(TxT)<戯れ言ですよ

とみーのにっき&おえかきちょう

ドキドキ!プリキュア 第49話 あなたに届け!マイスイートハート!

2014年01月26日 | ドキドキ!プリキュア
パルテノンモードは何か意味あったんですかね?

 そんな今回のお話は…
 ついにキングジコチューを倒したプリキュアたち。トランプ王国の王様も助けることができて、人間界も守ることができた。これで平和な日々が戻ってくる…!
 ところが、シャルルにはまだ、“闇の鼓動”が聞こえてくる。一体どこから・・・?
 そこにいたのは、伝説の戦士・キュアエンプレスでも倒せなかった最強のジコチュー、プロトジコチュー!
 「この世を再び、闇で覆い尽くす!」
 そんなこと、絶対ににダメ!!マナたちはプリキュアに変身!レジーナも力を合わせて、プリキュア最後の戦いが始まる…!
 以上公式のあらすじ。

 お話は、まぁ最強のジコチュー、プロトジコチューとやらを浄化してエピローグですわな。そんなわけなのでお話云々に某はない。
 前回引っぱったベールは逆に取り込まれる格好になって、最強のジコチュー、プロトジコチューが登場する。1万年前のプリキュアが三種の神器を擁しても封印するに止まった的であることを示しますが、まぁそんなんはここへ至って浄化せんでどうするという話なので、展開的にもはやここに書く意味は無い。
 そんな中、わたくしとしましては興味深い点がありまして、まず、全てを消し去って全宇宙を支配する、とするプロトジコチューに対してのキュアハートの反論。
 彼女の論理を要約すると、誰も居なくなったらジコチューはジコチューでいられなくなる。というもの。正直、言われて初めて「あ、そうか」と思いましたよ。
 わがまま放題し放題は、誰かがいて成り立つことなので、ジコチューの存在はジコチューじゃない者がいて初めて存在し得るのだ。まぁつまるところ、プロトジコチューのやろうとしていることは、自己否定になってしまう矛盾が出てきてしまったのだ。
 そこだけ見ると、スイートプリキュア♪のラスボス「ノイズ」みたいですが、ノイズは自分が人間の負の感情の固まりであることを嫌い、人間を石化し感情の必要性を無くして、全てが静寂に包まれ感情がなくし、忌むべき自分の存在を消すことが目的であった。だがこのプロトジコチューはノイズほど考えてはいないようで、どちらかというともっと単純なのだ。
 自分のしていることが自己否定に繋がることなんて全く考えていなかったようで、要はやりたい放題したいだけなのだ。そう考えると、欲求や欲望の権化、みたいなモノだったのではなかろうか。
 そこからマナの論理をすりあわせて、最終的に彼が浄化されたことを踏まえて考えてみる。
 自分の好きなようにやってしまえば、当然他人から敬遠されることとなってしまって結局ひとりになってしまう。マナの論理にあるように、誰かがいないとジコチューはジコチュー足り得ないので、またよそへ行って同じ事しての繰り返しとなる。ということはだ。ジコチューは他人を欲しているということにならないだろうか。
 そこで今回のキュアハートことマナを見てみよう。彼女はプロトジコチューにプシュケーを黒く染められて抜き取られてしまうのだが、マナのプシュケーはすぐさまピンクに染まり直し、何度ジャネジーを送り込んでも黒くは染まらずマナの元へ還っていく。そして浄化直前、プロトジコチューは人間の我が侭な心がある限り、自分は何度でも蘇るとすると、マナはそれを分かると言うのだ。自分にもそういう気持ちがあるのだと。マナのプシュケーが黒く染まったままでいなかったということは、そういう負の部分を否定せず、受け入れて、全てを含めて愛しているのだ。そして、たとえ愛を見失ったとしても、自分には仲間がいて、支え合っているから絶対何度でも立ち向かう。とすると、プロトジコチューはついに浄化されてしまう。
 どこが浄化されるポイントなのか、今ひとつピンとこなかったのだけど、この感想を書くにあたって上記を考えてみた所、ジコチューは誰かがいないと存在足り得ない、しかし消えた所で人間の中にあって何度だって蘇る。マナはそれで良いと存在自体を肯定し、あなたが欲望を完結してひとりぼっちにならないように、何度だってあなたの前に立ちはだかって、みんなもジコチューも守るとした。つまりプロトジコチューでさえも、マナは愛したのだ。
 妬みも、そねみも、つらく苦しい思いも全て自分の中にあって全部分かる。だから何度だって自分と、みんなで受け止めてあげる。としたのだ。上記したようにジコチューが他人を欲しているのであらば、これほど嬉しいこともないだろう。
 
 と、この最終決戦は、説明的な部分がほとんど無く、自分なりに解釈してみたら、こんなふうになりましたが、どうでしょう?
 まぁ解釈は人それぞれなのでこれくらいにしておきまして、物語的な盛り上がりとしては、アクション大好きなわたくしとしては、もっとガチンコでやり合ってくれた方がおもしろかったのですが、最終的に愛して終わるのであらば、あんまりガチで戦闘できないってのはありますわな。
 あと、冒頭にも書きましたが、キュアハートパルテノンモードになった意味が今ひとつ無い。せっかく5人とレジーナがいるんだから、みんなでなんとかしてなんぼだと思うんですよねー。みんなの思いをひとつにしてという意味であったならば、なおさらみんなで戦った方がそれっぽい気もしますし。最後は主役が決めるということでもあるんでしょうが、私としては、プリキュアの魅力はチーム力だと思うので、その辺がちょっと残念であった。

 さて、浄化したら後はエピローグですが、その前に忘れてはならないように我が麗しのアン王女さまについて触れておりました。
 ちょっと前の感想にも書きましたが、この物語で唯一存在がなくなってしまわれただけに、しっかりと決着は付けておかねばなりませんものね。まぁメインターゲットの皆さまはその辺どーでもいーのかもしれませんが、物語としては綺麗に収めておかなければならない。
 結局は、アン王女の存在を犠牲にしなければ丸く収まらなかったわけで、けれど2つに分った心は亜久里とレジーナというふたつの命に転生し、王女の命その物はアイちゃんとなって、いなくなったけれどいなくなったわけでもないという、以前の感想に書いた通りになりました。ああ、でも真琴としてはけっこうつらいよなぁ。納得はしたであろうけど。でもあれかな、アイちゃんを猫可愛がりして成長を楽しみにしてそうなので、良いのかな(笑)。

 エピローグとしましては、4月になって進級し、どうもレジーナは12歳だったようで(亜久里と同い年じゃないんだ)大貝第一中学へ入学、国王は引退し、キングジコチューが開けた穴はそのまま残ってトランプ王国と自由に行き来できるようになり、気障男ジョー岡田がトランプ共和国の初代大統領に就任(国王が引退し王制ではなくなった為。おそらくは責任を取ったのだろう)、真琴は異世界の歌姫として世界中で大ブレイク、そしてプリキュアとしての存在を知られてしまったマナたちは……今もプリキュアとして総理大臣から頼りにされるくらいがんばってます。という感じになりました。
 まだプリキュアやってまーす!という終わり方は初めてですね。まぁ相田マナという人間を考えれば、それはアリのような気がします。でも、プリキュアって何歳までやってられるんですかね。コスチュームが入らなくなるまで?(笑)

 最後なので全体的な感想としましては、いやもう随分と楽しませていただきました。
 物語としては、割と中盤でダレる4クールの長丁場なんですけど、これまでのシリーズに無い、いくつかの章で分けて物語の興味を最後まで引っぱっていたと思います。亜久里、レジーナ、王女さま、キングジコチューの関係の情報をちょいちょい出していって、最終的にちゃんと見事にまとめたのだから見事なシリーズ構成だったのではなかろうか。
 お話としても、キャラクターの心情がよく表れていて、キャラクターをひとりの人間として感情移入してみることが出来ました。個人的には六花さん話が秀逸。特には1クール辺りのお話はとても見応えがあったのは、その辺の感想を見ていただければ分かる通りであります。やっぱり「あぁ、こういうことなんだな」と見て取れる、キャラクターが考えていることが分かることは重要で、それがあって初めてキャラクターの人となりが分かるというものである。
 そういった中で、キャラクターたちの関係性が見えてきて、画面に映らない部分を想像できるもので、想像できるということは、それだけの情報があってお話に無い部分を自分で想像し楽しんでいるということなので、やはり楽しませていただいたという他無い。
 キャラクターの話になったのでその話をしますと、心情がよく分かるようになっているので、それが分かるとちょっとした台詞や仕草にらしさが見えてくる。それが積み重なって人物を形成していき確固たるキャラクターとなっていて、このドキドキ!プリキュアのメインキャラクターたちは活き活きしていたように思います。個人的にはもうちょっと、レジーナと亜久里を突っ込んでも良かったかなーとは思いますが、マナ・六花さん・ありす・真琴の4人は、彼女らがずっとキャイキャイしているのを眺めていたいくらい良い関係性を見せてくれて気持ちが良かった。見ていてこの4人は本当に親友なんだなーという気がするのです。

 良いことばかりなのもなんなのでちょっと残念な点も。
 いつかの感想にも書きましたが、派手さに欠けるということがます挙げられる。アクションシーンで目を見張るような所はほぼ無かったし、バンク技は迫力に欠けるし、熱いバーニングハート的な所もあんまりないですしねー。そういう意味ではカッコ良さが無いと言っても良いのかもしれません。
 最後まで見てみれば、基本的に「愛する」ことがテーマであるし、主役のマナ的にも、悪いヤツをぶっ飛ばすぜー!みたいになっちゃうのもおかしいので仕方なかったのだろうとは思いますが、どこかに特化した部分があって欲しかったように思います。例えば「愛」がテーマなんだから、どこかでこれはどうしても泣いちゃうだろ、というような泣かせ所があったりだとかの、物語の中での大きな抑揚があって欲しかった。どこか中庸、というような印象があるのはもったいない。
 あと、とても気になっているのは主役のマナである。彼女の行動原理が語られなかったのは残念至極だ。
 一応は、映画の方で補完している格好にはなって入るのだけど、それがちょっと弱いんですよね。おばあちゃんは確かにマナを形成するひとつではあるんですけど、1万年前に世界を恐怖に陥れた闇を愛しちゃうくらいなんだから、もっと強烈なインパクトをマナに与えた何かがあったはずなんですよ。それが分からないから、私の中でマナが一番影が薄い(プリキュア4人の中での話)。
 他のみんなは性格を形成するバックボーンが語られているので、その行動に疑問をもたないのだけど、マナの善行は背景が語られていないので、愛が深いことは分かっても、なんでそうまでするのかが見えてこない。まぁ要するに理由が見つけられないので、私の中でマナは、なんだかよく分からないけれど愛を振りまく人になってしまっている。
 主役らしくいつも中心で、みんなをグイグイ引っぱって、精神的にもチームの支柱なのだから、「なるほど。これがあったからこその相田マナか!」と思わせる何かを語って欲しかったなぁ。

 まぁそういう難点はありはしましたが、マナを始めとするキャラクターたちの人となりが読み取れ台詞や行動が腑に落ちるし、そういった中でトランプ王国で起こった騒動を絡ませつつ、伝説の戦士プリキュアとなった少女たちの愛と友情と成長の物語とお話は本当に楽しく見た。毎週彼女らがどんなことをしてくれるのかなーと楽しみでしたよ。
 派手さが無いので勧善懲悪みたいなのを期待していると、退屈に感じるかもしれませんが、むしろそっちではなく、マナたちがどういうことを考えて、どういうことに気付き、どういう想いでいるのかなーと考え、読み解きながら彼女たちという人物を楽しんだ方が、この物語をより楽しめるのではないでしょうか。


今週のマナ大好き六花さん
 最終決戦では特に某ありませんでしたが、エピローグでは中3になって受験勉強に勤しんでおられました。趣味の競技カルタは捨てずに続けていらっしゃるようでなにより。
 44話でありましたように、六花さんのことですから、高校はマナとは違う道を選ぶんでしょうねぇ。きっと来年の卒業式とかボロボロ泣いちゃうんだろうなぁ。とか思ったり。
 ああ、でも一緒にプリキュア続けているし、家もすぐ側なので泣くこともないのかな。ってゆーか、別の高校になったら六花さんの心配事は増えるでしょうねぇ。何せマナはあのジゴロっぷりですから。
 「また違う女を友達と称して連れてきたーっ!もうっいったい何人いるのよーっ!!」とかになりそう(笑)。

今週のまたみてね
 最後のまたみてねは「マナ・六花さん・ありす・真琴・亜久里・レジーナ・アイちゃん・シャルル・ラケル・ランス・ダビィでありがとう」でした。
 キャラデザ高橋晃さんの書き下ろしイラストです。みんな集合のスナップ写真みたいで可愛い。

ドキドキ!プリキュア 第48話 ドキドキ全開!プリキュアVSキングジコチュー!

2014年01月25日 | ドキドキ!プリキュア
巨大生物VS巨大妖精 怪獣大決戦!(笑)

 そんな今回のお話は…
 レジーナの心にドキドキを取り戻すことができた…!だけどレジーナの裏切りに、キングジコチューの怒りが爆発する…。
 「やめて、パパ!」レジーナの声を聞いた瞬間、キングジコチューの動きが止まる。その時、ハートには愛のドキドキが聞こえたの。
 キングジコチューの中に、トランプ王国の王様の心が残っているんだ!
 ラブリーパッドで見ると、キングジコチューの心臓部分に王様の姿が…!王様を助けるためには、キングジコチューの身体の中に入るしかない…!
 ロゼッタとランス、ダイヤモンドとラケルがジコチューを引きつけてる間に、ハート、ソード、エース、それにレジーナもキングジコチューの中へ。
 ハートたちは、無事に王様を助け出すことができるの…!?
 以上公式のあらすじ。

 お話はあらすじにある通り、キングジコチューから国王を取り戻すぜー!という内容。まぁ結果は推して知るべしなんですが、正に王道な展開は、この歳になると逆にそれがやっぱり気持ちいい。
 さて、まず今回のお話の前に、アバンから今回の内容に入る前の展開をちょっと紹介せねばならないだろう。
 キングジコチューの中に入って国王を取り戻すと言うマナに、そんなことが出来るのかと問う皆に対してマナは、22話でもあった台詞を言う。
 「私を誰だと思っているの!大貝第一中学生徒会長、相田マナよ!!」
 大声でエコーのかかったこの台詞は、未曾有の事態を中継している各メディアによって放送され、キュアハートの正体は皆の知る所となってしまったのだ。
 家族はもちろん、大貝第一中学の皆さんは何かにつけて助けてくれた謎のコスプレスーパーヒロインが生徒会長であることが分って驚きを隠せない。そんな中、クラスメイトの二階堂くんが窓に駆け寄って「がんばれマナーっ!」と叫ぶと、他の生徒達も彼に追従し「生徒会長がんばれ!」と口々に叫ぶのだ。学校の皆だけには留まらず、大貝町の皆さんもプリキュアの正体を知ってがんばれがんばれと声援を送り、その大きな声はプリキュアを鼓舞することとなる。
 今回の出だしのこの一連のシーン。マナがこれまでしてきた善行、西で喧嘩が起これば仲裁し、東に気分が悪い人がいたら介抱し、北に財布を忘れた人がいれば探してやり、南に迷子がいれば一緒に親を捜してきた彼女の行動は、町中の知る所であったのだろう。大貝第一中学には、率先してゴミが落ちていれば拾い、困っている人がいれば助けてやる女の子がいると、マナはちょっとした有名人であったのだろう。今、何かにつけて助けてくれた謎のコスプレスーパーヒロインの正体を知り、町の人々は「なるほど、あの子だったのか!」と得心いったことだろう。謎の巨大生物に対して何かすることは出来ないが、助けてくれて、そして今、守ってくれている彼女にせめて応援だけでもと声を上げる様は、前回同様、マナの行動が実を結んだことを示していて実に気持ちが良いのと同時に、フレッシュプリキュア!辺りから、プリキュア活動は町に住む人々の知る所になっていて、でも最終決戦はいつも人知れず終わってしまうことを私はいつも残念に思っていたのです。せっかくプリキュアという存在が皆の知る所であるならば、最後にみんなの「がんばれがんばれ」が力になる所を見せてくれればいいのにと常々思っていたのですが、ついにきましたよ!
 そもそもプリキュア活動は、なんら人に知られて悪いことがないので、「秘密のスーパーヒロイン」である必要性が感じられなかった。プリキュアの基本はなんだかよく分からない悪をやっつけることではなく、大切な何かを守ること、つまりはレスキューなので、プリキュアが助けていった人たちが、いずれプリキュアの助けになるのはむしろ自然だと考えていたのです。それが今回、こうなればいいのにと思っていたことが形となったことがとても気持ちがいい。10年もこのアニメシリーズを熱心に見続けてきた私のこのアニメに対する愛は間違ってはいなかった。と思いましたよ。ありがとう!東映アニメーション!

 私の愛はさておき今回のお話ですが、上記しましたようにキングジコチューに捕われた国王のレスキュー。マナと娘であるエースさん・レジーナ・アイちゃんを彼の元へ行かせる為に、ロゼッタ・ダイヤモンド・ソードが彼女たちを先行させるという、いわゆる「ここは俺に任せて先へ行け!」展開。正に王道である。
 個人的には冒頭にも書きましたが、キングジコチューの体内に入る前の怪獣大決戦(笑)がヒットで、ここに至ってこんなことをしてくるかと思わず笑ってしまいました(笑)。
 キングジコチューの中に入るには、やはり口からしかないだろうとなって、ここは私に任せてくださいとロゼッタがこれまで1回しか披露していない技「ロゼッタバルーン」を繰り出す。ロゼッタバルーンその巨大な風船から何が出るかは毎回お楽しみの技、ってゆーか今回入れても2回しかやってねーじゃねーかなどと心の中で思いつつ(笑)、何が出てくるのかなーと思っていたら、出てきたのは「巨大ランス」であった。な、なんだってーっ!!(笑)
 ランスと言っても槍の方ではなくロゼッタのパートナーの妖精ランスである。彼が巨大化したのかと思いきや、本物の彼はちゃんとロゼッタにくっついているし、ドスン!ドスン!と大きな地響きを立てつつも同時にピヨッピヨッと可愛らしい足音を鳴らしつつキングジコチューに突進し、パンチを繰り出してもその短い手では届かず、それならばと額の宝石を輝かせ、ビームを放つかと思いきや出ないしと、なんだかよく分からない活躍(笑)で隙を作り、他の皆さんはキングジコチューの中へと突入する。
 彼女らを追ってくるジコチューを「ここは任せて」とダイヤモンドが足止めし、中に巣食うジコチューを「大丈夫、私も後から追いかける」とソードが引き受けるのは正に王道。主役とレスキュー対象である国王の娘たちを先へ進ませる為に、各所で仲間が奮戦する様子は熱くて良い。個人的にはソードさんが印象深く、ここは私が引き受けると皆の前に立って振り向く彼女の表情に全く悲壮感はなく不適な笑みなのだ。「ここから先は一歩も通さない!」と何百とも知れぬジコチューの群れに突撃していくソードさんのなんとカッコいいことか。
 話を少し飛ばし、奮戦するロゼッタ・ダイヤモンド・ソードさんも良く、巨大ランスでキングジコチューと相対するロゼッタは、キングジコチューのビームをその身に受けて町を守り、ロゼッタリフレクションで跳ね返して、上空からの頭突きで巨悪キングジコチューを転倒させたのだから大したモノである、しかしそこでロゼッタと巨大ランスは力尽きてしまう。ダイヤモンドは後続を足止めしきれず突破されてしまうが、最後の力を振り絞り、自分を中心にブリザードを発生させて吸い込み、自分と共に結晶化させて見事後続を断ち切るも、「マナ、後は任せたからね……」と力尽きてしまう。ソードさんはここでも印象深く、この戦闘は第1話でのトランプ王国でも戦いを模しているのだが、模してはいてもその時とは違うのだ。
 あの時はイカジコチューのゲソに手足を掴まれてしまっていたが、今回はゲゾに掴まる事無く手刀でゲソを切り裂き、そこからホーリーソドへと繋ぐコンボでイカジコチューを浄化する。ここまでの戦いをくぐり抜け、今やキュアソードはイカジコチューに遅れを取ることはないのだ。だがひとり戦う彼女は疲労の色を隠せずふらついてしまうも、最後の一体ゴリラジコチューと対峙すると一撃を後方へ飛んでヒラリとかわし、オーラを纏ったソードは突進し爆煙に包まれる。ここでソードさんがどうなったか分からないのがポイント。

 一方国王救出に向うハートたちはキングジコチューの心臓まで辿り着く。捕われている国王を発見するも、ジコチュー細胞なるものどもに取り囲まれてしまう。
 レジーナとエースさんの呼びかけを無駄だとするジコチュー細胞は国王の魂はもう無いとするのだが、ハートは確かに愛の鼓動を感じたと真っ向否定する。ジコチュー細胞の集中砲火を浴びる一行であったが、ハートがいう通り国王は鼓動を発し、私の家族に手を出すなと黒く染まっていたプシュケーはピンクに染まり目を覚ます。
 驚きを隠せないジコチュー細胞であったが、そんな彼を一笑に付し「キサマが娘の命を救いたいとわがままを言わなければ、トランプ王国の国民は平和に暮らせていた。王でありながら、どこまでも家族にこだわるキサマはこの世で一番ジコチューな人間、全ては自分が蒔いた種ではないか」となじる。
 するとすぐさまハートが「ちがうよ」と否定し続けて言う。「親が子供を助けたいと思うのは当たり前じゃない。そんなのジコチューでもなんでもないよ」
 そうなのだ。全ては愛故なのだ。確かにいき過ぎてしまったのかもしれない。だが自分の子供の命が救えるのなら、自分が罪に問われたとしてもそうするのが親というものであろう。その愛に邪心などない。
 ハートは「私はレジーナや亜久里ちゃん、アイちゃんをもう一度お父さんと会わせてあげたい。その為ならこの命が燃え尽きるまで私は絶対あきらめない!なぜなら私は、みなぎる愛!キュアハートだから!」と続け、眩い閃光を発しジコチュー細胞を浄化し始める。
 興味深いのは、ここへ至ってマナが何かしらの攻撃をぶっ放すわけではないことだ。この最終決戦において、マナは攻撃らしい攻撃を一切していない。愛のみなぎるマナの基本は不戦なのだ。必要のない争いを極力避けて通ってきたのはこれまで見てきた通り。物語の最初から示してきたように、マナの行動に一切のブレはない。その決して折れない意志の強さは正にスーパーヒロインたる姿であろう。
 ハートの閃光に浄化されつつあるジコチュー細胞は浄化されつつも「笑わせるな!娘ひとりの命を救う為に、国をめちゃくちゃにされたトランプ王国の民が許すと思うか!」とハートを飲み込もうとすると、一閃。闇を切り裂きハートの窮地を救ったのはキュアソードであった。
 「愛に罪はない。悪いのは、人を愛する心を利用したあなたたちよ!」
 後から追いかけると言ったソードが、ここで約束通り満を持して颯爽登場し、上記台詞を言い放つ姿のなんとカッコいいことか。また、ジコチューの言う事ももっともではあるが、国王の愛を否定せず、唯一生き残ったトランプ王国の国民として、王の所業を許したのだ。一人生き残り、歌い戦い続け、真実を知り、その名に剣を冠した伝説の戦士が元凶を切り裂き、 レジーナ・エース・アイちゃんは国王の手を取り、愛を取り戻した国王は解放され、キングジコチューは絶叫と共に消え去った。トランプ王国を巡る闘争はここで終焉を迎えたのだ。

 全てが終わったと思われたが(と言ってもまだ1話ありますし)、ベールが浄化されて小さくなったキングジコチューを飲み込み、俺がNO.1だ!となった所で引っぱりましたが、今回は上記しましたように目的は国王をレスキューすることであるので、次回最終回で闇の完全浄化&エピローグとなるのでしょう。
 ともあれ、今回はラス前の一番おいしい所ということもあって見応えあるお話にはなっている。まぁドキドキらしく、以前のシリーズのような、もっとバーニングハート的な盛り上がりはないものの、王道な展開で全てが綺麗に片付いた気持ち良さがある。
 特には上記しましたように、ソードさんがこの物語の根底にあるトランプ王国を巡る闘争に終止符を打つのが良い。主役であるハートが片付けてしまうと、なんとなく他力本願的になってしまいますからね。トランプ王国のことは同国のソードさんが落とし前をつけ、ハートは正に相田マナとして、いつも通り最初に言った真琴のトランプ王国復興の手助けをした格好になっているのが実にこの物語らしい。
 後は次回の最終決着を残すのみ。ああ、1年間楽しく見たなぁドキドキ!プリキュア。本当に毎週楽しみでしたよ。

今週のマナ大好き六花さん
 上記した「ここは俺に任せて~」展開も良いのですが、個人的にはイーラとの因縁が気になるところである。
 キングジコチューの元へ向い祭に立ちはだかったイーラは、先に行かせてと言うダイヤモンドさんに、ジャネジーの固まりであるキングジコチューの中に入ったらどうなるか、お前でも分かるだろと言うのです。
 前回でもダイヤモンドさんと対峙して、プリキュアを倒すのは俺だと横やりを入れさせないようにしていましたが、イーラとしては、六花さんが他のヤツラになんとかされちゃうくらいなら自分が、というふうに思っているらしく、彼なりに六花さんをどうにかしたいと思っているようだ。
 最終回でこのふたりにも、何かしらの決着があるのかしらねー。

今週のまたみてね
 今回のまたみてねは「キュアハートさん」でした。まぁこの毎週たち替わりのまたみてねも今回でラストですから主役のハートさんですよね。
 おそらく次回のまたみてねは高橋晃さんの書き下ろしのまたみてねになると思います。それも楽しみだなぁ。ってゆーか、終わっちゃうんだなぁ(しみじみ)。

ドキドキ!プリキュア 第47話 キュアハートの決意!まもりたい約束!

2014年01月17日 | ドキドキ!プリキュア
もうちょっと盛り上がっても良いような気がしますが……

 そんな今回のお話は…
 とうとう、キングジコチューが復活してしまった…!
 自分の正体、トランプ王国で起きた真実を知ったレジーナは、キングジコチューと一緒に世界を消してしまおうと、人間界へ向うの。
 ベール、マーモ、イーラも巨大ジコチューを出して、町は大パニック!なんとかしないと、人間界もトランプ王国みたいになっちゃう…!
 それでも、レジーナやキングジコチューと戦いたくないハート。ハートは、前にレジーナと約束したことを守ろうとしてるの。
 それはレジーナのパパと話をすること。話をすれば、きっと分かってくれるはず。キングジコチューの中にある、ドキドキを取り戻したい!
 「キングジコチューさん!私の話を聞いてくださいっ!!」
 キュアハートの思いは、キングジコチューに届くの!?
 以上公式のあらすじ。

 ……このシリーズのラス3はいつもこんな感じなので、いつも通りと言えばいつも通り。
 さて、お話としては、AパートはAパートで、BパートはBパートで見せたい所を作っていて、個人的にはAパートの方がぐっとくるモノがあった。
 とりあえずはキングジコチューの所へ行こうとなって、ジコチューをなぎ倒しながら向って行き、ソード・ロゼッタ・ダイヤモンドさんらが、いわゆる「ここは俺に任せて先へ行け!」展開でハートとエースさんを先行させ、あらすじにある通り、キングジコチューと話と付けに目の前まで辿り着き、話を聞いてもらおうとするが、キングジコチューは話を聞こうとはしないのだ。そこにベールさんがやってきて、この世界は自ら滅ぶとトランプ王国の前例を出す。
 それまで仲睦まじく暮らしていた国民は、突然の恐慌にパニックとなり、自分だけは助かりたいと醜い行動をし、自らジコチューと化したのであった。それと同じことがこの人間界でも起こり愛を失うとするのだが、ハートはそんなことはなく、今でもみんなはその愛で支え合っているはずだとし、場面は非難する人々の方へと変わる。
 12話でマナの弟子となった早乙女純くんが、ケガをして動けない人がいるので誰か手を貸してくださいと声を上げると、逃げようとしていた数人が足を止める。マナのクラスメイト二階堂くんが「ケガ人はどこだ!」と駆け寄ってくると、足を止めた人々も手伝いを申し出るのだ。また病院では医師である六花さんのお母さんとマナの両親がケガ人を介護し、ありすの執事セバスチャンがヘリを飛ばしてきて要救護者の搬送し、ありすの友人五星れいなも持ち出してくる。と、このように、これまで話に関わってきた人々や、その他モブの皆さんが互いを助け合い非難していく様が描かれるのだ。
 ここで私は「ああ!」と思わずにはいられなかった。32話の文化祭の時もそうであったように、マナがこれまで無尽蔵に愛を振りまいてきたこと、また描かれなかった所でも、きっとマナは所構わず善行をしていたであろうことが今実を結んだと思わされだのだ。そしてここから「そういうことか」と思い至ることとなる。
 そう、たった5人のスーパーヒロイン「だけ」で世界は救えない。トランプ王国のようになってしまったら、マナとてどうにもならなかったであろうが、マナが六花さんやありすにこうありたいと思わせたように、彼女の善行はそれ以外の方たちをもそう思わせていたのだ。それが今プリキュアを支え、プリキュアは支えてくれる皆さんを守るのだ。また、メインターゲットの皆さんへの訓話としても、世界を救うのはスーパーヒロインだけではないことを示している点も良いだろう。
 ともあれ、プリキュアだけでなんとかしてしまうのではなく、ひとりひとりの心が大切なんだよという所から、主役であるマナのしてきたことが、しっかりと実を結ぶ高揚感はとても胸がすく。まぁ、対比として使われたトランプ王国の皆さんが、とてもしょーもない人々のように見えてしまうのが難点ではあるが(笑)。

 ジコチュー化しない人間たちの愛を「くぅだらぁん!」と一喝し、ならばその愛の鼓動を消し去ってくれるわと口からビームを吐き、高さ999mのクローバータワーを倒壊させてからがBパート。
 それまで静観していたレジーナが、これ以上パパのの邪魔をするならとハートに向って行くこととなるのだが、ハートは防戦一方で戦おうとはしないのだ。それもそのはず、2クール目で友達であるレジーナとは戦わないとしてきた彼女である。一貫して行動にブレの無いマナですから、ここへ至ってレジーナと戦うはずがないのである。
 まぁこの辺は割と都合が良いと言いますか、レジーナと相容れなくなってということは流れ的にあり得ませんから、マナの「好き」にレジーナが落ちちゃうのはけっこう予定調和ではある。それだけに何か欲しかった所ではあって、結局「好きに理由などない」的な話は、大きなお友達の説得材料としてはちょっと弱いような気がしますが、まぁ我々はこのアニメのターゲットではないので致し方ない所か。
 もとよりマナ大好きレジーナちゃんなので割とあっさりマナに懐柔(笑)されると、キングジコチューがレジーナを惑わすなと口からビームを吐くが、レジーナは「ダメーっ!」と絶叫し、ドラゴングレイヴでビームを消し去ると、光の槍の二つ名の通り、ドラゴングレイヴの刀身は光を取り戻す。
 するとキングジコチューは絶叫し、またお前の心に愛が芽生えてしまったのかと問う。しかし違うのだ。もとよりレジーナは麗しのアン王女さまがふたつに分った愛の片割れ。レジーナに愛が芽生えたのではなく、最初からあったのだ。その上でレジーナは、父であるキングジコチューと同じくらいマナが好きなのだ言い、その自分の正直な気持ちはいけないことなの?と自問すると、ロゼッタが言う。私もマナも六花も真琴も亜久里もレジーナも好きだと。なるほど、33話の過去話やいつも後ろでニコニコと皆を見守ってきた彼女思い返せば得心がいく。続いてソードが以前は王女さましか見えていなかったが、今は違って皆が好きだと言う。7話までツンツンしていた彼女が、話が進むにつれ丸くなって言った様子が思い起こされるではないか。
 そんなふたりの言葉に「黙れ!レジーナは私だけを見ておれば良いのだ!」とするのを、ダイヤモンドが「その気持ちも分かる」言う。でも好きな人を独り占めするのではなく、好きな人の好きな人を好きになって、つながりを作っていく方が良いだろうとするのは、わたくし絶賛であった10話の嫉妬回を乗り越えた彼女の言葉として見事な説得力である。
 こうした「これまで」を見てきたからこその説得力が実に気持ちが良いではないか。毎回今週のビックリどっきりモンスターが現れてやっつけるだけでない物語としてのつながりを感じさせてくれ、1年見続けてきた甲斐があったと思わせてくれる。プリキュアは最初の10話と最後の10話を見れば事足りる、なーんてのをどっかで見たことがありますが、フッ、鼻で笑ってやりますよ。見続けていなければここでこんなにも気持ち良さを味わえるものか。それ故に、この物語が最初からここまでをつながりを持って紡いでくれたと言って良いのではなかろうか。

 彼女らの言葉にエースさんは今ようやく気付いたと、愛の戦士である自分のすることは、キングジコチューを消し去ることではなく、愛することなのだとし、キングジコチューを「お父様」と呼ぶ。エースさんもこの闘争の真意に気付いたのだ。光と影の対立ではなく、どちらも愛なのだからどちらか一方を消し去ってはいけないのだ。
 エースさんにアン王女さまの面影も見たキングジコチューは突如苦しみ出す。1万年前のプリキュアに封じられていた闇に飲まれていた愛を少し取り戻し、それ故に胸が苦しいのだ。
 だが当時のプリキュアが神器を擁して封じた闇は、そう簡単に器を手放さない。「愛などいらぬ!愛など消し去ってくれるわ!」とハートたちが立つクローバータワーに、その巨大な手を振り下ろす。ところで引っぱりました。
 次回は国王の救出、ラストで闇の浄化&エピローグ、って所ですかねー。このシリーズは得てしてラス前が一番おいしい所なので期待したい。

今週のマナ大好き六花さん
 上記しましたが、六花さんの言葉は説得力あったねー。それに伴って今回は、これまでの話を思い起こさせる随所にあって気持ちが良い。
 六花さんに関しては、やはり因縁のあるイーラであろう。このふたりが揃えば、どうしたって26話を思い出す。六花さんもイーラも思う所があるようなのが良いよなぁ。
 このふたりに何もないままで終わるってことはないであろうから、どう決着をつけてくれるのかも楽しみだ。
 どーでもいーけど、今回のマナとレジーナは、綺麗に百合色に染まった脳としては、マナがレジーナに告白した様にしか見えないのだが(笑)。こんなコーナー作っている身としてはモヤモヤするんですけど(笑)。
 ああでも、マナのレジーナに対する「好き」は、やっぱり妹可愛がり的な好きだと思うんですよねー。六花さんがいるからマナはいろんな所でスキスキ言っているんですよ。本妻いるからダイジョーブ!みたいなことなんだと思います。きっと。
 にしても、六花さんは苦労が耐えないんだろうなぁ(笑)。

今週のまたみてね
 今回のまたみてねは「キュアダイヤモンドさん」でした。
 ああ、後2回かぁ。寂しくなるなぁ。

ドキドキ!プリキュア 第46話 エースとレジーナ!誕生の真実!

2014年01月06日 | ドキドキ!プリキュア
ええ~っ?!待て待て!サラッと言ったな。

 そんな今回のお話は…
 トランプ王国で、エースとレジーナが戦いを始めようとしている!
 ソード、アイちゃん、ジョーお兄さんが見守るところへ、ハート、ロゼッタ、ダイヤモンドも駆けつけたわ。ハートは、エースとレジーナに戦ってほしくない…!でも、エースは戦いをやめようとしないの。
 エターナルゴールデンクラウンの力で“自分の正体”を知ったエースは、レジーナと決着を付けないといけないと思っている。
 そしてエースは、レジーナにエターナルゴールデンクラウンのラビーズを渡して、レジーナにも“レジーナの正体”を見せようとするの。
 「私たちにも見せて!」そう言うハートにエースは手を差し出し、みんなで輪になって手を繋いだわ。
 トランプ王国で起きた真実・・・全てが分かったマナたちは、ショックで声が出ない。その時、レジーナは…。
 以上公式のあらすじ。

 お話は、どうして今この状況になったのかの真相が分かる過去話と、ついに復活したキングジコチューが人間界へ向った所までで、基本、過去話メインある。その過去話。前回の予告で割と読めていた通りで、キングジコチューはトランプ王国の国王であり、我が麗しのアンジュ王女さまの父なのであったわけだが、とりあえずはその流れを見ていこう。

 アンジュ王女の生誕直後、母である王妃は崩御されることとなる。王妃の身体が弱かったとかの情報はまるでなかったが、新たな生命の誕生は、もとより並大抵のことではない。出産後、母子ともに健康であることは奇跡なのだと言っても良いだろう。残念ながらアンジュ王女さまは幸運には恵まれず、それは悲劇の始まりでしかなかった。
 国王の愛を一身に受け、すくすくと育つアン王女はやがて立派にご成長される。しかしある日、その御身を闇が襲う。城には1万年前の伝説の戦士プリキュアが打ち倒した闇が封印されていて、その闇は長い時を経てほんの少し抜け出し、アン王女に取り憑いたのだ。
 謎の病に倒れた王女に王国の医師たちは成す術がない。王国の医学の範疇を越えていたのだ。国王は言う。「ではこのままアンの命の炎が消えるのを黙って見ておれというのか?!神よ!あなたは、妻だけでは飽き足らず、娘までも奪おうというのか?!そんなことはさせぬ!」
 するとひとりの医師がひとつだけ手があると申し出る。あらゆる知識が詰め込まれた黄金の冠エターナルゴールデンクラウンの力を借りればアン王女の病もきっと治せるであろうと。しかしそれは国王ももとより知る所であった。クラウンは1万年前の伝説の戦士プリキュアが打ち倒した闇を封印しているのだ。クラウンを手にすることは、再び世界に闇を解き放ってしまうことと同じである。だがこのままではアン王女は死を待つだけなのだ。
 揺れる心のまま城の地下へと降りる国王。クラウンの前に立って躊躇する姿が描かれる。それもそのはず、最愛の娘を助ける為にクラウンを取り外してしまえば、闇がまた世界を覆う。一国の王として民を案じずにいられようか。しかし他にアン王女を救う手はないのだ。国王は王妃が崩御の間際の言葉を思い出す。「この子を、人々に夢や希望を与える太陽の如く、光り輝く子に……」そのお言葉と一筋の涙と共に崩御された王妃を思えば、闇と手を握って助かってもアン王女は喜ばない。だがこのまま娘を見殺しにすることなど出来ようはずもない。
 どうすれば良いのだと膝を折り頭を抱える国王。世界と最愛の娘、国王として父親として苛まれるのも無理からぬ話である。だが国王は「そうだ」と呟き、自分にとってアン王女がいなければ、世界は終わったと同じだとする。その心にプシュケーは少し染まり、アンさえいれば世界などどうなっても構わぬ!と封印を破るとプシュケーは真っ黒に染まってしまう。
 世界と最愛の娘を天秤にかけ、世界よりも、国民よりも、自分が最も愛する娘を取った国王。真に国王たらん者ならば、娘ひとりの命のために国民を犠牲にすることなどないであろうが国王である前に彼は父親なのだ。最愛の妻が命と引き換えにしてこの世に生を受けた最愛の娘を助けんが為なのだ。誰がこの国王を責められよう。一喝して自身の剣で封印を切り裂き、クラウンを手に取った国王は知識を得てアン王女の元へ向う。だが地下では封印がなくなったが為に、1万年封印されていた闇が溢れ出していた。
 クラウンの知識でアン王女の病は治り意識を取り戻した。しかし闇はすぐ側まで這い寄って来ていた。「闇の鼓動、自分勝手な邪な願い、最愛の娘を救う為に禁忌を犯し、世界を破滅へと導く、これぞ正に究極のジコチュー!キサマこそ私の器に相応しい!」そう言って襲いかかる闇は国王を飲み込み、苦しむ国王はよろけながら外へと飛び出し、アン王女が止める間もなく高い塔から落ちてしまう。
 アン王女のおわすトランプ王国の首都は湖上の水上都市である。その湖に落ちた国王は、闇の言った通りに器となり魂をジャネジーに支配され、その姿はキングジコチューへと変貌と遂げ、その巨大な体躯を露にする。闇の王の復活を待っていたジコチューの幹部ベールたちが集い、トランプ王国侵攻が始まった。
 国境から攻め込まれたわけではなく、首都に突然1万年前に伝説の戦士が神器を擁して戦った闇が出現したのだ。王国がどれほど混乱したかは想像に難くなく、その状況でキュアソードがひとり生き抜いたことを考えれば、彼女がどれだけ奮戦したか分かろうというものだ。ともあれ、大混乱の最中、アン王女は先陣を切って戦いキングジコチューと対峙する。「何故ですお父様!どうして愛の溢れるこの国を滅ぼそうとするのです?!」そう問いかける王女に「この世に愛など必要ない。愛などと言うくだらんものがあるから苦しむのだ」と答えるキングジコチュー。即座に「そんなことはありません!わたくしの命を救ってくれたのは、お父様の愛です!」とおっしゃられるアン王女は、キングジコチューとしてではなく父に訴えかけたのであろう。そのお言葉に「むぅん」と唸るものの、返ってきた言葉は「我が名はキングジコチュー!この世の全てを破壊するのだ!」であった。国王は完全にジャネジーに支配され、最愛の娘の言葉も届くことがなかった。
 もはや完全にジコチューの王キングジコチューと化してしまった父に、やむなしとアン王女はミラクルドラゴングレイヴの力で彼を石化し、7話の回想であった通り、キュアソードと共に異世界への鏡へ逃れるも、一人残ってソードを先行させる。
 ベールに追いつかれた王女さま。ベールは「ひとつ聞くが」と疑問を投げかける。何故キングジコチューにとどめを刺さなかったのかと。三種の神器ミラクルドラゴングレイヴの力ならば、完全に消し去ることも出来たはず。しかし王女さまはその問いに答えない。ベールは続けて言う。「そうか。父親だから消せなかったんだな?自分勝手なヤツめ!」その言葉に王女さまはハッとし動揺する。さらにベールは続ける。「国民を守るべき王族が、国民を犠牲にして肉親を守るとは……さすが親子、揃いも揃って最悪で最高のジコチューだ!」
 即座に「違う!」と反論する王女さま。確かにキングジコチューを消し去らなかったのは父思う故であるが、王女さまが国民を思っていなかったわけでもない。だが図星を突かれた格好になっているのも事実である。王女さまとてヒトの子、王族として国民を思う気持ちと娘の父を思う気持ちを同時に決着をつけることなど出来ないのだ。
 王女さまは自分のプシュケーが黒く染まりつつあるのを知り、このままでは自分もジコチューになってしまうと自らプシュケーを取り出すと、自らの手でふたつに割ってしまった。父から受け取った愛、世界中の笑顔を守る愛。自分の中の相反する心をふたつに分かったのだ。愛とジコチューは表裏一体、そのどちらを選べば良いのか答えを出すことが出来ない王女は、そのふたつのプシュケーから生まれし者の戦いにこの世界の行く末を託した。
 眩い光を放って飛んで行く分たれたプシュケーは、ひとつはキングジコチューの元へ辿り着きレジーナに、もうひとつは人間界へと辿り着き円亜久里として転生した。光と闇であるふたつの心は善と悪ではなく、どちらも「愛」だったのだ。そしてプシュケーが失われた王女さまの御身はタマゴとなって人間界へと辿り着いた、つまりアイちゃんである。
 これがトランプ王国を巡る戦いの真相である。

 さて、長々とあらすじってしまいましたが、これを理解してないと話が進まないので致し方ない。まず意外であったのは、上記の通り、亜久里とレジーナが善と悪ではなく、どちらも愛であったことだろう。
 言われて見れば、あぁなるほどと言った感じではあって、要は個人々々に対する愛なのか、全体へ奉仕する愛なのかということで、どちらが良くて悪いと言うわけではない。おもしろいのは麗しのアン王女が愛とジコチューは表裏一体としたことだ。人が善と悪の混沌であるのと同じように、その愛も見方を変えれば自己中となってしまうのだ。
 王女がキングジコチューと消し去らなかったのは父を思う故の愛だし、先頭に立って戦ったのだから国民を思う故である。これはどうしたって結論の出ることではないだろう。どちらを選んだとしても、きっと王女さまの心は傷ついたであろう。それは亜久里とレジーナも同様である。
 この過去話後、レジーナの瞳は赤から青へと変わり、衣装も紫だった部分が赤へと戻って、22話以前のレジーナへと戻ったのだが、彼女は涙して、父は世界を滅ぼしてまで娘である自分を救おうとしてくれた、世界よりも大きな愛を与えてくれた父を捨てられるわけがなく、最後までキングジコチューと共に戦うとする。
 ここから察するに、というか、上記過去話を見て分かる通り、レジーナには全体へ奉仕する愛が存在していないのだ。また同様に亜久里には個の感情の為に全体を蔑ろにすることを絶対に許さない、全体への奉仕者なのだ。なるほど亜久里がエルちゃんとあまり関わらなかったのも頷ける。レジーナはその命の性質から個に対する愛に邁進し、対して亜久里は性質上、世界の調和を最優先し、個の感情で世界を破滅へと導くことを決して許さない。
 先述した通り、これはどうしたって結論が出ない。もし自分が国王だったら、アン王女さまであったなら、王としての使命を全うし、肉親殺しの罪を一生背負っただろうと思うのは、きっと自分に子供がいないからであろう。だがこのアニメをメインターゲットの娘さんと一緒に見ている親御さんなら、自分も同じ立場になったなら国王と同じことをすると思う方もいらっしゃるだろう。何せどちらも愛なのだ、どちらかを切り捨てても良いものだろうか。プリキュアであるマナたちが結論づけられるものなのか気にさせてくれるではないか。
 だが割と答えは見えていて、真相を知ったマナは、だったらなおさらふたりを戦わせるわけにはいかない、どうしたらいいかみんなで考えようとするのだ。話はそこから上記したレジーナの所へいって、袂を分かつこととなってしまうわけだが、要するにマナはどちらかを選ぶのはおかしいとしたのだ。きっと方法はあるはずだと。
 まぁ考えてみれは単純な話で、レジーナも、亜久里も、国王も消さない方法はただひとつ。一万年前のプリキュアが封印したとされる闇を浄化すれば良い。そうすれば全てが丸く収まるではないか。ただひとつの問題を残してですが……。
 その問題は以下のコーナーに譲るとして、真相を語るだけのお話で、予告で割と見せちゃっていたので驚きの新事実ということもなかったのですが、設定的には綺麗に回収して、最終目標も見えたし、後は残り3回で綺麗に締めるだけなので、尺的にもけっこうな余裕があると見ていいことを考えると、シリーズ構成は上手く考えられていると言って良いのではないだろうか。
 元に戻ったレジーナが、むしろ真相を知り元に戻ったが故にキングジコチューに付くのは彼女の性質上むしろ自然で、消し去ってはいけない存在であることを示し、誰の命も消さない最終目標を明確にしているし、良く出来た話であったと言える。

今週の我が麗しのマリー・アンジュ王女さま
 今週のマナ大好き六花さんはお休みです。ほぼ過去話だし。
 さて、驚きの新事実はなかったと述べましたが、上記したひとつの問題もそれに関わってくるのです。冒頭に書きましたが、割とサラッとダビィが「もう王女さまが元の姿に戻ることはないビィ」とか言うんですよ。って、ええ~っ!つまり王女さまはご復活遊ばれないというではないか!
 まぁ元々ひとつだったレジーナと亜久里は転生という形で命を得ましたし、御身はアイちゃんとして転生していますからさもありなん。その三つをひとつに掛け合わせて復活!なーんてことはないのですよ。女神転生の三神合体かってぇ話なわけですな。最終的に闇を浄化して、国王的にはひとり娘が三姉妹になりました、的な落とし所なんじゃないかなと思っているんですが、はてさて。
 先のことはともかく、今回の王女さま。先述した件で真琴は、それだけの決意を持って王女さまが決断されたのだと一筋の涙を流すのだが、なるほど。王女さまのお心が知れるというものである。
 ダビィが王女さまのご復活がないと言うまでは、どっちも選べないで結論を先延ばし的な優柔不断さを「それはどうなのかな?」と思ってしまっていたのですが、ご復活されないとなれば、王女さまはそれを分かってしたということとなる。
 つまり、自分という存在がなくなると分かって、どちらの愛も消させないとしたのだ。父を思う個に対しての愛も、人々の笑顔を守る奉仕者としての愛も、どちらも崇高であり、神でもないヒトの子である自分がどちらかを消し去ってしまうことがないよう、御身を犠牲にしてふたつの愛を守ったのだ。そして間際に王女さまは、このような形で過酷な運命を背負わせてしまった自分の不甲斐なさを悔いる。後にふたつに別れたプシュケーが転生し、争うこととなってどっちに転ぶか分からない。今、結論を出せなかった自分を悔いたのだ。しかしどちらも愛なのだから、選べないのが人間というものだ。むしろ、どちらかが消えてしまわないようにと愛の為に自分の存在を投げ打ったのだから、王女さまの深い愛と決意が知れるというものである。
 王女さまはもういないが、いなくなったわけでもない。ピースは揃っているが、形が変わってしまって交わることはない。自分ならきっとこんなことは出来ないだろうと思うと、やはり私の中で、マリー・アンジュ王女さまは最も敬愛すべき存在なのである。
 が……あまりにも惜しいお方だよなぁ。この物語のメインキャラクターで、唯一存在がなくなってしまわれた方になってしまいましたし、EDのキャストに今だ名前が載らないのもどうなんだ。まぁそれは成長したアイちゃんとして、最後に出るのかもしれませんが。はてさて。

今週のまたみてね
 今回のまたみてねは「キュアソードさん」でした。
 ついに後番組ハピネスチャージの番宣も始まりまして、このドキドキ!プリキュアも終わってしまうんだなぁと寂しさを感じずにはいられません。

ドキドキ!プリキュア 第45話 宿命の対決!エースVSレジーナ

2013年12月31日 | ドキドキ!プリキュア
予告でけっこうな情報出しちゃいますか。

 そんな今回のお話は…
 ずっとアン王女の側にいたジョーお兄さんが、久しぶりにソリティアに帰ってきたの。
 相変わらず王女さまは眠ったままだけど、その王女さまに導かれて手に入れた、3つめの神器“エターナルゴールデンクラウン”を見せてくれたわ。
 このクラウンは、知りたいことをなんでも教えてくれるんだって。ただし、選ばれた人にだけ。
 ふと、クラウンに手が触れた亜久里。するとクラウンが光り輝いて、倒れてしまうの。一体、亜久里のからだに何が…!?
 次の日、亜久里はジョーお兄さんと真琴、ダビィ、アイちゃんだけを呼んだわ。昨日、倒れた時にクラウンが教えてくれた“自分の正体”を話すために。
 その話にショックを受けた真琴たち。さらに亜久里は、自分の運命に決着をつける為に、マナには内緒でトランプ王国へ行きたいと言いだしたの。
 以上公式のあらすじ。

 お話はサブタイ通り、最後の神器エターナルゴールデンクラウンに触れて真実と自らの宿命を知った亜久里ことキュアエースが、トランプ王国へ赴きレジーナと対決する、といった内容。なので基本的には流れが分かっていればいい。
 今回は次回に明かされるであろう真相の前フリなので、正直、今回で分かったことはあまりなく、レジーナとエースさんの戦闘に尺を取っているので内容としてはあまりないのだが、それでも見せるべき部分はちゃんと見せていて、クライマックス感を出しているのは感心。

 とっかかりとして亜久里がクラウンに触れて真実を得るのだが、それで意識を失った亜久里は家で目を覚まし、おばあちゃんに自分が何者でとんな宿命があるかを知ったと告白する。そして、その自分に課せられた運命は過酷で押しつぶされてしまいそうだと涙ながらに言う。
 ぶっちゃけて言ってしまうと、亜久里が得た真実は、見ているこちらとしては分からないので、亜久里がどれほどつらいのかを感じ取れないのは残念ではあるのだが、おばあちゃんは亜久里を抱きしめ、「どれほどつらいものであっても、人は運命に背くことは出来ないんです。ただ、受け身で押しつぶされるのか、自ら立ち向かって未来を切り開くのか、それはあなた次第。何を成すべきなのか、本当は分かっているんでしょう?」と諭すおばあちゃんに、亜久里はありがとうと述べて笑顔を返す。
 良くは分からないけれど、亜久里が真実を知ってせねばならないこと、またそれによって待ち受けるであろう事柄は、彼女が泣いて弱音を吐いてしまうようなことなのである。亜久里としては、それをするのかしないのかではなく、やらなければならないのがつらいのだ。だがおばあちゃんは、その運命を背負わされるのではなく、自ら背負って成すべきことを成しなさいと背中を押した。事の重大さがわからないので今ひとつピンとこないが、後に亜久里が28話で友達になったエルちゃんに似顔絵を描いて渡して帰っていた所を見るに、事が済めばおそらくは戻ってこられないだろうと思いつつも、決着を付けようと決意に至るまでをしっとりと描いていて、真実が分かればもっと感動的だったろうなぁとは思うものの、良いシーンであったと思います。

 決着を付ける決意をした亜久里は、トランプ王国関係者である真琴とダビィ、気障男ジョー岡田を呼び出し真実を聞かせるのだが、真相は次回なので視聴者的にはやっぱり分からない。ま、それはともかく、ここはなかなか興味深いシーンである。
 集まってすぐ、亜久里は王女さまの氷の結界を砕いてしまう。しかし中に王女の姿はない。曰く、ジコチューの目を欺き、時間を作る為に王女さまが作った幻、であったのだ。これが意味する所は「王女さまはいない」ということの他ならない。つまり、アン王女の御身は存在していないのだ。麗しのアン王女さまと崇めてきたわたくしとしましては、けっこうなショックでしたよ(笑)。私のショックはともかく、物語的にもサプライズとして良く出来ていたと思います。「あ、デコイ(囮)だったのか!」と思いますよね。
 そこから一気に話を飛ばしまして、今回のラストで語られる真実のひとつ、エースさんとレジーナがアン王女さまの光と影である、という事実。なぁるほど、ちょっと見えてきた感がありますが、逆に問題も出てきた。
 まぁつまるところ、当初の予想通りレジーナとエースさんは一対であり元々ひとつであったと見て間違いないのであろう。光と影というからには、心の善と悪、と見て良いのだろうが、エースさんはレジーナとの一騎打ちをし決着を付けようとしているのだが、一対の存在であるならば、片方を消してしまって良いものだろうか? 亜久里がそのつもりであるのなら、影の部分は完全に消さなくてはならないと考えているのか。そもそもを言えば、王女さまの心の具現化が亜久里とレジーナだとしても、上記しましたように御身が存在しないのだ。
 まぁおそらくは、御身の方はアイちゃんなのかなーとは思っていて、個人的な見解としては三位一体、のような気がするんですが、だとすると、またこれが困った問題なのである。
 というのは、このアニメシリーズとして、キュアエースさんがいなくなることはないし(オールスターズがあるので)、物語上としても、マナが友達としてなんだかんだでずっと気にしてきたレジーナが最終的に消えていなくなってしまうのも、この枠のアニメとしてどうなんだ。仮にアイちゃんが王女さまの御身であったとして、王女さまの光と影であるふたりがそのまま居続けるとしたら、王女さまがご復活されることはない、ということにならないだろうか。
 とまぁ、今ここでそんなことを考えた所で詮無い話で、次回を見れば事足りるのだけど、熱心にこのアニメシリーズを見続けている身としては、あーだこーだと想像できて楽しい。後は上手いこと設定を回収してくれて、綺麗に締めてくれれば言う事ない。

 さて、上記以外では、真実を知ってからのソードさんが気になった。気になったと言うとちょっと感じが違うのだけど、仕方ないとは言え、ちょっともったいないなぁと思わざるを得なかったのだ。
 亜久里とおばあちゃんの所でもそうでしたが、見ているこちらとしては亜久里から伝えられた真実が分からない。それを聞いてカップを落としてしまうくらいだし、戦闘でも「見ていることしか出来ないの?!」とつらそうな表情の真琴を見るに、相当のショッキングなことなのであろうが、事実が分からない以上、真琴や亜久里がどれほどつらいのかの想像が出来ないのだ。むしろ逆にそんなにつらい思いをしてしまうようなことってなんなのだろうと、分からないことの方に意識が行ってしまう。
 お話的なことを考えれば、今回で真相を明かせない(明かさない)ので、話の作りとしては興味を次回に引っぱっているので、真実を気にさせることの方が狙いであるのだと思う。でも今回のドラマとして、やっぱり亜久里やソードさんに感情移入したい所で、特にソードさんなんかはどうしようも出来なくなり、苦悶の表情を浮かべ『誰か助けて!』という思いから「マナーっ!!」と絶叫してしまうのは良いシーンなんだけど、真実が分からないのでソードさんのつらさが分からない。今ソードさんはどうにもできないけど、これまでどうにも出来ないことをなんとかしてきたヤツを知っているじゃないか、さぁその名を叫べ!呼ぶのだソードさん!と、思わせてくれないのだ。
 といっても、上記した通り仕方のない事ではあって、真相が明かされるのは次回なのだ。今ここでそれが分かってしまっては、次回に「あぁ、こういうことだったのか」と思う事が出来ない。それを考えれば今回真相を明かさずに見せ所を作っているのだから感心するのだけど、やっぱり亜久里やソードさんの心中が分かって胸にグッときたかった、というのが本音ではある。
 ソードさんのつらさが分かれば、彼女の絶叫からマナたちが降りてくるシーンが随分と気持ち良かっただろうなぁと思う点で、ちょっともったいないと思いはすれども、まぁお話作るのって難しいですよねぇ。
 ともあれ、残す所後4話。次回真相が明らかにされて、そこからの尺を考えればあれこれ上手く回収して綺麗に終わりそうな感があり、クライマックスに期待せざるを得ない。あぁしかし、後4話かぁ。ドキドキ!プリキュア、随分楽しませてもらったなぁ。この調子で最後まで楽しませていただきたい。

今週のマナ大好き六花さん
 特に出番はなく。まぁ前回に愛溢れまくっていたので仕方ない所か。
 そういえば、イーラさんとの因縁は最終的に上手いこと決着つくんですかね?それも含めてクライマックスに期待していきたい。

今週のまたみてね
 今回のまたみてねは「キュアロゼッタさん」でした。
 冒頭にも書きましたが、いくら正月で一週飛ぶからとはいえ、次回予告は情報見せ過ぎだろ。キングジコチューがレジーナを「娘」と言っている理由が分かっちゃったじゃないか。
 というか、「こんな感じなのかな?」とある程度読めちゃったんだけど、ちゃんと良い意味で期待を裏切ってくれるんだろうな?

ドキドキ!プリキュア 第44話 ジコチューの罠!マナのいないクリスマス!

2013年12月24日 | ドキドキ!プリキュア
いつより愛多めでお送りしています。

 そんな今回のお話は…
 もうすぐクリスマス!マナは、六花とありす、それに真琴、亜久里も一緒にみんなでクリスマスパレードへ行くことを愉しみにしているの。
 そんなマナに「生徒会長スピーチコンテストに出ない?」というお誘いが!
 生徒会長スピーチコンテスト!?1番の生徒会長、キングオブ生徒会長を決めるコンテストなんだって!
 それを聞いたマナはやる気満々!だけど…その日は楽しみにしてたパレードと同じ日。
 迷うマナだけど、六花たちに応援されてコンテストに参加することに決めたわ。
 マナがいない間、六花が生徒会長のお仕事をお手伝い。マナのお仕事って、たくさんあって、ホントに大変!
 でも、六花がパニックになりそうな時、マナの書いたメッセージが見つかって、心を和ませてくれたの。
 お仕事が終わったら、クリスマスパレードへ!!楽しいけど、やっぱりマナがいないとちょっぴり寂しいな…。
 その頃マナは、なんとレジーナが仕掛けたワナにはまっていて…!
 以上公式のあらすじ。

 今回のお話はむしろ、六花さん回と言っても良いくらい六花さんのマナ愛溢れるお話で、六花さん好きの私としましては、オラなんだかワクワクしてきたぞ!(CV野沢雅子)という感じで溢れる愛がとても気持ちの良いお話になっております。
 流れとしては、上記あらすじにあるように、生徒会長スピーチコンテストに出場することとなったマナであるが、スピーチコンテストはレジーナの仕掛けた謀で、彼女曰く「マナさえいなければ後はヘナチョコ」なのでマナを隔離し、その間に他のプリキュアをやっつけちゃおうとするわけだが、メイン所は表層部分のひとり隔離されたマナがどう脱出するかや、精神的支柱であるマナがいない時の他のプリキュアの皆さんがどう戦闘を乗り切るか、ということではなく、むしろ戦闘までの間のマナのいない日常パートの方が一番見せたい所であろう。

 まずコンテストがクリスマスパレードと丸被りという日程が判明して、ホントは一緒にクリスマスを愉しみたいはずである六花さんは、夢は総理大臣のマナが歴代総理大臣も学生の頃に参加した(といってもレジーナの謀なのでウソなのだが)と言われるスピーチコンテストで一番になって欲しいと参加を促す。でも生徒会の仕事もあるしと言うマナに、そっちも全部自分がやっておくと六花さんは買って出て、私たちとはいつでも一緒に遊べるし、コンテストの方を頑張っておいでよとする。
 マナは「六花!恩に着るよ~」と言って抱きつき、六花さんは笑顔を見せるのだがこの表情が良い。もちろん、マナに抱きつかれてぽわわ~というわけではなく、そもそも六花さんのしたいことは、マナがしたいことのお手伝いなのである。自分が替わりに仕事をすればマナが出たいと言うコンテストに出られる、六花さんにとっては一番良い形と言って良いだろう。マナがしたいことをさせてあげられるのが嬉しいのだ。
 その夜、マナがいないとなると忙しくなるわよと大量の書類を前に意気込む六花さんであるが、ラケルは本当にそれで良いのかと問うのだ。本当はクリスマスにマナと一緒にいたいのでは?と。そんな彼の心配に六花さんは「そりゃあね」と言いつつも「この先これから高校へ行ったり、社会人になったり、お互い夢もあるし、いつまでも一緒にいられないからね。離ればなれになっても、お互い頑張らないと」とするのだ。いやぁ、六花さんが聡明な人とは知ってはいましたが、14歳という年頃で、ここまで将来のことを考えているとは思っていませんでビックリしたのと同時に感心しましたよ。
 14歳なら先を考えずに今を楽しんじゃうのも若さ故の特権であると思いますが、さすがと言いますか、もうすでに将来絶対に医者になるんだと勉強している彼女ですから、これから先のマナとの関係もある程度見据えているんですねぇ。六花さんのことなので、高校はマナと一緒の所に行っちゃうんだろうなぁなんて漠然と思っていましたが、今回を見れば、きっとそんなふうに流されないのだろうと思わせてくれるし、今のようにいつも一緒でなくなっても、マナと六花さんの関係が変わることはないのだろうと思わせてくれるではないか。

 当日になって学校でマナの分の書類もちゃっちゃと終わらせて、皆との待ち合わせに間に合わせると意気込む六花さんに、マナは少々驚きつつも「クリスマスに私がいなくて寂しくないのかい?」と問うと、六花さんは明るく「全然!」と答えるのだ。その解答にマナはガクッとしつつ「私はちょっと寂しい……」と口にするのだが、これもふたりの関係が見れてとても興味深い。
 マナは六花さんが仕事に妙にやる気を出して、自分がいないことになんとも思っていないふうなので「私がいなくて寂しくないの?」と問うたわけだが、その後の「私はちょっと寂しい……」からするに、自分は六花がいなくてちょっと寂しいんだけど六花も同じじゃないのかな?と思っていたのだ。辺り構わず愛を振りまくマナであるが、なんだかんだでクリスマスに六花さんと一緒にいたいと思っていたのである。
 そんなマナに六花さんは、私はマナにキングオブ生徒会長になって欲しい。その為なら離ればなれでも頑張れるのだと言う。要するにマナの為なら頑張れる、マナを想えばこそ寂しくないとしたのだ。なんとも思っていないわけではなく、むしろ強烈にマナを想っていることを物語るではないか。そんな六花さんの思いを感じ取ってマナは「じゃあ私も頑張っちゃうよ!」と返し、ふたりでウフフと微笑み合う。なるほど、ありすや真琴が憧れるのも頷けるふたりの関係ではないか。きっと一生ふたりはどんなになろうとも、こんな関係なのだろうと思わせてくれる。

 マナがコンテストに出かけ、学校では六花さんの手伝いに真琴が応援に入って仕事をしていると、六花さんはマナ大丈夫かな?と心配を呟く。どうも思っていたことがポロッと口から出てしまった独り言だったようで、真琴に「離れていても六花の頭の中はマナことでいっぱいね」ラケルに「愛ケル~」等と言われてしまう六花さんであるが、沢山やらなくてはいけない仕事を抱えている中で、ポロッとマナの心配が独り言となって出てくるのだから、そりゃ真琴やラケルの言うことは尤もであろう(笑)。むしろただの友達を普通ここまで思う事はなかろうというもので、六花さんの愛が感じられる。
 その後、仕事に不備が発覚し、このままではクリスマスパレードに間に合わないと頭を抱えることとなる六花さんであったが、上記あらすじにあるように、マナが書いたメモが色々な所にあるのを発見する。
 発見したマナメモ。仕事の不備をひっくり返すような大逆転の仕方が書いてあるわけではなく、『いっぱいいっぱいになったら大きく深呼吸して。大丈夫。六花なら出来る!』であったり、『腹が減っては戦はできぬ』とお弁当が置いてあったり、果ては『ごめん、会計書類溜めちゃった。ヨロシク。愛してるよ~』だったりして、何がどうこうというわけではないのが逆に良いではないか。割とスーパーな人間「相田マナ」ではあるが、彼女とて人の子。なんでもやってしまえるわけではないし、その場に居ないのに問題を解決出来ようはずもない。ただそのメモは、自分の替わりに頑張ってくれる六花さんに対してのマナの気持ちなのだ。そのメモで仕事的に何かが変わるわけではないが、六花さんがマナを想うように、マナもちゃんと六花さんを想っている。
 マナが側にいるようだとする真琴に、六花さんはいつも通りマナに振り回されてる感じだとするが、ダビィとラケルは、でも六花は嬉しそうだと言う。それもそのはず、全生徒会長の一番になろうと、劇中の台詞によれば寝ないでスピーチを考えて忙しい最中、それでも自分の替わりをする六花さんを想ってマナがしてくれたことである。嬉しくないはずがない。
 ダビィとラケルの言葉に「えぇ~そう?」などと言いつつも笑顔の六花さんは目を閉じ、心の中で(マナ、私も愛してるよ)と呟く。そしてさっきまでどうしようと頭を抱えていた六花さんであったが、「よぉ~し!あと少し、頑張ろう!」と意気込んで真琴と頷き合う。その場にマナが居なくとも、六花さんはマナをずっと近くに感じられたことだろう。彼女がマナをキングオブ生徒会長になって欲しいと信じて送り出したように、マナは六花さんならきっと出来ると信じているのだ。マナが信頼してくれているという事実は六花さんの力を与えてくれるのだ。

 レジーナの謀にハマって魔法の檻に閉じ込められたマナが脱出を試みている頃、六花さんは仕事を終わらせ、皆とクリスマスパレードへ出かけていた。興味深いのはその後のクレーンゲームをする件である。
 六花さんらしくカエルのぬいぐるみを取ろうとするのだが途中で落っことしてしまう。すると六花さんは「こんな時マナなら絶っ対取ってくれるのに」と言うのだ。これはなかなか興味深い台詞だ。要するに、こんな時にマナは六花さんの願いを叶えてくれる、ということとなる。なるほど、これまで「相田マナ」という人間を43週も暖かく見守ってきた身とすれば分からない話ではない。
 このクレーンゲームで言えば、六花さんが取れなかった物を取ってあげて六花さんが喜んでくれれば自分も嬉しい、相田マナという人間ならばきっとそう考えるであろうし、六花さんが今その台詞を言ったということは、過去そんなことが何回もあったということだ。自分の願いをマナが叶えてくれる、自分の出来ないことをしてくれるマナ、その度に感じるマナという人間のすごさ、相田マナは菱川六花の中でとても大きな存在なのだ。
 すると六花さんは学校でのメモの「大丈夫、六花ならきっと出来る!」が頭をよぎり、もう一度チャレンジしてカエルを見事ゲットすると「やったぁ!取れたよマナ!」と口にする。けっこうな人が経験のあることだと思いますが、誰かを間違えて「お母さん」と呼んでしまったりするのと同じようなことなのですが、それだけ六花さんとマナがいつも一緒であったことを物語るではないか。マナ「が」側に・マナ「の」側に居ることは当たり前のことだったのだ。しかし今、マナは側に居ないのだ。そのことに気付きハッとする六花さんに、ラケルはやっぱりマナが居なくて寂しいのかと問うと、彼女は首を振って「そんな事ないよ」と心配する皆をよそに笑顔を見せる。
 全く寂しくないわけではないだろう。しかし強がっているわけでもないのだ。六花さんはもうすでに将来を見据え、ずっと一緒にはいられないことをちゃんと分かって、いつかお互いの夢に向って道を分つとしても、それでも互いを想い、側に感じられることを学校で、またこのクレーンゲームで感じることが出来たから寂しくはないのだ。
 思えばいつも一緒に居過ぎた所為で、14歳になって初めて嫉妬という感情に気付いた六花さんであったが、その頃から比べると、離れていても大丈夫とするのだから、随分と彼女は成長し心を育んだといえるのではないだろうか。

 マナを隔離したので、曰く「ヘナチョコ」なプリキュアをやっつけようとレジーナが現れてからが戦闘。
 マナが居ないプリキュアなんぞは要を失った扇子のようなものだとするレジーナであったが、その思惑は見事に外れることとなる。まぁこのアニメシリーズを熱心に見てきた人たちならばお分かりのことかと思いますが、マナと離ればなれにする為だけに、マナの夢を利用したと分かって難なくやられてしまうプリキュアではない。いやむしろ、この状況はプリキュアが最も力を発揮するシチュエーションである。
 誰かの善意、あるいは夢や希望、愛などを利用したり潰えさせようとするのを、大切な何かを守りきることが使命のプリキュアは絶対に許しはしない。そうなればプリキュアはいつも以上の力を発揮し、その悪意を必ず阻止する。こと今回に至っては誰にも想われているマナが標的である。このドキドキ!プリキュアチームにとって、ことさら六花さんとありすにとって、絶対に屈してはいけないし負けられないのだ。いつもなら苦戦する三幹部とレジーナをマナのいないプリキュアの皆さんが圧倒することとなるのも当然であろう。
 (あ、ちなみにの話ですが、ダイヤモンドとの一騎打ちの前に、マナが寝ないでスピーチを考えていたのにと言うのをレジーナが「簡単に騙される方が悪いのよ」と返すのだが……ダメだレジーナ。それは言っちゃぁいけない!このアニメシリーズを熱心に見てきた方なら察していただいていると思いますが、さぁ皆さんご一緒に!「騙す方が悪いに決まってるじゃない!」説明するまでもありませんが(?)Yes! プリキュア5 第7話からキュアドリームの名言です。見事な正論が実に気持ちが良いですよね。)
 話を戻して、マナが離ればなれにすれば他はヘナチョコだと思っていたのにと歯噛みするレジーナに、ダイヤモンドは生憎私たちは離れていても離れはしないと言う。その言葉に意味が分からないと答えるレジーナに、ダイヤモンドはちょっと驚いたような表情を一瞬見せ、どういうことなのかを語る。
 どういうことなのかは、これまで見てきた通りだし、このアニメシリーズにおいても何回も語ってきたことで、例え離れていても想い想われ気持ちの上で繋がっている、プリキュアが失ってはいけないテーマのひとつであるのでここで某ない。問題はダイヤモンドさんがちょっと驚いた表情をしたことだ。
 驚いたというよりは、むしろ「分からないの?」という表情の方が正しいのだろう。上記を説いて、マナもレジーナのことをいつも想っている、あなたもそうなんじゃないの?と問いかけた所を見ると、六花さん的にレジーナはそういう気持ちがあると思っていたけど、どうもそういう気持ちに自覚がないようなので説明して訴えかけた、と見て良いのだろう。するとレジーナがいつも鬱陶しいくらいマナマナ言ってることが判明し、マナも同じでいつもレジーナのことを考えていて、今どうしているか、つらくはないか、寂しくはないか、もう一度話がしたいといつも言っていることをレジーナは聞かされる。
 この時のダイヤモンドの表情がまた良い。すごく憂いた表情なのだけど、それは嫉妬ではなく、いつもマナがレジーナのことを想っていても、それが届かず、それでも想い続けているマナを六花さんは見てきたのだろう。マナの話を聞かないレジーナに対する怒りはなく、マナが想いを伝えられないのが見ていてつらいのだ。それ故彼女の言葉は説得力となってレジーナの心を大きく揺さぶる。
 「あなたに私たちは倒せない!」そう言い放つダイヤモンドは続けて「だって、私たち、マナの紡いだ愛で繋がってるもの」と笑顔を向けてレジーナの前に立つ。そして「あなたもマナのことが好きなんでしょ?」と問う。真っ直ぐに見つめる視線をそらして「ちがうもん。私は別に……」と言うレジーナにダイヤモンドは「好きなのよ!いいかげん素直に認めなさい!」強い口調で言う。同じマナを愛する六花さんに見え透いたウソなど通用しない。六花さんの言葉は意訳すれば、自分と同じくマナが好きなのに、好きじゃないフリをしてちょっかい出してくる、好きなら好きって言えないの!?と言っているようなモノである。ある意味修羅場であり、ある意味挑発でもある。
 ついにレジーナは「うるさいわね!そうよ!好きよ!私だってマナが好き!悪い?!」と本心を口にする。六花さんに挑発されてつい出てしまった感はあるが、やはり彼女は愛を失ってはいない。そして間の悪いことに帰ってきた気障男ジョー岡田によって脱出してきたマナがちょうどやって来ていて、レジーナの告白をバッチリ聞いていたのであった。
 言うつもりのなかった告白を聞かれてしまったレジーナが顔を真っ赤に染めてしまうのも無理からぬ話である。そんなことはおかまいなしに「それホント?」と笑顔で詰め寄ってくるマナに「ウソよ」などと言っても後の祭りだ。照れ隠しにジコチューをけしかけるも(笑)、5人揃えば販促玩具で浄化するだけである。
 退散しようとするレジーナを呼び止め、マナは今でも友達であるという気持ちは変わらない、好きと言ってくれたことは嬉しかったと伝えると、赤く染まっていた彼女の瞳がついに青く変色し、泣きそうな顔をして「つらい」と心中を吐露する。マナは好きだが父であるキングジコチューも好きであること、マナは他のプリキュアの皆さんがいるが、彼には自分しかいないのだと。すると、どこからともなくキングジコチューの声が聞こえ、レジーナの瞳はまた赤く変色し、取り憑かれたかのように「帰らなきゃ」と言ってマナの前から姿を消してしまうのであった。

 一時的にせよ、青い瞳のレジーナにさせたのは大きな出来事であったし、レジーナの本心・心中が知れたのは物語としても大きな進展と見て良いだろう。これからどうなるのかを気にさせてくれます。
 お話としては、上記しましたようにいつも以上に愛が溢れていて、特に六花さんが精神的に成長した様子がありありと感じられて、これまで熱心にこのアニメを見てきた甲斐があったというものです。いつも一緒じゃなく将来を見据えて、離れたとしてもこの愛は変わらないとしたのを見て、随分と大人になったなぁと感心しました。
 綺麗に百合色に染まった脳としましては、ダイヤモンドさんとレジーナは告白合戦みたいで「好き」の応酬は「うはー!なんだコレ」と思わずにはいられませんでしたよ。おかげでこの長文さ(笑)。マナは愛され過ぎだし、六花さんは……以下のコーナーに譲る。

今週のマナ大好き六花さん
 最近六花さんの「マナ大好き」がなくて寂しい、なーんて書いたような気がしますが、まさかここでこんなイベントがあるとは思いもよりませんでしたよ。六花さん本妻すぎるだろ。
 マナの方も「私がいなくて寂しくないの?」の件を見ると、なんだかんだでやっぱり六花さん、という気がします。個人的にマナはレジーナを妹に近い感じで見ているような気がしますけど、どうなんでしょうね?
 あ、どーでもいーけど、六花さんの部屋。カエルの置物に机の上のカエルマットを確認。以前のカエル目覚まし、カエルエプロンとスリッパもありましたし、今回クレーンゲームでぬいぐるみをゲットしました。なんでそんなにカエルが好きなのかなぁ。理由教えてくれればいいのに。

今週のまたみてね
 今回のまたみてねは「キュアエースさん」でした。
 次回は帰ってきた気障男ジョー岡田と共に、残りの神器エターナルゴールデンクラウンの登場です。もう残り話数も少ないのでクライマックスに入っていくんでしょうね。多曽爾身ではあるが……寂しくなるなぁ。

ドキドキ!プリキュア 第43話 たいせつな人ヘ!亜久里の授業参観!

2013年12月16日 | ドキドキ!プリキュア
興味深くなってきたなぁ。

 そんな今回のお話は…
 公園で暴れるジコチューと戦っていたプリキュアたち。
 ジコチューを倒して、キュアエースから亜久里に戻った瞬間、亜久里ちゃんは、誰かがこちらを見ていることに気付くの。あれは…おばあさま!?
 「おばあさまに見られてしまうなんて…」亜久里ちゃんはお家に帰っても、ショックでおばあちゃんの顔が見られなくて、ひとりでお部屋に閉じこもってしまうの。
 すると、お部屋の外からおばあちゃんが話しかけてくれたわ。だけど…おばあちゃんの話を聞いたとたん、亜久里ちゃんはさらにショックをうけてしまうの。その話とは…
 その日、マナのお家にお泊まりした亜久里ちゃん。でも、明日はおばあちゃんが来る授業参観の日。
 「一番大切な人」の絵を描く授業に、亜久里ちゃんはとまどってしまう。いったい、誰の絵をかくの!?
 以上公式のあらすじ。

 お話のメイン所としましては、あらすじにあるようにエースさんの正体をおばあちゃんに知られてしまって~という部分なのですが、個人的には亜久里の設定の方が興味深くはあった。
 とは言え、そのメイン所で某なかったわけでもなく、明かされた亜久里の設定と共に、彼女とおばあちゃんの関係を良く描いていて気持ちの良いお話になっている点は上手い。
 まず今回のお話として、亜久里の明かされた設定を見ていかなくてはならない。
 前回で亜久里は身寄りがなく、おばあちゃんに引きとられた事が語れましたが、ただ単純に両親を失ったとかではなく、空からピャーっと降ってきて、赤ん坊だった亜久里はあっという間に10歳になってしまい、天からの「彼女はキュアエース、伝説の光の戦士です。暖かく見守って欲しい」との声におばあちゃんは従って亜久里を育てていたわけです。まぁ要するに、なんだがよく分からない不思議な存在と知った上で、おばあちゃんは亜久里と一緒にいて暖かく彼女を見守ってきたわけです。
 しかし亜久里はそういった自分の事情はそのとき赤子だったこともあって知る由もなく、その上、今回大切なおばあちゃんにエースさんであることを知られ、プリキュアお闘争に巻き込んでしまうかもしれないことと共に、自分の事ながら自分が何者なのか分からない、ある意味「得体の知れない存在」であることにショックを受けてしまい、つい家を飛び出してしまうこととなる。
 特に劇中でその時の亜久里の心中が語られることはないのだけど、自分が知らない事実を知りながら、なんだか得たいの知れない存在の自分を側に置き大切にしてくれているというのに、この上闘争にも巻き込んでしまうかもしれないことを考えると、どんなに一緒にいたくともいられないと思っていることがありありと分かる。なにせ靴も履かずに家を飛び出しマナたちの所へやってきて、六花さんに時間を巻き戻す装置は作れないか、ありすに四葉の家の力でなんとかならないか、アイちゃんの魔法でなんとかならないかと詰め寄って、大粒の涙を流すのだからさもありなん。
 とまぁ正直に言ってしまえば、今回のお話は終始、おばあちゃんはなんだかよく分からない存在であるところの亜久里ではあるけれど本当の孫のように大切に想っているし、亜久里は亜久里で自分でさえ自分が何者か分からないけれど、それでも自分としてはおばあちゃんを本当の肉親のように大切に想っている、ということを延々と見せ続けているので、このメイン所の展開としては、こうなるのであろう展開になっていくのだけど、このお話で、これでもかと見せつけてくるおばあちゃんと亜久里の気持ちがあるので、ちゃんとここ一番で二人の気持ちを感じられて胸にぐっとくるようになっているのだから上手い脚本だと言えるのではなかろうか。
 戦闘でおばあちゃんが危険を顧みずにジコチューとエースさんの間に入り、消されてしまった亜久里の絵を手に取って、これは大切な「孫」が私を想って描いてくれた物だから、消されてしまってもその想いは十分に伝わったとするし、エースさんは「ふたりを消してしまえ」と言うレジーナに対し、この「円亜久里」がおばあさまには指一本触れさせないとするのだから、ある意味ではなんら関係のないふたりではあるものの、この物語のメインテーマである所の「愛」をおばあちゃんと亜久里から十二分に感じ取れて、割りとしっとりとした話ではありますが、気持ちの良いお話であったように思います。

 さて、お話の方はこれくらいにして、やっぱり興味深かった設定の方をば。
 まぁ正直言っちゃうと、自分の事もよく知らない亜久里であるのなら、両親がいないとか、一年前以上の記憶がないとかにもっと前から自分で自分に疑問を持っていてもおかしくない所ではあるんだけど(笑)、そこは優しくスルーして差し上げるのが吉なので放っておいて、以前キングジコチューと戦った云々に言及しましたな。
 それが亜久里の一番古い記憶ということなんだけど、前回王女さまとキングジコチューの夢を見るようになり、そして今回自分の出自を知って、それが自分の記憶なのかどうかさえ分からなくなった、ということになりましたが、うんまぁそういうことから察するに、どう考えても王女さまに関連しているとしか思えないよね。その上で、マナの家にお泊まりした髪を下ろした亜久里がレジーナにそっくりだったことも踏まえると、やっぱり亜久里とレジーナは王女さまの一部と考えるのが自然だよなぁ。そして王女さまとキングジコチューは何かしらの因縁があるようなのは、前回亜久里が見た夢の通りである。
 まぁキングジコチューと王女さまに関しては、夢以上の者が語られていないので分かり様がないのでとりあえず放っておいて、亜久里とレジーナが王女さまの一部であることが正しいとするならば、王女さまのご復活という所で問題が出てくるではないか。
 トランプ王国としては、アン王女を擁して王国の復興が目的である。つまり現国王であるアン王女がいなくては話にならない。復興したらなんだか分からないヤツが王様になっていた、では国民が納得しないしなぁ。そこでだ。王女さまが復活されるのが大前提だとするならば、その一部である亜久里とレジーナはどうなってしまうというのか。
 ふたりが一部であるという仮説が正しいとするならば、王女さまがふたりを内包しなければご復活されないと考えるのが自然。とするとふたりを取り込むような格好にならなくてはならないわけで、それは亜久里とレジーナという存在がなくなってしまう、という答えが導き出されてしまうではないか。
 まぁ敬愛する麗しのマリー・アンジュ王女さまがご復活されるのであらば、私としてはやむなしと言えるのですが、プリキュアシリーズとして「キュアエース」がいなくなるのはあってはならないことですよね。ほら、プリキュアオールスターズがありますから。となると、少なくとも亜久里がいなくならないことも前提なのだ。そうなると亜久里とレジーナが王女さまの一部であるという仮説が成り立たなくなってしまう。
 まぁそれとしても、これまで主役であるマナがレジーナレジーナ言っていることも考えると、彼女もいなくなってしまうのはどうかとも思うし、レジーナと亜久里が一対であることは、おそらくはそうだとしても、それならば王女さまという所でつながりにくくなってしまうよなぁ。
 そもそもを言えば、おばあちゃんが亜久里を発見時になんで赤子だったのかも引っ掛かる所で、理由がないのなら赤子である必要がないわけだから、赤子の状態で地球に降り立ったことに何かしらの意味があるはずなのだが、それがさっぱり見えてこないのだよなぁ。
 もひとつおまけを言えば、アイちゃんの存在がどこにかかってくるかもよく分からん。王女さまのお言葉によれば「最後の希望」なのだけど、何をもって最後の希望なのだかよく分からんよなぁ。王国復興の為の最後の希望なのか、キングジコチュー討伐の為の最後の希望なのかで変わってくるし、これまたそもそも論をしてしまえば、アイちゃんは何者なんだよって話ですよねー。
 何がどうなっているのか分からなくておもしろくはあるんだけど、最後にはちゃんと綺麗に収拾ついてくれるのか心配になってきてしまう。最後にバタバタッと詰め込んで何か回収漏れがない事を祈る他ない。

今週のマナ大好き六花さん
 お話の方で語りましたように、今回はおばあちゃんと亜久里で話が進んで行きますので、六花さんという所では特に何もなかったです。
 その分次回がおもしろそうなのでそっちに期待していきたい。

今週のまたみてね
 今回のまたみてねは「キュアダイヤモンドさん」でした。

ドキドキ!プリキュア 第42話 みんなで祝おう!はじめての誕生日!

2013年12月08日 | ドキドキ!プリキュア
お話はともかく……って言うお話。

 そんな今回のお話は…
 みんなで星占いを楽しんでたら、亜久里ちゃんが自分の正座を知らない、誕生日も分からないって言いだしたの!
 その言葉に、マナたちはビックリ!甘いものが大好きな亜久里ちゃんなのに、お誕生日ケーキも食べたことがないらしいの。
 でも…お誕生日がわからないなら、いつお祝いしてもOKだよね!
 思い立ったらすぐに動いちゃうマナは、亜久里ちゃんのためにサプライズパーティーを思いつくの。
 次の日、手分けしてお誕生会の準備をするマナ、六花、ありす、真琴たち。亜久里ちゃんにバレないように、こっそりやらなくちゃ!
 なにも知らない亜久里ちゃんは、みんながコソコソしていることを不思議に思うけど…
 亜久里ちゃんの初めてのお誕生会、無事に成功するかな!?
 以上公式のあらすじ。

 とまぁお話としましては、あらすじにあるように亜久里にサプライズバースデーパーティーしかけるぜー!というお話なんだけれど、正直そっちはどーでも良く、冒頭に書きましたように、お話はともかくむしろ設定的なことの方が重要だ。
 なんで亜久里が誕生日を知らないのかを説明すると、劇中のマナママによれば、身寄りのなかった亜久里をおばあちゃんが引き取ったらしいのだが、アバンで亜久里が王女さまとキングジコチューの対決を夢に見ていたということは、普通(?)に事故なりなんなりで両親を亡くしたというわけではないのだろう。
 まぁそれを踏まえて考えると、といいますか、こんなあからさまに王女さまとキングジコチューの対決シーンを夢に見るのだから、亜久里自体が王女さまと何かしら関係がある以外にないではないか。王女さまがいまだにお目覚めにならないことを考えると、亜久里は王女さまの一部分なのかもしれないなぁ。
 ほら、7話の真琴の回想で、マーモにジコチューにされそうになった経緯があるので、肉体と精神を切り離して御身を守り、そこから精神の方はジコチューな部分を切り離して、ジコチュー部分はレジーナ、そうじゃない方は亜久里になった。とかどうだろう。
 そうだったとしても、ひとつ分からないのはアイちゃんの存在だ。上記仮定が正しかったとして、そこにアイちゃんがどう絡んでくるのかが分からないではないか。アイちゃんはボーカルアルバム2で曲があって(それにはちょっとビックリしました)台詞が入るんだけど、プリキュアの皆さんに妖精たちも大好きだけど「でも一番好きなのは、ママ!」とか言うんだよ。ママって誰よ?って話じゃないですか。
 プリキュアの皆さんの名前を出して「でも」なんだから、ヒヨコの刷り込み的なことでマナがママみたいなことではないわけだ。ということは、プリキュア関係者で赤子がいてもおかしくない年齢の者と言えばもう王女さましかいないではないか。するってぇと誰との子供よって事になるよなぁ。普通に考えれば、自称婚約者の気障男ジョー岡田となるわけだが、いやいや「婚約者」だぜ?王族と婚前交渉はないだろうよ、っていうか、百歩譲って婚約者は良いとしても(良くはないが)婚前交渉は許さんぞ!!せめて、せめてちゃんと結婚してからにしろ!

 まぁアイちゃんのことはその内に明らかになるであろうからいいとして、もひとつ気になったのは亜久里の夢の中での王女さまとキングジコチューの会話である。
 王女さまのどうしてトランプ王国を滅ぼそうとするのかという問いに、キングジコチューは「それはお前が一番良く知っているはずだ。マリー・アンジュ」と答えるのである。ふぅむ。この口ぶりだと少なくともキングジコチューは王女さまのことを良く知っているようであるが、王女さまとしてはお心当たりが無いようである。
 今この時点でこのふたりに関して全てが明らかになってしまっては物語としてはいかんので、興味を引っぱっているという点で良いだろう。どうもこのふたりには、何かしらの因縁があるようだが、キングジコチューの一方的なことのように見えますな。「永遠の愛など存在しない」等とキングジコチューが言っていたことを考えると、王女さまにフラれたとかそーゆー話なのか?さらには上記仮定として考えると、王女さまの一部を保護しレジーナとしていると考えれば割と辻褄が会うような気がしないでもない?

 ともあれ、上記しましたように、お誕生日会イエー!なお話よりも、その辺の設定の方が断然興味深かったなぁ。でもどうせだったら、亜久里の夢はもっと前からちょいちょい見せておいて、情報ももっと小出しにしてちりばめた方が、エースさんの取って付けた感が薄れて良かったのかもしれないとも思う。
 もうここまでくるとエースさんが王女さまと何かしら関係していることは分かるので、とするとエースさん自体はけっこう物語の核とも言えるわけで、だとするならば、これまでにもっと「おやおや?」と思わせても良かったんじゃないですかね?

 その他気になった部分としては、お話冒頭での星占いのこと。マナと真琴の誕生日が明らかになりましたねー。マナは8月4日、真琴は11月4日なんだそうです。誕生日の設定が出てきたのはSplash☆Star以来となります。
 六花さんとありすは何月何日かは分からなかったんですが、ありすは双子座、六花さんは乙女座ということなので、それぞれ5月21日~6月21日の間、8月23日~9月22日の間、ということになりますね。
 こういうのは物語には全然関係無いのだけど、キャラクターのパーソナルな部分が感じられて、なんかちょっと嬉しいですな。ってゆーか、こんなサイトやっている身としては、おめでとうの一言くらい言ってあげたいので、どうせならありすと六花の誕生日も教えてもらいたかったんですが……。

今週のマナ大好き六花さん
 星占いを否定する辺りはさすが六花さんという感じですよね。血液型占いとか全く信じてなさそうだ(笑)。まぁ血液型に関しては、ほぼ日本でしか流行っていないんでさもありなん。
 どーでもいーけど、自分も六花さんと同じで乙女座なんですよ!ああなんか、なんか嬉しい!!(笑)

今週のまたみてね
 今回のまたみてねは「キュアソードさん」でした。
 どうも次回もまた亜久里回の様ですが、この辺りで亜久里の設定を回収していきながら、物語の核心を突いてくるんですかねー。
 個人的には亜久里はけっこうどーでもいーんだけどなー。

ドキドキ!プリキュア 第41話 ありすの夢!花がつないだともだち

2013年11月30日 | ドキドキ!プリキュア
お話はなんか散漫であったが、展開的にはおもしろかった。

 そんな今回のお話は…
 お花を育てるのが大好きなありす。小さな頃の夢は、お花屋さんになることだったんだ。そんなありすの夢を知ったマナは、夢を叶えるアイデアを思いつく。
 それは、フリーマーケットで1日だけお花屋さんをオープンさせること。
 さっそくありすが育てたコスモスやゼラニウムをお店に並べると、ステキなお花屋さんが出来たわ!ありすは大喜び!
 そこへ、ありすとなんでも張り合おうとする幼なじみの五星麗奈がやってきて、同じようにフリーマーケットでお花屋さんを始めたの。しかも、ゴージャズなお花を安く売って、お客さんを厚めようとするの。
 でもありすは、マイペースでお花を売っていくわ。お花を買って笑顔になるお客さんをみると、ありすもうれしくなっちゃうの。
 そんな時、ありすのお花も麗奈のお花も、そして街中のお花も次々と枯れはじめた…!街中の花が枯れてしまうなんて…どうして!?
 以上公式のあらすじ。

 お話はレジーナがジコチューを使って花を枯れさせるので止めるぜーという内容。端的に言えば。花云々にかけた説法も、少々強引な感があってメインターゲットの皆さんならまだしも、大きなお友達としては乗り切れなさはある。
 というのも、ありすが花が好きだという設定が、今の今まで語られることがなかったので、ありすと花に関して思い入れがないものなぁ。そんなわけなので、お花云々は個人的にどーでもいー。
 正直な所を言えば、お花云々がなくても今回のお話は別な形で成り立つような気がするので、むしろ花が関係なかった方がおもしろかったのかもしれない。
 まぁそれはともかく、冒頭に書いた展開的なこととして、やっぱりレジーナのことだろう。
 前回の真琴の歌は随分と効果があったようで、復活してからどんなに言葉を投げかけても取りつく島のなかった彼女が、今回はありすの言葉に心を揺り動かされ、赤い瞳が一瞬青く変わったり、躊躇したりする様子が描かれ、真っ黒に染まったプシュケーも、少しピンクを取り戻すこととなりました。
 なるほど、真琴の歌で突破口を開いたので、ここしばらくはレジーナの心に攻勢をかけていき、彼女のプシュケーを浄化していって後もう少しって所からクライマックスに突入していくのであろう。
 こういう段階を踏んでいくことは割と重要で、何かの大きなイベントで突然ひっくり返るのも、ありと言えばありなのだけれど、それはやっぱり都合よく見えてしまうものである。しかしこの4クールの長丁場を考えるに、その全体的な尺の長さを活かして小さなイベントを重ねていくことで、見せ所である大きなイベントでの逆転劇の納得材料になるし、こういうことがあったからと思い起こせることがあれば、同じイベントでもやはり積み重ねがある分、盛り上がりもするだろうというものである。
 そういう観点から言って、真琴の歌を始まりとしての今回は第一ステップとして捉えることができ、どの段階でどうなるのかも期待させてくれたという点で興味深かった。次回は亜久里のお話のようですが、順繰りに行ったとして、亜久里、六花さん、マナときた時には随分とレジーナのプシュケーも浄化されていることであろうから、揺れ動くレジーナをマナたちがどうして、キングジコチューが何を仕掛けてくるか楽しみである。
 レジーナに関連した所では、マナたちがレジーナに対しいつものように攻撃をしないで訴えかけているのに対し、やっぱりと言いますか、エースさんだけは攻撃を仕掛けに行っていました。うーん、やはり私にはふたりが相容れない立場にいるようにしか見えません。随分前の感想に書いたような気がしますが、このふたりはなんだかんだで元々ひとつの何かしらじゃないんですかねぇ。レジーナはともかくとしても、エースさんひいては亜久里のことってあんまり語られていませんし、ここへ至っても今ひとつマナたちとの仲間感が無い事を考えると、マナたちとは別の役所があると思って然るべき、なのではなかろうか。
 ま、それはそのうち明らかになるであろうから(まさか、投げっ放しジャーマンかまされることはないだろうし)とりあえず放っておくとしても、その辺がどうなるのかなーと興味を惹いている点でシリーズ構成としては、これまでのこのアニメシリーズよりかは細かい所を突いてきているような気がして、まぁ今回のお話としてはあんまりおもしろいお話ではないのですが、興味深い話にはなっていると思う。

 個人的には13話で使い捨てキャラかと思われた(笑)五星麗奈が使われたのは良かった。
 13話でなんでありすと友達云々の話をしないのだろうかと書いたような気がしますが、ここでそれをちゃんと回収してくれたのは個人的に気持ちが良かった部分だ。まぁその感想で、こうすれないいのにと言ったことが、今ここで本当になったのだから、自分としてはそりゃ気持ちがいいというものである(笑)。
 ま、しかし。間が空き過ぎであることは否めず、もちっと早く麗奈のことはやっておくべきだったような気がしないでもないし、今回で麗奈がキュアロゼッタ=四葉ありすであることを知り得たのならば、ここまでにちょいちょい出てきて彼女たちの間がちょっとずつ縮まっていく所を見たかったような気がします。ただでさえありすの私生活ってあんまり見えてこないし。ありすってホントに学校行ってんのかなぁ(笑)。

 まぁそんなわけで、上記しましたがお話としては特にどうと言うことのない話でしたが、麗奈とレジーナの部分で毎週熱心に見ている身としては見れるお話にはなっていたのではないかと思います。

今週のマナ大好き六花さん
 毎回「マナ大好き」と書いてはいますが、第2クールに入ってから「マナ大好き」ってところが見られなくなったよなぁ。10話の嫉妬回を経て、六花さんが精神的に成長したって捉えるべきなんでしょうか。
 ま、それはともかく今回の六花さんとしましては、麗奈が出てきた時の顔が印象的で、やっぱりと言うかなんと言うか、13話の時の印象がすこぶる悪かったんでしょうねぇ。「うわっ!出たっ!」見たいな顔をしていましたよ(笑)。
 それと六花さんが真琴の方に手をかけているカットがあって、随分仲が良くなったなーという印象。まぁこれまでふたりが相反していたわけでもありませんが、あまりこの組み合わせが描かれることはなかったので印象深かったのかもしれませんが、よくよく考えてみると真琴と六花さんはけっこう気が合いそうな感じではある。
 真琴はこれまで見てきた通りに真面目一徹な人だし、六花さんも一般的に見ればけっこうな真面目な優等生ですものね。真琴は異世界人なこともあって天然な所もありますし、意外とマナ的な要素があって六花さん的には心地良いのかもしれん。
 マナみたいにハチャメチャなことをしでかさないし、しっかりしているし、真面目一徹だしで、真琴といる時が一番ラク、なのかもしれませんね。

今週のまたみてね
 今回のまたみてねは「キュアハートさん」でした。
 次回は亜久里の誕生日パーティーのお話のようなんですが……エルちゃんの姿が見えないのは何故なんですかね。まさか忘れてないだろうな。

ドキドキ!プリキュア 第40話 とどけたい思い!まこぴー新曲発表!

2013年11月19日 | ドキドキ!プリキュア
前半はともかく、後半は良かったなぁ。

 そんな今回のお話は…
 トランプ王国で、再びレジーナに会うことが出来たマナたち。でも、レジーナの心の中はジャネジーでいっぱい…。
 早く倒さないと、とあせる亜久里だけど、マナはレジーナと戦いたくない。レジーナは本当はいい子なんだって、今でもマナは信じてるの。
 マナの気持ちが分かるようになった真琴は、自分もなにか出来ないか考えるの。
 真琴に出来ることは、歌を歌うこと。レジーナの愛を取り戻すために、真琴は新しい曲を作りはじめるの。
 真琴がレジーナへの想いを曲にしようとしていることを知ったマナたちは、曲作りをお手伝いすることに。
 マナ、六花、ありす、真琴、それに亜久里…。みんなで作った歌は、レジーナの心に届くかな…!?
 以上公式のあらすじ。

 お話はあらすじにあるように、みんなで真琴の新曲を作って気持ちをレジーナに届けるぜ!って話。
 まぁそんなお話ならば、展開的には予想の範疇ではあるんだけど、そういう中で冒頭に書きましたように前半はともかく、後半の一番見せたかったであろう所はよく出来ていたと言えるのではないでしょうか。
 流れ的には、前回の感想にも書きましたが、キングジコチューを大切に想うレジーナをマナはちゃんと見ていて、早く倒さないととする亜久里に対し、マナはレジーナにもちゃんと愛があるのだとし、戦わないで済むはずだと言う。しっかりとレジーナから愛は失われてはいないことに気付くのはさすがは相田マナと言った所だが、そこから今回の本題である所の真琴の新曲へつながってくる。
 マナと亜久里のやりとりを見て、マナは相変わらずのブレの無さで、今でもレジーナを友達として信じている。それに対し自分はどうなのだろうと真琴は考え、以前は絶対に許せないと思っていたレジーナであるが、段々と愛を知っていった彼女を見てきて、今となってはマナのようにレジーナを信じたいと思うようになっていた。
 随分な丸くなり様な感はあるものの、これにはそれなりに理由がついていて、マナと亜久里のやりとりで、我が麗しの王女さまが所有していた光の槍と称される三種の神器ドラゴングレイブがレジーナの手に落ちたことに亜久里は責任を感じているのだろうという前フリがあって、真琴はその亜久里の気持ちが分からんでもないと言う。
 トランプ王国を救うことが出来なかった真琴ですから、その責任感という所で重なる部分があるのも頷ける話である。そこでだ。今の真琴と最初の頃の彼女を比較してみると、真琴はマナたちと共に過ごしてきて、随分と丸くなったことが窺える。前回マナのシャドーに付き合ってはしゃいじゃう彼女は最初の頃の彼女であったなら絶対しなかったことであろう。彼女を40週も暖かく見守ってきた身としては、これまでの様々なイベントを通して、彼女の中の心の変遷が読み取れるというものである。
 これまでの39週があって、真琴は変わった、いや、変われたと言うべきなのかもしれないが、ともかく、以前のように敵を倒し王国を復興させるだけではなくなったのだ。そんな真琴だから亜久里の気持ちが解るし、絶対に許せないと思っていたレジーナを今は信じたいと思うのだ。
 そして真琴は自分に何が出来るのかを考えていた所、同じ芸能事務所の同期(なんだろうか?)からヒントを得て、自分が最も得意とする歌でレジーナに気持ちを届けようと曲を作ることとなるわけだ。
 そこから真琴が新曲を作り始め、悩み、それを見たマナたちが手伝っていく様子が描かれ、それと同時に、光の槍を手に入れたキングジコチューは、一気に人間界を攻め滅ぼすと言い出すが、レジーナは人間の心は手強いとし、まずは心を弱らす為に心に栄養を与える歌を消し去ろうとする様子も描かれるのがAパート。ここでしっかりと歌を作るプリキュアの皆さんと、歌を消し去ろうとするレジーナという構図を見せて、一番の見所である後半へ突入する。

 真琴の新曲お披露目イベントにたくさんの人が集まる中、やはり歌は厄介だと姿を現すレジーナは、早速ジコチューを作り出し会場を襲う。寝坊して遅れているマナたちはまだ来ず、真琴がひとりキュアソードとなって奮戦するが、光の槍を有するレジーナには敵わずに拘束されてしまう。タイミングよく(笑)到着したハートたちから、このステージがレジーナに気持ちを届ける為の曲を披露する場であることを聞かされても、やはりレジーナには届かずイーラ・マーモも戦闘に加わりハートたちはソードに近づけない。
 そんな様子を見ていたソードは、作った曲を聞かせたい本人が目の前にいるとし、今なら想いが届くかもしれない、いや届けてみせると変身を解き、ダビィが会場に曲を流し真琴は作った曲を歌い出す。ここからが今回一番のメインどころである。
 真琴の歌を聞き、レジーナは大きな動揺を見せると、その力によって真琴を拘束していた力が消え、真琴は歌いながら真っ直ぐにレジーナを見つめ、ゆっくりと彼女に向けて歩を進める。その姿にレジーナは動揺を隠せない。胸が熱くてたまらないのだ。歌を止めさせようとイーラたちをけしかけるレジーナであったが、そうはさせじとハートたちが立ちふさがる。私たちの想いをちゃんと聞いてくれと。イーラにはダイヤモンドが、マーモにはロゼッタが、ジコチューにはハートとエースが立ち塞がり、真琴はレジーナに向けて真っ直ぐ歩を進め、レジーナの心は激しく揺さぶられることとなる。
 正直、ソードが拘束されて時点で、こうなる展開は読めていた。いやもう、これしかないだろうと思っていたわけだが、プリキュアとしてではなく剣崎真琴としてレジーナに気持ちを届けようする真琴、そんな彼女を守るハートたちの姿はまさしく「プリキュア」と言って良いだろう。伝説の戦士プリキュアの使命は敵を倒すことではなく、大切な何かを守ることである。そしてそれは伝説の戦士だからではなく、いち人間としての純然たる想いなのだ。対象に技をぶっ放して都合良く浄化、ではなく、ただ自分たちの想いを聞いてくれ、戻ってきてくれとレジーナを信じ訴えているだけなのだ。彼女たちが大切な友達を悪から救い出したいとしていることがありありと感じられるではないか。
 レジーナの目の前まで来た真琴に怯んだレジーナは槍を突き出すが、ダビィによってソードへと変身した真琴は槍を受け止め、真っ直ぐレジーナを見つめて歌い続け、あの序に手を伸ばす。攻撃されると思ったのであろうレジーナは、目をつむって身構えるが、なんぞ計らん、その手はレジーナの頬に優しく添えただけであった。
 微笑みを浮かべながら歌い続ける真琴を見つめることとなったレジーナの瞳は輝き、あっけにとられていた表情は次第に微笑みへと変わる。真摯な真琴たちの想いは、愛を失ったわけではないレジーナの心に少なからずしっかりと届いたのだ。現実に照らし合わせれば甘っちょろいのかもしれないが、こんな世知辛い世の中だからこそ、フィクションの物語の中くらいは理想が形を成して欲しいと思うのが人の心というものだろう。こうあってほしいと思う事がなってくれる気持ち良さと言ったらない。
 だがしかし、レジーナはハッと我に(?)帰り、叫び声を上げて真琴の手を振りほどき、その拍子で平手打ってしまう。悪に染められた彼女の心を激しく揺さぶり笑顔を引き出しても、愛知ったる身だからなのか、父とするキングジコチューの呪縛からレジーナを救い出すことは出来なかった。
 レジーナは激しく動揺し、距離をとってプリキュアたちを消し去ろうと光の槍をかまえ一撃を入れようとする。その様子に逃げなさい!と言うエースであったが、ハートは自分はレジーナを信じているから逃げないと言い放ち、それに賛同する真琴、六花、ありすはレジーナの前から動かないのだから、彼女たちの想いの強さが窺える。
 放たれた一撃を避けようともせず、レジーナ!と呼びかけるマナたち。するとコスチュームのハートが輝き出し、放たれた一撃を消し去ると新しいラビーズが出現する。

 さて、ここからは販促玩具の登場ですので一気に私も我に帰ります(笑)。
 何で見たかは忘れてしまったが、新しいラビーズでラブリーパッドに付けるハープの形をしたガワの玩具が登場し、ポロロ~ンと音を流すとプリキュアの皆さんから羽根が生えてパワーアップします。
 販促玩具登場の割には、ここでの販促玩具はさほど都合良く感じない。何せ上記したように、マナたちの想いの強さを見せているので、ここでの販促玩具での逆転劇は無理がないのだ。
 というのも、こういった「プリキュア」の力の源ってなんなのかを考えると、これまでの歴代を全て見てきた身からすると、やっぱり想いの強さだと思うのです。彼女たちが今回レジーナに攻撃ひとつしないで信じ、想いを届けて、救い出そうとしたのだから、むしろ今ここで何かしらの力が発揮しないでどうすると言った所だ。
 どうやらラブリーパッドの真の力の発現らしく、羽根がピローンと生えるわけですが、上記したように彼女たちの想いが形になったような感じがして見ていて気持ちが良い。まぁ相変わらすバンク技はあんまりカッコ良くありませんでしたが(苦笑)。
 ここで苦言をひとつ。というか、今回を見た皆さんも感じたのではないかと思いますが、エースさんに羽根が生えるのはちょっと納得がいかないよなー。
 なにせ胸のハートが輝いたのってハート、ダイヤモンド、ロゼッタ、ソードの4人だし、レジーナ信じるって言ったのも4人だし、その直前はエースさん「逃げなさい!」とか言ってたしで、どー考えても羽根生える理由がないよなー。そんなんだから今ここに至ってもエースさんに仲間感がねーんだよ。むしろ羽根生えるのは4人だけで良いのではなかろうか。
 というのは別にエースさんが仲間という感じがしないからというわけではなく、この40話という段階まで来ても、エースさんとレジーナで反目した関係を見せているのだから、そういう役割なんだと思うんですよね。なにかレジーナと相反する設定があると考えれば割と得心がいかないこともない。
 とするならば、ここで羽根生やさなくとも、その役割が分かる「ああ、だからエースさんは4人とは違ったのね」という所で満を持して何かしらしてあげた方が、気持ち良くハマるような気がしますが、はてさて。
 ともかく、販促玩具が出れば、新バンク技「ロイヤルラブリーストレートフラッシュ」をぶちかまし、ジコチュー側を退けて戦闘は終わりです。
 事後、レジーナに気持ちが届かなかったと言う真琴であったが、亜久里が少なくとも自分には心が震えているように見え、マナが言うように愛があるのかもしれないと言い、マナがきっとそうだと続けて皆で夕暮れの空を見つめて終わる。
 お話としては、レジーナをどうにか出来そうではあったものの、取り返すまでには至らなかったという話ではありましたが、言葉を尽くしても取りつく島のないレジーナを、歌で激しく揺さぶって、改心するフラグを作って後の話につなげているのはよく出来ていて、さすがはシリーズ構成山口亮太と言った所。
 展開としても分かってはいるものの、これぞプリキュアと言わんばかりの、こうあって欲しいことをやってくれた気持ち良さがあって胸がすくのと同時に、レジーナを取り戻す所でこれ以上の盛り上がりを見せてくれるのではないかと期待させてくれる良いお話であったと思います。

今週のマナ大好き六花さん
 あまりコレといった所はなかったのですが、相変わらずの鋭いツッコミは心が和む(笑)。それと曲作りで夜更かして学校で寝てしまっている真琴の理由が分からないマナに、六花さんが冷静にその道のプロに聞くのよとありすに連絡するのはさすがだよなー(笑)。
 それでありすから真琴のことを聞くこととなるのだが、それでちょっと気になったのだけど、真琴が所属する芸能事務所が今回描かれて、その名も「ヨツバミュージック」だったんですけど、どー考えてもありすの実家四葉グループの傘下ですよねぇ。ということは、真琴にとってありすは大オーナーになるんじゃねーのか?
 真琴はありすに敬語使った方がいーんじゃないですかねー(笑)。

今週のまたみてね
 今回のまたみてねは「キュアロゼッタさん」でした。
 次回はありす回のようで、いつぞやに登場した五星れいなさんが再登場のようだし、サブタイで友達云々言っていますから、そのいつぞやでなかったありすとれいなの友達云々が見られそうでちょっと楽しみだ。
 今ここで五星れいな出すんなら、けっこういい話だった亜久里回のゲスト、エルちゃんももう一回出てきて欲しいなぁ。