昨日は大好きなももかさんと
ゆっくりランチができて幸せな一日でした
とてもお忙しいのに
貴重なお時間を本当にどうもありがとうございました
ももかさんといると
私は「自分を理解してもらわなきゃ」と
全く思わなくなる。
そのまま、そこにいるだけで
わかって下さっている気がしてしまうのだ
よく考えると
大人になっても大切にご縁をつないでいる人、
私を可愛がって下さる人は
「何も言わなくても、そのままの自分でいい」
そんな風に感じてしまう。
昔から私は
誤解される人間だったように思う
そう、
好いてくれる人
嫌う人、
結構はっきりしていたような気もする。
私は友達は量より質なので
みんなに嫌われても好きな人に理解してもらえばいい、
今でもその考えは基本的には変わっていません
だから私は今でも
本当に好きな人、
好きでいてくれる人としかつきあっていません。
あ、
「誤解されやすいなあ・・」と
今でもはっきり覚えているのが
大学1年の初め頃。
W大サークルに入っていたのですが
2つ年上の先輩とつきあうことになった。
高校時代からの彼の束縛に耐えられず
何ども別れたりを繰り返し、
そんな相談をしていたら
助けてくれたパターン←良くありますね(笑)
んで、
その先輩を3ヶ月目で振ってしまった
やな奴でしょ?
うん。
確かにこれだけだと
「年下の新入部員のなまいきな女、先輩を振りやがって」
そう映るに違いない。
当時サークルの幹事長であった失恋した先輩は
サークルのラウンジで落ち込む落ち込む。
女性の先輩達が
「もうAくん(先輩のこと)、なんとかしてあげてよ」
ととんでもない振られ方をした彼を助けてあげてよと
サークル仲間に呼びかける。
ということを噂で聞いた。
私は女子大だったので
サークルに行かなければ良いだけなので
「生意気な悪魔の女、悪女」
というイメージのまま、たぶん現在に至っている。
どうして振ったのかは
誰にも興味ないし、聞かれないし
私もいちいち言わない。
というか
悲しかったので自分の中で封印してしまったのだ。
先輩は悪気があったわけではない。
ただ、女性とつきあうのは当時彼は21歳だったし
慣れていなかったのかもしれない。
大人になった今なら私もそう思えるのかもしれない。
でも当時、
私は夜道が人の何倍も恐ろしく不安で
どうしようもなかった。
小学6年の頃、
高校2年、
2度も襲われかけている。
(ちなみに大学3年でも襲われパトカーが来て下さいました)
その頃大学1年だった私は
花火大会があるという彼の住む埼玉まで電車で行き、
「帰りは車で送るからね」
と言われたものの
性格上遠慮するタイプで
しかもつきあって3ヶ月くらいだし、
「家まで送るのは大変だから駅までで大丈夫です」
と言っていた。
本当にそう思っていたので
花火が終わるとそわそわ時間が気になり
「そろそろ行きますか」
と言ってみるものの
彼の知り合いのレストランに行き
紹介されること数時間。
(結局そこでゆっくり夕食になる)
こんなにのんびりしているのだから
送ってもらいなさいよ、
そういう自分の気持ちと
埼玉から湘南まで送らせるのは大変だという気持ちで
もう私は
帰りのことで頭がいっぱい。
お友達と夜遊ぶと帰りの心配で頭がいっぱいで
いつも心から楽しめたことがなかった。
***************
やっと車に乗り帰ることに。
時間もかなり遅くなってしまっていた。
こんなに遅くなってしまったのだから
送ってくれるのだろう
そう信じても一応、
「あの、どこかの駅で大丈夫ですよ」
そう恐る恐る言ってみた。
どれくらい走っただろうか。(30分?1時間?)
先輩が言った。
「う~ん、じゃあ本当はもっと一緒にいたいけど、
(送るのは)我慢しよう。」
え?
ええ??
なに、送るの我慢しよう、って
新宿駅。
0時すぎ。
急いで最終か何かに飛び乗った記憶がある。
しかも
「さがみおーのどまり。」
(ローカルネタですみません 笑)
おいおいおい、
電車、湘南まで行かないってばよっ
帰れない、私。
もうパニクってしまった
夜道の襲われたあの恐怖で
どうにもできなかった。
当時は携帯もない時代。
孤独感は半端じゃない
今なら「駅前のホテル」か何か
泊まるとか考えられたかもしれないけど
当時なんてお店が深夜までやっているところなんて
あまりなかった気がする。
相模大野には
どんなに遅かろうが送ってくれる元彼がいる。
そう、電話してしまった。←ココが本当の悪女
(公衆電話からね)
無事、帰宅。
送ってもらってしまったので
またつきあいを復活。
私には夜道はどうしようもなかったのだ。
***************
「お前ってかってだよな。本当に最悪」
そういう捨てぜりふを言われても
何ヶ月も「やり直そう」言われても
いやいやいや、
真夜中に東京の駅に放り投げられるような
大切にされていない自分が情けない、
もう復活はない。
送るつもりがないなら
何故もっと早く、
電車がある時間までに帰してくれなかったのか。
19歳の私が
どれだけ夜道が恐ろしいかわかってもらえていなかった。
どうして甘えて(いや脅して 笑)
「家まで送って」
と言えなかったのか。
(仕事があるわけじゃないし。二人とも大学生だし)
大人の今ならもっとうまくつきあえたのかもしれない。
(いや、大人の私ならそんな男選ばない)
もしも私が別れた原因を言ったら
もしかしたら同情してくれた先輩も少しはいたのかもしれない。
「なまいきな嫌な女」というイメージは避けられたのかもしれない。
でもその当時は
夜中に新宿駅という
もうその事がトラウマで自分がどう見られているかなんて
そこまで考えられなかった。
これで、別れたいって
普通ですよね??ちょっと極端すぎますかね?
でもトラウマになってしまい、
今後も安心して付き合っていけないと思い、
さらに
夜中にも関わらず快く送ってくれた元彼が
やっぱりその時は紳士に見えてしまったのだ
ああ、
すっきりしました
お粗末な内容、読んでくださりありがとうございます
******************
人にはたぶん色々な理由があると思う。
もしかすると
神様がそうさせているのかもしれないし。
だから人を
安易に見たままで決め付けてはいけないのかもと
私は思うようになりました
そういえば
女子大学の仲良いグループではない子と
親しく話すと
「君と話合うかも」
と言ってもらえることも多かった
そう、きっと話せばわかるのかもしれない。
でもね、
大人になった今
「話さなくてもわかってもらえる」人が多いので
その心地よさに甘えてしまっています
中学生
高校生
大学生、
そんな多感な頃、
誤解だらけだと思います。
本当は親しくしたいのにいじめてしまったり
思いがうまく伝わらなかったり。
でもそんなこと子供にはわからない。
私みたいに「言わないこと」は誤解を生むし
理解されにくいし
でも言っても誰かを傷つけたりしてしまうこともある。
本当に人間関係って難しいですね。
だからきっと私は「悪女」でいいのかも。
嫌いじゃない(笑)
かっこつけるわけではないけど。
今は本当に素敵な人たちに囲まれて幸せなので
「ご縁」は神様にまかせています
自分でどうにかしようとか
そうしなくても
大切な人とご縁ができ
離れるべき人と離れる。
すべて神様にお任せ
これからも
「去るもの追わず、来るもの大切に」
の精神で参りたいと思います
P.S 人間関係も執着しないことにしています
さらに…実はその後。
(思い出して記録2021.12.31)
A先輩とは、メールはたまに来てましたが、
それから数年後?かな、
社会人になった先輩が私のバイト先まで同僚と来てくれた。
スーツ姿の彼は昔より大人に見えた。
その頃、大好きだった彼と別れた後で
元気ない私を助けようと色々してくれたことを思い出した。
当時、素人が〇〇ウォーカーの番外編みたいな表紙モデルをやっていて
先輩が応募してくれたのだ。
ちょうどお正月号で、着物での撮影を
先輩は暖かく優しい眼差しで見ていてくれていた。
私の元彼はみんな本当に優しくて
何年経っても大切にしてくれて。
そんな大切なこと事をふと今思い出して記録してます。
別れたインパクトが強すぎて笑
その後の事をすっかり忘れていてごめんなさい。
お互い当時はまだ若すぎたね。
続きがあったことを今は感謝しています。
赤池先輩、本当にどうもありがとう。
お幸せでいますように。