地下鉄2号線の東直門駅~東四十条駅~朝陽門駅を結ぶ二環路の内側は、旧い北京の倉庫群がまとまって設置されていたエリアで、元朝時代に造られた倉庫群を基礎に、明朝・清朝時代に整備・拡張が進められたのだそう。総称“海運倉”と呼ばれていることからも分かる通り、「南糧北運」により、黄河流域で収穫された穀物などの食料が、運河を通じて北京にまで運ばれてきて、その際の船着場があって船荷の集積場所がこのエリアであったため、倉庫群になったもの…。確かに、今でも、運河の名残のような地形を見てとることができる。
さて、北側は主に“北新倉”と呼ばれていたエリアで、今は、学校や病院・団地となっていて、正直、当時を偲ぶことができるものは、ほとんど残っていない。一方、南側エリアは、主に“南新倉”と呼ばれていたエリアで、こちらは一部の建物が整備された上で、今は、北京ダックで知られたレストラン・大董等の商業施設が集まるエリアとして利用されている。
どちらも、主に穀類関連の倉庫が集まっていたのだけれど、清朝滅亡後は、主に陸軍が収容し、軍用被服工場や弾薬庫として使用されていたとのこと…。いずれにしても、manamiのこの日の散策は、とっても地味なものだったね!
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