天真寺日記

天真寺の日々を綴ります

築地仏教文化講座

2006-10-01 13:21:49 | 仏教
昨日は築地本願寺で月一回開かれる「仏教文化講座」に坊守と一緒に参加してきました。
ご講師は、大学時代私も弟もお世話になった内藤知康先生(本願寺派勧学・龍谷大学教授)ですから、お話を楽しみにしていました。
講題は「やわらかな眼」
先生が昨年出版された初法話集のタイトルでもあります。

「やわらかな眼」とは、“それぞれのいのちのかがやきを見ること”
私たちはものにレッテルを貼って見ています。
それが決めつけとなり、なかなかその本質、そのもののかがやきが見えにくくなってしまうのです。

先生は友人に「やわらかな顔」「やわらかな心」とはよく聞くけれど、「やわらかな眼」とは聞かないな~と言われたそうです。

「やわらかな顔」とは「和顔愛語」、大経にも出てくることばです。
なごやかな顔、愛情のあることばで人に摂すること、をいいます。

「やわらかな心」とは、柔軟心。これはとらわれない心です。
そして「やわらかな眼」の「やわらか」とは、これに通ずる意味だそうです。
私たちは「自分は正しい」と思って生活していますが、これがすなわちとらわれた心といえます。
そこから離れ、やわらかな考え方やものの見方ができること、要するに自分の間違いを認められる心を持つことが大切なのです。

聞いたり書いたりすることは簡単ですが。。これが実行となると本当に難しい。
本当に自分は正しいという思いこみを持ってしまったり、
間違いに気づいても意地を張り、なかなか素直にはなれなかったり。
日頃の自分の生活を思うと、反省します。

仏教とは、「正しく物事を見ること」その智慧を身につける教えです。
そのためには、生活を正しくし、心を安定させ、正しくものを見ていく。
正しくものを見るとは、ありのままに見ることです。
私たちは自分の考えを通して、色眼鏡をかけて物事を見ています。
物事を正しく、ありのままに見ることが“さとり”であり、
それをできた人がお釈迦さまなのです。

昨日は法事の後、バタバタ慌ただしくお出かけしました。
忙しかったり、イライラしていると、顔まで知らないうちに険しくなっているものです。
「やわらか」って、改めて意識してみると、穏やかなイメージがわく優しいいい言葉だな~と思いました。
普段からちょっと心に留めておこうかな、と感じたことです。

(静)