天使幼稚園

カトリックの精神に基づいて未来を生きる子どもたちを育てます

<園長だより12月号>共感

2019年11月22日 08時30分10秒 | 園長だより
 先日あるテレビ番組を見ていると「共感」をテーマに取り上げていました。その中で、お母さんがお父さんに子どものことを相談していると、お父さんがそれはこうするべきだと話し、それに対してお母さんは「そうではなくて。」と、もやもやする気持ちが湧き上がってきたという場面が紹介されました。お母さんとしてはどうすれば良いかを指示されることより、自分の気持ちを分かってほしいという思いが強いのに、それを理解してもらえず、もやもやした気持ちになっていたようです。

 そこで登場した専門家が、男性はかつて家族を養うために狩に出かけ、どうすれば獲物をしとめられるかを考えたという経験から、どちらかというと論理的な視点を持ちやすく、女性はその間に子どもを育て、まだ話ができない子どもの思いを推し量り共感するということを大切にする傾向があり、それが男性、女性それぞれの特性となり、すれ違いが起きる原因になることがあると話していました。

 ここで取り上げられた「共感すること」は、人と人とが共同で社会生活を送る中、とても重要なものであり、まして子どもたちを育てていく時、子どもの思いに共感してあげられることは本当に大切な位置を占めています。

 わたしが幼稚園に通っていた時の出席帳の5月のページを開くと、2週間近くお休みが続いています。その時期、幼稚園に行くのがいやでずっとお休みしていたのです。ある日、叔母が一緒に出かけようとわたしを連れ出しました。「ようちえんにいかない?」「うん、いかないよ。」と言いつつ、幼稚園に連れていかれ、大泣きしつつ先生に預けられました。その日の帰り、また叔母が迎えにきて、もう泣き止んでふつうに過ごしていた様子を見て「ほら、やっぱり楽しかったでしょう。」と。そのとき、そんなに楽しくなかったのに、一方的に「楽しかったでしょう」と言われて嫌だったことを鮮明に覚えています。あの時「今日はどうだった?」と聞かれていたら、もっと違う思いを持ったのではないでしょうか。

 小学校に入ると教会の土曜学校に通うようになりました。自宅から1kmほど歩いてバスに乗り、2停目で降りて、また700mほど歩き教会までたどり着きます。当時、毎週こうして教会に通うのがいやで、いつも休みたいと思っていました。2年生になったある日のこと、その日も行きたくないのをがまんして土曜学校に行きましたが、開始時間にちょっと遅れてしまいました。当時、土曜学校に行くと「こじか」という子ども向けの雑誌をもらっていました。その日は「こじか」が足りなかったのでしょう。担当の神父様から「今日は遅れてきたから罰で、こじかはあげません。」と言われました。行きたくないのをがんばって出席したのに罰を与えられるなんて。その日の夜、両親にあの神父様の土曜学校には絶対行かないと宣言し、しばらく教会学校を休む日が続きました。これも、「どうして遅れましたか?」と聞いてもらえていたら、もっと異なる対応をしてもらえたのではないでしょうか。

 どちらももう60年以上も前の出来事だけれど、これほどはっきり覚えているということは、理解してもらえなかったという思いはそれほど大きかったようです。

 おとなになると、自分の体験や価値観で、子どもたちもこう思っているだろうと考えたり、子どもたちの思いを推し量ることなく、こうしなさいと指示したりすることが数多くあるもの。でも、子どもには子どもなりの思いがあるものです。そのような一人ひとりの思いを聞き出し、共感しながら子どもたちと接してあげることができると、子どもたち一人ひとりも心穏やかに過ごし、もっとがんばろうという気持ちを持つことができるのではないでしょうか。日々の生活の中、目の前の子どもの思いに「共感できているかな」と立ち止まって考えることって大切ですね。

 ところで、そんなわたしも、高校生になると3年間無遅刻無欠席を続けて皆勤賞を頂いたり、カトリック高校生会の活動にのめりこんで教会に入り浸りになったりするのですから、先のことは分からないものです。
                  (園長 鬼木 昌之)


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