かれた。
観音様は、阿弥陀様のお慈悲の徳を顕す菩薩。

では、慈悲の徳とは?

相手の悲しみを共に悲しみ。
相手の痛みを共に痛む。
この痛みを共感する心、これが慈悲の心。

慈悲の悲は、他人事としてではなく、自らのこととして受け止めていく。
それゆえに心から相手の幸せを願ていいく。
それを、慈悲の慈という。

お釈迦様は、これが仏道の根幹であり、心豊かな人生なんだと教えてくださった。
その象徴的なお方が観音様。

きれい事ばかりのの人生ではない、辛いことがあり、苦しいことがあり、嫌なことが合っただろうと思うが、お互いに心の中でお互いの中で観音様の化身として生きていくというすごい人生を歩まれたのが親鸞聖人。

そこには、仏道としての人生が開かれてきた。

というようなお話を頂きました。
大分大まかに書きましたが。


私なりに言えば、人生生きていれば、いいこともあれば、悪いこともある。
好きだと思ったり、嫌いだと思うこともある。
そんな自分の思い通りにしようという思いの中で生きていると、自らが自らを苦しめる生き方となってしまう。
そういう私たちの価値観を超えた世界。
お互いを観音様の化身として仰いで生きていく世界。

それは、山あり谷ありの人生をこの人とであえたから一緒に歩くことが出来るのだと、共に歩んでいく人生。


とても有り難うご法話で御座いました。

なによりも、お二人おしあわせに!!!

(龍)