ことばにならない風の声

今日もどこからか風はやってきてやがてまたどこかへいくだろう。
何に向かっているのか己でさえもわからずに、、。

音楽がいらない。

2014-06-17 14:09:29 | 日記





こんな山奥にいると、人より当然虫に鳥に蛙に出会う方が多い。
カッコウの声を聞いたときの衝撃はすごかった。
あの声が山全体に響いてここの山のどこかで鳴く彼らが私を気分良く清々しい気持ちにしてくれる。



昨日から蓮田の草取りに入ったんだけど、そこにいると蛙によく出会う。
まだ蛙になったばっかりみたいな茶色い?赤い?小さな蛙もいるし、
みどりのあの蛙に出会えるのはとびっきりうれしい。


シュレーゲルアオガエルくんだ。
現在のドイツ出身で医者でもあり、博物学者でもあるシーボルトさんが日本からそのカエルくんを持ち帰り、オランダのシュレーゲルさんに見せたという。
そしてシュレーゲルさんが色々調べたカエルが、日本のカエルくんの名前になっているのだね。
ちょうど昨日教えてもらったのだ。
あの黄緑のきれいでなんともかわいらしい姿は出会ったらいちいち声をあげてしまう。


「シュレーゲルくんだ!蓮の影のところで眠ってるみたい!」

眠ってるかは知らないが、昼の暑い中日陰で蓮のでかい葉っぱの上で揺られながらちんまとしている、かわいいんだこれが。
今日はちょっと手に捕まえてみるとそのまま手のひらに居座ってしまって離れようともしない。
むふふ、という感じでじっくりと彼を観察させてもらった(小さめだから多分雄であったと思う)。




そんなふうにカエルくんひとりにしても、瑠璃イトトンボにしても、名前を知らないものにしても、
鳴き声だけにしても、たくさんたくさん周りにいるってこの私に入ってくるからうれしい。
今までここで高校生まで暮らしていたけどそれが普通とも思わない日常だったから意識もしなかった。
それが今になってやっと彼らを見たり触ったり聞いたりして感動しているようで、それはとってもおおきな大事なことだと思った。



高校を出て九州で一人暮らしをしていた頃は、周りの音は街の音が大半だから鳥とか虫の声にそうそう思うことなんてなかった。
音楽をよく聞いた。
街を歩くときでさえも音楽がなくっちゃと耳にイヤホンをつけて歩いていたし、
家の中でも音楽はほとんどあって、それで私は落ち着いたりはしゃいだりしっとりしたり、
周りの人との会話も音楽が大半を占めていたし、いつも音楽といたんだけど。
ここでは音楽がいらない。
もちろん音楽大好きだから私は音楽はなくちゃ困るものとして大事に思っているんだけど、
前みたいに聞く気にはならなくなった。


それはやっぱり家に一人じゃないってことも大きいかもしれないけど、
何より静かな場所と言えば静かだけど、ちょっと意識したらとってもにぎやかなんだ。
にぎやかにぎやか、いろんなひとやものや何かが一緒にここにおるってそう感じる。
一緒になっておる。
カラスひとりの声もどこで鳴いてるか探せば見つかるわけで彼らもいろんな声があるから、何かの意思を感じる。
カラスだけじゃなく、カエルも他のたくさんの鳥たちもそうだけど。
彼らだけじゃなく、今まで花や草木、野菜たちにもこんなに愛着を持ったり接したりしたことなんてなかった。


街にいるときの気づけばじぶんじぶんじぶんの想いばっかり頭の中を駆け巡っていたものが、
身体の内側で動いていた何かがはじけるように身体の外のものたちと一緒になってなんか動いてしまっている。
これはとってもうれしい発見だった。
私の中が外と一緒になって満たされて解け合っていく感じ。
ちょっと街だけの暮らしだとなかなか感じることはなかっただろうし、
こんなところに生まれ育った自分が今まで感じなかったことをまたここに帰って来て気づくことがある。
こんな気づきを持てたことはやっぱりうれしい。
やっぱりここ最高だった。
とってもすてきな場所なんだなーって思ったらもっとうれしくなった。




蓮田にはおたまじゃくしとめだかがぎょうさんおる。
みんなすいすい泳いでいい感じ。
あと少しで草取りは終わるぞ~。







何かわかるかな。
長いのよさ~。







かわいい顔してるよね。






白いなでしこ。
白いのはなでしこ~って感じね、気品感じちゃうわ。