で、食事が終わったら、今度は、北側に東西にのびる府学胡同を、あてもなくフラフラ…。
と、ここで偶然出会ったのが、文天祥祠(府学胡同63号)。南宋の軍人・政治家で、南宋が滅びた後は元軍の捕虜になり、何度も元に仕えるよう勧められながらも、最後まで南宋への忠節を貫き処刑されてしまった文天祥(1236年~1283年)を称えた祠。ということで、manamiは人も疎らなこの小さな四合院を、入場料5元を払って、ちょこっと見学。
が、もっと関心を持ったのは、その隣にあった府学小学(府学胡同65号)の方。部外者のmanamiは、当然、敷地内には入れなかったのだけれど、外観からして歴史を感じさせる風情ある造り。実際、歴史を辿れば、1368年に開校した明清朝時代の官学校“順天府”であった場所なので、700年近くも“学びの家”としての役割を果たしてきた学業の専門地。
現在、府学小学から有名校への進学率などがどれほど高いかなど評価は分らないけれど、「優秀な先生が多く集まる学校」という評価にはなっているようで、この日も多くの保護者や塾の勧誘者が、学校の前に溢れていた…。
あ~、歴史的建造物も残っているみたいだし、敷地内に入って、歩いてみたいな~。
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