ことばにならない風の声

今日もどこからか風はやってきてやがてまたどこかへいくだろう。
何に向かっているのか己でさえもわからずに、、。

勉強会。

2013-10-30 21:12:24 | 日記



稲刈りはもうすでに終わったけれどもそのときのお話。


わたしもちょこっとだけ参加した。
なんだか久しぶりの感覚で、それも小学生のときに学校で田んぼをしていて、そのときぶりかな。
こんだけ田んぼをしている家で育っても、手伝うという感じじゃなかったもんな。
家でした覚えはないものね。


あの、釜でざっくりいけるのね、すごい気持ちがよいのね。
ざっくりって言葉そのまんまだ。
うちに昔、馬のロッシてのがいたんだけど、そのロッシのごはん(草?わら?)だったと思うんだけど、
なんかそれ用の刃を下におろすとざっくり切れるのを思い出した。
なにか懐かしかったな。








そいで、数日前、勉強会に参加した。
ひとつは、古文の会。
これはうちの父が提案しだしたことなのだが、まずは古事記。
これをみんなで読もうというものだ。
みんなというのは、ここの5月の勉強会などによく参加する方々が主で、
会の方法として、ほとんどが東京にいたりしてとにかくみんなすぐ集まれないものだから、
日時を決めて月に一度Skypeで試みるという新たな試みの第一回目であった。
わたし入れて7人ほどか。
まだ一回目なこともあったし、Skypeでみんなで会話するのも初めてだしでいろいろと要領をえないところもあったような気もするけど、
なんというか、やりやすかった。



わたしなんて古事記についてほっとんど何にも知らないに等しい。
岩波文庫の古事記とそのストーリーがまるわかりの漫画を持って(父に勧められたものだけど)参加させてもらったのだけど、
さすがというのか、皆わたしなんかより勉強もしている人たちだし、本もよく読んでいる方たちなんだけれども、
なんというか、素直に思うままに感想とか疑問をぽろっとこぼれるように話す感じがいいな、と思わせた。
その感じがとてもやんわりと楽しめて、こういう勉強なら楽しいなと思っただ。
まだ一回ということもあってこれからどんな感じになっていくか想像がつかないけれども、
ちょいとわたしは勉強不足だな、こりゃ、。


あと、個人的に父との勉強会もあった。んー。ゼミとでも言うかな。
まずは、般若心経についてすることになった。
これについても何にも知らないでやるのと少し知ってからやるのでは入り方が違うでしょうから、
ということで父からは4冊ほど般若心経についての本を受け取って、これを読んでみよ、ということやった。
んが、これ、全部を短期間で読むには拾い読みをするしかないけど、その拾い読みもやり方がしみてないとどこを拾ったらいいかわからない。
んも、んー、、という感じであった。
なんというか、一夜漬けみたいな勉強の感じで第一回目に突入した。
すると、本で読むのと聞くのでは大違い。
そして、やっぱり少しでも読んでいてよかった、と思った。
これについては、聞いても自分の中でそれらを言葉にあらわすことができない。
何度も何度も聞いてきた話ではあるのに、その都度入り様は違うし、それは自分のものになってないからだろう、
自分のことばでそれらをことばにすることができないのだな。
まだ般若心経も始まったばかり、どうなることやら。









ふうの大冒険!!!

2013-10-27 11:19:00 | 日記




先日、近所の版画もする陶芸もする釣りもするお師匠のもと、一緒に釣りに連れてってもらった。
まずその釣りをする場所から驚きびっくり。
片手は岩に掴み寄せ、もう片手は竿を持ちながらそのまんま崖を降りたり、
大きな岩と岩とを渡り歩く、、そう、もののけ姫のジコ坊が川の上の岩をひょいひょいと飛んで渡るかのような(少し大げさ、飛びはそうしない。)具合に。
そんなダイナミックな道とも呼べない道を少し歩いていけば、見えるは日本海の海原に大きな岩がごろごろ突き出ている。
もうこの時点でわたしはもう大冒険が始まったと実感していた。
さすがみーおじ(お師匠のことをこう呼んでいる)!!彼の選ぶ場所と言えばこれくらいのダイナミックなところなのだ!
ということで、その海原に突き出ている少し人が立てる割合平らな岩の上でわたしの釣りというほとんど初めての挑戦が始まったのだった。




みーおじはもう釣りをしてから10年は経っているというからそれはそれは大ベテランであって、
そういう意味でもわたしは彼の貸してくれた竿とルアーで大きなイカが釣れるというその場所でイカ釣りに挑んだのは、
誠に何から何までお世話になっている、そもそも初めて釣りをするにはもうすでに幸運なのであった。



まず初心者のわたしは何にも知らないしやったこともないわけだから、明るいうちに家を出て竿を振る練習をしなくてはということでお昼の15時ほどから出かけた。
竿を振るのは思った以上に難しかった。
竿のそのしなりを利用して遠くまで飛ばすようなのだが、それがなかなかできないし、糸を振るときに指から離すタイミングというのも掴めなかった。
うまくいけば遠く、30メートルとかなのだろうか、それくらい飛ぶのだが指を離すタイミングが遅いとそぐ目の前にぴちゃんと落ちて話にならないのであった。
それを夕方日が落ちるまで練習したものの、練習のれの字もしたとは思えないまま本番に突入開始であった。
けどこの遠くに飛ぶ感じは想像以上に気持ちが良く、またかっくいいのだ。
それをお師匠は50メートルとかもっとなのだろうか、そこくらい遠くにビュッというかっくいい音と一緒に難なくする様がお師匠!であった。



イカはイカでも、あのイカの中では最高級と言われるアオリイカくんを釣るのであるが、彼らはこの時期夜から活動的になるらしかった。
日も落ちて暗くなったころ、わたしは相変わらずもたもたしていて、糸が足下の岩にひっかからないようにとかそういうことで必死であった。
そんなとき、糸を巻いていたら急に重くなって糸が上がらない、これはまた岩場にでも引っかかったのだろうと思い、
「みーおじー、また引っかかったかも~」と言って、どれと見てもらって、その糸を上げれたところ、
そのルアーのところにイカの足先がちょいとかかっていた。
「おまえこれ、イカやないか、かかっとったんやぞ!」と。
まず初心者のわたしにはその重さがというかそれが引いてる重さなのか岩にかかっただけなのか、そういう違いさえわからなかったのだった。
みーおじには散々迷惑をかけまくった。
やっぱりどっぷり初心者っぷりを発揮しまくってしまって、自分でもなかなかだったのだ。





それから少ししてまたぐっと重くなった!
どうにかこうにかしてやっとひきあげたものはでかかった。
なんでしょう、そのときのイカとの対峙のときはどうも言葉がなんもでらんし、ただ格闘しっぱなしで自分では突然何かが始まることに驚きっぱなしだった気がする。
そんなこんなで日をまたぐ24時ころに引き上げることになったが、その成果と言えば、20センチ越えが2杯に普通サイズが2杯?ほどで、、
なんとまあ、こりゃびっくりって本人が一番きょとんだからね。
なんか釣れてしまっただ、というのが心境で、周りの人の方が、すごいやん!こんなでかいのを初心者が釣るなんてないんやぞ!と。
それほどでかい奴が釣れてしまったのだった。










この大きさ!まさにビギナーズラックとはこのことであった。
その日みーおじも今期最大の25センチ級を釣っていた!
大漁も大漁。
そいで、我らはしめしめして、その大冒険を終えたのであった。





これは次の日、たっぷりのイカ丼でたーんと頂いたのであった。








tayounasekai.

2013-10-16 21:26:22 | 日記



ここ石川県の上の方、能登の山中にある人里離れたわれらの村は与呂見(よろみ)村と呼ばれる。

わたしはここで周りの4軒の家族らと共に高校卒業までの18年間生まれ育った。
わたしの兄弟はわたしの上に兄が三人。
そのうち、今実家から通ってお仕事に出向いているのは二番めの兄である。
家にはその兄と、父母、そして母方の母、つまりは私にとってのおばあちゃん、この4人がいる。
が、そのおばあちゃんがついこの間車を避けようとして後ろに転んでしまって、腰を痛めてしまったのだ。
それが病院に行って検査してもらうと、圧迫骨折である。
それで入院生活が始まってしまった。
お見舞いに行くとよくしゃべりはするものの、ちょっと会話がうまいこといかないこともある。


病院に行くなんていつぶりか、ああいう空間に長時間いて、入院の準備をなんやかんやしたその一日は母も私も大変くたびれた。
おばあちゃんがいちばん大変だったであろうが。
田舎の病院のスタッフたちはみな患者さんに対してとてもフレンドリーでため口に方言で親しみ感があるようで、
それがいいなぁとわたしが思う感じでもない。なんだろうな。
田舎は都会より親切なんてことは決してない。
むしろ街の方がみなそこまでしてもらわなんでも、、、ちゅーくらい親切だったりする。
それのある程度の距離のある親しみやすさとか親切さってのもある。
もちろんそれがいつも全てでもないが。



ここにはうちの家以外に4軒の家があるが、わたしと同年代のこどもが総勢15人ほどか。
小さい頃は5家族みんなしてご飯を食べ、共に野山を駆け回った。
そんなこどもたちのほとんどは、もうすでに高校を卒業しここを出てそれぞれになんやかんやしている。
あんまり連絡を取らなくても、なかなか会うようなことがなくなっても、今でも会えばわっきゃーとなるし、話ができる仲間だという意識が強い。



父がここの山を切り開いてから30年が経つ。
ここはほとんど自給自足の暮らしをしている。
そんなこともあってかなくてか、多分あって、昔からたくさんのお客さんに恵まれている。
この数日前の3連休もわたしでさえも懐かしい、8年ぶりのお客さんが来た。
その人は私が小学校に入る前からここに通っている人で昔はよくここに来たものだった。
散々遊んでもらった気がする。
「ただいまー!」
第一声がこれだもんね。
会った瞬間から会話は突如始まり、懐かしむ暇もないくらいにこにこと話してしまっている自分に気がつく。
元気で明るくあったかいあの姉ちゃんは今も健在だった。


その姉ちゃん、チエちゃんと言うのだが、そのチエちゃんが連れて来たベンさんというお友達もとても魅力的な人であった。
初めて会ったにも関わらず、なんかこの人どんな人やと気になってしまう人で、そのくせ人と人との間をすいとすり抜けてもいくような印象の人だった。
その人はその人で、今奈良県にて彫金の仕事をしながらも、周りの人とごちゃまぜになってかっせかっせと地域を地域地域しているみたいだ。
安全な野菜が食べたかったら育てたらいいやんと育て始めもするし、本人の暮らしそのものがNO原発である。
自分の直感に従って、たのしい暮らしをしたいという強い想いで日々動いているみたいである。



うちの家族とはまた一風違った近所の家に今日久しぶりに出向いた。
そこの父ちゃんは版画に陶芸をしていて、作品を作っては展覧会に出向いたりとやはりアーティストなのである。
そんな父ちゃんとの会話はまた面白い。多才に多彩なのである、なーんちて。
何しろあちらがこんな小娘に対して真剣にお話をしてくれるし、もてなしてくれるのがうれしいのだ。
そこの母ちゃんも話が面白いし、明るいしユーモアにあふれてかっちょいい人なのである。
そんで今日、わたしはいまのこのまんまの私で通用するのかと改めて認識できたし、
これからそこの父ちゃんのたのしみの内の大きなひとつでもある釣りにも連れて行ってもらうことにもなり、
オカリナセッションもしようとなって、なんだかこの与呂見のすぐ近所でまたひとつの世界を堪能できるのがここの面白いとこである。


その世界を自分で見つけていくというのがここでももちろんできる、というか、どこでもできるに違いない。
そういう意志で暮らしていかないとただだらっと半年なんて過ぎてしまうに決まっている。



今日、夕ご飯が終わり食器片付け(うちでは食器片付けはこどもと父らの仕事なのである)の終わり頃に、父に提案してみた。
父から講義を受けたいと。
それは週1でも2週に1でもいい、テーマも何でもいい、ただ色んな世界を見たいと思ったのだ。
それについて父という人物はわたしにとってうってつけの大先生なのである。
彼は快く了承してくれて10日に一回という形で私が自らテーマを見つけ、それを事前に彼に伝えお互いがそれなりに勉強をしてくる。
その上で講義といこうか、という次第に至った。
近いうちに第一回が始まる。
それに備えねばならぬ。



全くなんて恵まれた環境に自分はいることか。
自分でも自覚せざるを得ないほどの自分のお嬢様っぷりが不安になる。
けれどそれを超えていかねばなるまい。
私の今一番の試練なのかもしれない。



全くなんてこの世は多様な世界なのか。




tayou na sekai.

soreha ikani subarashii kotoka.





たいふーん。

2013-10-09 21:44:07 | 日記




台風がきていた。
あんまりこちらは被害も何もなく、通ったことには通ったけど、程度で済んだようだ。


けど久しぶりのたいふーんの風はやはりいつもの風とは違って、ぐるんぐるんと木たちを舞い踊らせる。

空を見上げるとこちらに近い方の灰色な雲がまるで川の水のように速く流れていた。
遠くの一番上の方の真っ白い雲は全く動いているように見えないのに。
雲も当然のことながら流れてるのは知っているようだけど、
そうやって動きが速いとなんかこう、なんやろうか。
ダイナミックで、地球、、でかい、ひろい、動いとる、わからん、風や、、とか
自分で言っといてよくわからない思考が頭の中を駆け巡った。


ただ、そういう雲の流れを見るのはやっぱりたのしいのだった。






さようならば、

2013-10-04 23:44:05 | 日記



九州を10月1日に発った。
4年半いた九州生活はたのしかったと素直に言える大学生時代だ。


部屋を引き払ってもまだまだ実感が湧かない。
九州の地に立つのが今度はいつになるか全く想像もつかない。
それはすぐくるのかもしれないし、もしかすると、もう何年もないことなのかもしれないし、わからないけど、ただわからないと言えるくらい少し距離的にも気持ち的にも遠くになってしまうのだ。


九州の友だちと別れるのが一番こたえた。
今の状態のわたしや彼らと会えるのは今しかないんだって当たり前のことだけど、それを少し真剣に考えるというか想像してみると、とてもさみしい気持ちがぐわぐわと込み上がってきた。


次会う時はそのときの今、の状態同士で、それはそれで楽しみだけど、もうこの今、というのは、距離的に近くにいて、みんなが一人暮らしとかしてて、現実的なことを言えば、結婚もしてないひとり身でまだ学生のころの感覚とそう変わらないで会える、同じ時間をぎゅっと一緒に過ごせて寝泊まりできる関係、とか、そういうのが単純にさみしいと思った。



けれど、みんなそれぞれの道を歩いているんだとも思う。
さてこれからはわたしも彼らに続いていかなければならない。
目的を持って過ごさねばおもろないよな、兄さんに言われたさ。




さようならば、
ここで別れよう。

また会える日までお元気で。