ことばにならない風の声

今日もどこからか風はやってきてやがてまたどこかへいくだろう。
何に向かっているのか己でさえもわからずに、、。

ずばっと。

2014-12-27 21:34:36 | 本とか記事とか




ある記事を見つけた。


「バカになったか、日本人?」橋本治が自民大勝とゾウリムシみたいな日本人をぶった斬り!




橋本治さんという方も知らなかったのだけど、

こんな記事を見つけた。

というか、facebookで人があげていたのだけど。



題だけ見るとすぐ敬遠したくなる自分がおるのだけど、

なぜかって「バカになったか」って自分はバカじゃない人が言っているみたいで

それをうんうんと頷いて読むとしたら自分もじゃない側の人間のように見られてしまう

だとか、とっても庶民的で安直な考えがあるものだからさ。

見られると言ったかって誰が見てるんだてなもんだけれど。

そういうしょぼいことがさっと頭の中をよぎってしまうのもあるんだべよ。




んで言いたいのは、そういうこと抜きにして、めんどうくさいからさ、

そういう話をしたいわけじゃーないんだな。

抜きにして読んで、、、。


なんかこのずばっと感、いいな~って感じたのね。

そしてわかりやすい。

色んなひとの色んな言い様があるし見方があるし考え方があるけれど、

自分の直感というのか、これは危ういぜ、とか、これおもろいぜ、とか、

そういうところ大事にしたいな。

すぐよくわからん論にもならない論になったりしてなにがなんだかわからんくなったりもする。

それは論になるだけの自分の考えなんてなかったりするから。

けれど直感てあるんだね、ただのすききらい。

わたしのくせにもなってて、すぐ偏見があってって言ってる。

それ言わなくていいって言われたけど、ほんとそうやね。

ただのすききらいがあって当然か。

それを偏見ってことばにするのとは違うかったのだ。




音楽とか一番わかりやすいよね。

顔から雰囲気からしゃべり方から、なんか好かん!うけつけません!て人いる。

音とか歌詞とか以前にそんなんで判断というのかしてしまっているところあったりするもの。


けどこの前小田和正さんのクリスマスの約束見て、よかったな~。

特にみんなでうたうところ。

あんなにうれしそうにたのしそうに音をつむいでみんなで同じビートにのって、

それってたのしいんだもんね~。

音楽をそのままずばっとやっている感じで、こっちもハッピーをもらったでした。



これ雪ふりはじめのころ。
















結構積もってきたころ。











そんなんでこちら、年末行事の準備もあってじわじわやってます。

今日はみそつきになりました。

味噌から麹から自分らで作ってってるのが当たり前な感じが改めてすごいことだね。

うれしいことだなと思いますた。


ほんで明日はおもちつきだよ~~~ん。














カニ。

2014-12-22 20:39:46 | 日記



NHKスペシャル、消えた子どもたち、

そんな番組がよるご飯が終わって突如始まった。

見始めたら約45分くらい?、眉間にしわ寄せてこわい顔で見終えていた。

自分も少しは想像していた何かを持ってはいたものの、

子どもたち本人が語るそれは思った以上に胸にずしんときた。



虐待や育児放棄といったもの、親の精神疾患、親の経済の貧困状態、

親と子の関係、家族というもの、

少し大きくしていくと学校と家庭との関係、

周り近所とその家庭との関わり、親類縁者との関わり。

それのどれをとってもほんとうに自分が想像している何かってのは

典型的な何かでしかなくって、そのひとつひとつの家庭や

ひとりの人の人生の物語に焦点をあてて見たり聞いたりすることはほぼ全くなくて、

だからこそ何かそれについて考えてみたりすることもなく、

それはそもそもそういう出会いがないからだと簡単に言ってのけるのもできない。




なんだろう、このずどーんさは、、、。

ある意味ショックをもらってそれはこれからの自分に何らかの意味があるものにしたいと思った。

自分に何ができるのだろうって今考えてもこれという具体的な何かはでてこない。

けど何か大きなことを起こして支援をすることを思わなくても、

私が日々過ごしていく中で自分のことだけを気にかけるのはやめることはできないけれど

それでもこの今の気持ちを大事にして人と向き合いたいと思った。

これが偽善だとかだとしてもそれでもいいのじゃないかと思ったりした。





ふと思い出した。

大学生のとき私がいた学科は鬱学科と呼ばれていて、

というのも、学内で一番暗い授業ばっかりあるからという理由のもので、

実際授業は確かにそういうものが他よりは飛び抜けて多かったと思う。

そういうものというのは教育の面から見た虐待や育児放棄、

身体の障害をもつ子どもや精神的な病気、鬱やストレス、といったいろいろだ。



教室内にリストカットをしたことのある人や虐待を受けた人がいたみたいで、

授業内容に感化されてか授業の感想用紙に自分の実体験を書く人がやたら多かった。

それは先生が次の授業でその感想を読み上げるから知ることになるわけだけど。

はじめはこんなにも多いことに驚きもしたし、その実体験があまりにもなまなましくて、

ほんとうに鬱学科と呼ばれるだけあるな、と思いもした。

聞けば聞くほど気持ちは沈み、暗い気持ちになり、教室中の空気がなんともいえない。

それを払拭するだけの何かことばを先生が放ってくれたらいいのにと思いもしたが、

そんなものはなく、ただただそのまま先生が同調するかたちで授業は終わった。


そんな授業が毎週半期の15回ほどか、あったわけだけど、

それを聞いていくうちにしまいに私は授業に出れなくなった。

その授業を何回落としたことか、、。

て、それは行かない私に問題があって、しかもただのサボリ魔であったのがほんとは一番大きい。

けど行きたくない授業ナンバー1だった。



けど今となってしまえば、その学科、幅広い世界を見せてくれて、ありがたいと思う。

自分が興味を持って知ろうと積極的に動くのは大抵その学科で見せてくれたこととは遠いものだったりする。

けど何か確かな知識だったり学問として自分に残っているとは決して言えないのだが、

それでも自分の幅を広げてもらったのは確かな気がする。


て、結局自分の話になってしまった。

けど自分の話するしかなかったりもする。




その番組の話だけれど、なんだろう、、。

ちいさなやさしさとか気づきとかしあわせとかそういう空気を持って周りに放ったりできたらって

自分も自分が思っている範囲内ではそんなことしようと思ってできないのだけど、

周りから見てそうあれたらいいなと思うよね。





カニ    まどみちお


カニがカニッとしているのは嬉しい
カニがそれを気づいていないらしいので
なおさら しみじみと

ああ こんな私も私っとしていることで
だれかを喜ばせているかもしれない
私がまるで気づかないとき
いっそう しみじみと‥

そう思うこともできるんかなあ
と私は私に胸あつくさせた        




わたし、この詩すきなんだ。

げんきをもらうのね。











さむくってあったかぽっか。

2014-12-02 11:16:35 | 日記



今朝のこと。









おおお、はつゆきであーる。

昨日までぬくかったんだってのがわかる。

今日は起きたときから布団の中で昨日までと違う!!

冬がきた!!って思ったものね。

けどやはりゆきってうれしいな~すきだな~~。





ここらの家ではみんな薪ストーブである。

だーん!!






こんなしあわせなこちゃないね。

はなくろというばあちゃん猫がいるが、ストーブをたくとストーブの下が彼女の寝床となる。

あんなに毛もふってて暑くないんかと思うと

やはり暑いようでたびたび下から出てすぐそばの木の床で寝っころがって冷ましては

また下に戻ってはのくりかえしだ。


その下で寝るときのだべーーんとしたゆるゆるの姿はなんとも言えない。





かわってハナという犬、彼女が家に入れるのは廊下まで。

部屋の中とは室温が何度か違うだろう、

寒かろうと毛布をぐちゃぐちゃにまきつけてやるのだが、

本人は実のところどう思ってるだかわからない。

夏よりか涼しい方が得意ではあるみたいだけど、

毛布の中に顔もぐって寝るのがいいみたい。