ことばにならない風の声

今日もどこからか風はやってきてやがてまたどこかへいくだろう。
何に向かっているのか己でさえもわからずに、、。

楽!!

2021-10-22 10:11:00 | 日記

6月11日
楽 がく この世に登場!!

早いもんで、もう4ヶ月過ぎた。


何をするってこともないままに過ぎてく毎日だが、この方のおかげでありがとうと素直に思うことができる、有り難い日々だ。

朝起きて、1番に見せる笑顔がまたなんとも、こんな私にそんな目をして見せてくれるのか、ってくらい、こっちも思わずにこ〜ってしてもらえる顔だ。


妊娠から出産、そして、ほちゃほちゃBabyとの生活。

言いたいことは山ほどあるんだよなぁ。
しかも、書き留めておかないと忘れる感覚ってあるんだなあ。


まず、妊娠。
妊娠は、はじまりの1なんだと思ってた。
だけど出産して、そのまんま赤ちゃんとの生活が始まった途端、妊娠中てのは、1でもなく、始まりの始まり、ゼロだったのだ、と気づいた(思った)ことに愕然としたさ。

というのも、私の場合、ひどいつわりもなく、わりかし安定した優雅な妊婦生活だったことだろう。
だけど、それでも本人は身体がみるみる変化する感じ、止まらない列車に乗ってしまったようなもんで、まさにこれ産まない限り終わらないんだよなぁと、産むことがかなりの恐怖だったものだからそれも含めてうわぁと、不安な気持ちになることもしばしばだった。

おかしな話だが、こどもをほしいと思えずにいた結婚してからの数年が過ぎ、ようやくこども、いてもいいのかなぁ、いたらまたどんな日々がはじまるのかな、家族ってどんなかな、我ら夫婦はどう変わるのかな、とか想像して、こどもいたらいいなぁとぼんやり思い始めてたころに、妊娠がわかった。

それでも、うれしさよりも戸惑いの方が大きかった。

妊娠中も身体の不調も出てきたり、こりゃ妊娠て大変なんだあとびっくらしてた。なんせ長い、もう飽きたーやーめよ、ができないんだから困ったもんだと思った。


それが、出産、を迎えると、その過酷な壮絶なあの数時間は妊娠中の比ではない、というのか、これが待ってたのかーーと真剣に人類の進化?とやらを疑った。

出産も自然なもの、だからその痛みも自然なもの〜と自分に言い聞かせてたが、自然て言えるレベルのは私の範疇内、想定内のものだけで、それを超えるものは、やはり私の口から自然とは言い表せられないほどの、まったくの問答無用のシゼン、というものの巨大なシステム?偉大さ?壮大さ?そんなものに出会ったとしか言いようがない。

くらいの、わけこんぶ状態だ。

もうここから抜け出したい、つまりは、切ってでも早く出してしまってくれと叫びたいほどの苦痛。
実際にむちゃくちゃにもがき苦しみの叫びを放ってますが。
これは死んでる方がましだとずっと頭の中その言葉が漂ってた。

もちろんこれも人それぞれらしいから、なんともだ。
私の場合、赤ちゃんの頭が見えてから3時間かかった、これはまさに生き地獄と呼べると今でも思う。

人に聞けば、うんこを出すような感じ、出してしまったらスッキリするよ、なんてことを言ってて、ふむふむ、うんこねと思ってたけど、出産真っ只中で、あー私ってそういえばトイレ入れば長いし(出すまでに時間がかかる)、極たまにめちゃくちゃかたいそれを出すときなんて出ないと苦しいのに出ない!もうそこまできてるし後戻りもできないほど苦しいのに!なんてのを小一時間ほどかけて出して、ようやく出た時は切れ痔ですよ、それの痛みを知ってるんだけど、簡単に言うと、それの10倍の辛さだね。
わかる人にはわかるかもね。
ほんとは100倍と言いたいところだけど、リアリティに欠けるから、実際をイメージするには10倍だね。

おかげで出産も出血多量で鉄剤に頼ることに。
しかも、そのラスト3時間は体力が持たず、点滴されてた。
産んだあとの会陰裂傷の縫合、これもかなーーり痛い。
産後このせいで、座っていることが痛い、痔になったし、縫合痕も痛いし。尿するのが痛い、これが2.3週間近く続く。
いやーなかなかなのだ。


ということで、その後、もう二度と出産したくないと思った私に、何人かこどもをもつ人は、けど忘れるよ、と気軽に笑って言う、いや、忘れたとしてもまたあの痛みはあの痛みで変わりなくまたあるんでしょ?それを知っててまた出産に挑む気持ちはないわ〜、とまで思ったものだ。

その痛みは度々思い出されたのだ、思い出すことができた、産後1、2ヶ月は。けど、それがすごいことに今は思い出せないのだ、あの壮絶な、と言葉だけ浮いちゃって、もうどれだけ壮絶だったのか、どれだけくるしんだのかも思い出せないのだ。

すごいもんだ。よくできてる、と思う。
ほんとに忘れてる。


そんで、ほちゃほちゃBabyてのは、これはもうびっくりだね。
こんなに大変なこととは思わなかったなぁ。
て、こんなこのばっかり書いてたら、誰もがこどもを産みたがらないなぁ。。
けど、知っててもいいのかなとか思ったりね。


産後の入院生活、全くの母乳だけで、母子同室の1週間、、これもまた長かった。。辛かった。。
はじめの1週間てのはどうしても母乳は出ない、から、胎児も生まれたときの体重より減少する、けどお腹は空く、から、泣く、のだ。
その激泣き止まない、寝ない夜中の新生児。
これが精神的にこたえた。

産後、身体はこんなにダメージくらうのかっていうくらいくらう、立ってることもやっと、足がげっそりぴょんになってる。
史上最高にスレンダーだった!


私の場合、退院後からずっとおっぱいトラブルに見舞われてたのが地味にじくじくと辛かった。
母乳分泌過多症、おっぱい出ない人の苦しみを知れないけど、出過ぎる人の苦しみもあるのだったー。
多分乳腺量が人より多くて細い、から、乳口炎、乳腺炎になりやすい。
なってしまったら、最悪、詰まった母乳を出さないとダメで、それを病院で絞って出してもらったがもう飛び上がるほど涙もんに痛い。針で乳首の穴を突くし、血も出るしさ。

そんな感じで2.3週間おきに繰り返す乳腺炎。
おっぱいがかちかちになって痛く熱く、自分も発熱、そんな中の夜とか特に泣き止まない寝ない新生児との日々、夫は夫で毎日しんどい〜の茅葺きバイト。
赤ちゃんは赤ちゃんで大変なのだ、分泌過多のおっぱいを飲むのにむせるし、吐くし、飲みにくいから泣いて怒るし、私も赤ちゃんも服はすぐ濡れて、、
あの日々はもう、、もう遠いことのようだ。
とにかく知らぬ間に月日が過ぎていった感じ。

おっぱいもずっと背中までジクジクと毎日いや〜な感じの痛みが日々あったのがそれもなくなりつつあり、もう乳腺炎にはならないのじゃないかなって思う。



そんなこんなで、やっと、ほんとにやっとひと息つけてるこの頃かなぁ〜〜。

長かった〜、、、怒涛の日々だ。毎日なーーんもないのにね、なーーんもしてないのにね。


そんなんで、楽さんのことを何にも書いてない、自分のことばっか!

楽、という赤ん坊、24時間一緒なわけで何するにも中断したりやりづらかったり、家事も思うように進まない感じにストレスを感じるが、この方はいつだって素敵だ!

手を見ても足を見ても、動いてるのを見ても、赤ちゃんってこんなに愛らしいのかぁと、ほんとにそれには一番驚いたな。

生まれるまで、かわいいと思えるかな、ちゃんとお世話できるかなぁと不安だった。
基本的に今でもだろうけど、こどもは苦手だ。
赤ちゃんは、出会うことがなかったからよくはわからない、けど、たまに出会う人の赤ちゃんを抱いてもかわいいとも思わない、ふーん、こんなんかぁ、猫の方がかわいい、てのが率直な感想だったものだ。


それが今じゃ、「赤ちゃん」てのは、いわゆる我ら的人ではない、ヒトではあるけど、もう新種の生命体と言いたい、初めて出会う謎の不思議な生物だ。
それはこちらの想像以上に、どでかいきらめきを放つ者であって、こちらの目が離せない、24時間見てて飽きないんだから。
それくらい、おもしろい。

これはぜひ味わってみてほしいなぁと思ったことだ。

すごい目をしている、そんな目で見つめられるとそらせないね。
と言っても、それも我が子を産んで共に暮らすから初めて見えることで、今までそれはわからなかったなぁ。

なので、ありがとう〜と楽さんに言っている。



そーんな感じ!!!
とにかく全てびっくりぽんなことばっか!
私という生物も想像以上に壮絶であり、厳しい。
生老病死、まさに苦であると、苦なくして生なし。

しかしそれでこそのきらめきを放ち、それをまたキャッチしたい私がいるんだろうね。
なーんてね。






ひとり時間

2021-04-16 17:28:00 | 日記


今夫が茅葺きの手元のお仕事に出張中である。

5〜7日ほど出向いて帰ってきて休日過ごしたらまた出向く、のを現在3週目。

突如のひとり時間であーる。


我らふたりで車一台ということもあり夫が乗って出ると当然私は車なし生活、となれば、コロナとか関係なくこの辺鄙な山間の過疎地域、1日に誰とも話さないで終わることもしばしば。

たまに村人(と言っても私以外で8人しかいない)が車で目の前を通れば少し会話するかな、程度で、一番近い家でも歩いて数分だから窓から外を見ていても人っ子ひとり見えない状態。

幸い実家が近いので何かっていうと迎えに来てくれて食事を共にしたりもしてるから、出張中毎日ひとりではないんだけど。



なんだかんだ二人暮らしを始めて数年経ってくると今から一人暮らしできないなぁと思う。

ごはん作るのも毎日の流れも、もうひとりいてはじめてこしらえられてた、というのか、自分ひとりだけのためだとごはんもびっくりするくらい作る気が起きない中、いやもうちょっと手を入れようとこねくり回してはいるものの、食べても旨味を感じにくい。

いや、不味くもないけど、うまくもないっていうか、ガツガツガツーと食べて終わり。

ごはん時間ももうもう18時前には食べてたりして。


これまた猫のきみがおるから、この家におれるてなもんで、これひとりやったらこの家に全くのひとりで暮らせないなぁとしみじみ思った。

きみがいるとこの人どこでもついてくるから、お風呂も戸の前で待つし、畑中は外でずっと遊んだり寝転びながら待ってるし、家の中じゃずっとそばで寝てるし、ごはんはいつも催促してくるし、寝るときは布団の上にきて、夜中遊びまわって朝方また布団の上、という、この人おらんかったらほんとにわたしってしょうもない、と思う。

やっぱり人やら猫やらいっしょに暮らしてるものがいるとこのひとりってのはどうやらまったくわからなくなってしまうみたい。

安心しきってるということなのかな。

わたしはいつだってひとりで生き死ぬということをどこかで回避してるんだなって思う。

日常の中ではそういうことをついと思わない。

年齢もあるのかな、今日死ぬとか思えないまま過ごしてるんだなぁってことを知らされる。


なんにしても言いたかったのは、人は顔見て話す、しかも直に、これだけでほんとは十分なほど充実なんだろな、と思う。

その充実はそこの場の空気全体が充実してるんだろな、という表現も変かな。

そんな空気の中におさめられてることに当の本人はなかなか気づけないでいる感じかな。

それくらい、電話で話しても物足りないのはその直に接してるそこの場を共有しているということがもうもう有難いことなんやろな、とひとりになって思うのだったー。






うん。

2021-02-21 22:25:00 | 日記


昨夜布団の中、突如思ったのだ。

いつだって何か先を思う節があって、しかもそれは憧れを抱いたものであって、何かしあわせなことがあるといいなーとあるのじゃないかなーとか言葉ではっきりとは思ってもなくても、なんとなしに思っているものがある。

つまり、今じゃないこの先、を思っちゃって、今に不満状態、な気持ちでいることを慣れとしているような、そんな節がわたしにはある、のだ。

が、いや、それ違うぞ、ってはっきりと感じたのだ。

いつもいつも今しかない、って言葉では聞いてきた言葉がはじめて自分で思ったこととなった。

この先を思って日々を暮らすし、この間(この前)もあったと思って今日はまた新鮮ではなく、この前もこんな感じだったし、この先もこんな感じあるだろうし、てな思いがあるけども、いや待てよ、それは気持ちの上では経験上慣れとしてそういう気持ちで過ごしてしまうのは仕方のないことだろうし、いくら今しかないと言って、やたら新鮮さや感動や感激を急に味わえるものじゃないってのはある。

のだけれども、けど、今を存分に味わわずして、いつ味わうのだ、味わえるのだ、と思った。


たとえば、口調がわたしは基本的にきついところがある、となりの人にだいぶ嫌な想いをさせていることも容易く想像できる。

そんでいつか、何かってときにはやさしい気持ちや愛おしい気持ちで接するから、そんなときはあるから、なんて自分になのか相手になのかこころの中で言ってたりして、口からはまた嫌味な発言が出てたりする。

そんなんでいいのか?よくないだろって。

いつそんなやさしい気持ちや愛おしい気持ちを出す場面がくる?そんな感動的ないわゆる想像しちゃうような絵に描いた何かが起きるまで待ち続けて(たぶん待ってもないのに)何になる?って、そんな場面こないぞ、言うなれば、今なんだぞ、って。

いうことを、なんだか切実に思った。


そしたら、急に今までのしてきた自分じゃだめだって、思って、もっと変わっていけるし、変わらなくちゃわたしがずっと今を生きれない、わたしが今をとなりに生きてる人と生きていない、と思うと、切なくて、そう容易く変われるものじゃないものを自分の中にはつよい頑固なわたしがいるのも承知しつつも、それでも目の前を生きていくんだ、と思ったら、前より急に気持ちが和やいだ。

そして、笑ってる自分に気づいた。





10年日記

2021-01-18 18:42:00 | 日記


先日、鍼灸治療院をやっている叔父から10年日記なるものを頂いた。

このところ2週にいっぺん治療院に通うこととなり通ってる中、治療を終えた後に話してた話題で日記の話になったのだ。

叔父はたまたまこれをとあるご年配の方から私はもう先がわからんからということでその日記を託されたそうな。

そいで、もらったからには書こうと書いてて、この間その10年日記が終わったそうな。

そういう意味で昔からものを書くことがすきで小学生のころから文通やら何やらずっとやってきたらしい。

そんな話を聞けば、いやそれ私もそんなんで、と。

私も実は小学生のころ文通がすきでいろんな人としていた、というかしてもらっていた。

相手は大人のと言っても、20代の人たちとかか、今から思えば若いのに、よく小学生の文通に長いこと付き合ってくれたなぁと思う。

文通もしていたし、なんでだったか日記もしていた。

絶対毎日ってことではなかったけども、小学生のいつ頃からか大学生過ぎても、24.5歳くらいまではしていたと思う。

それこそ今日あったことを事細かに書いては、また書きながら読み返したりして、何がたのしかったのか、けど絶対に人には読ませたくないくらい、自分の中のうんだらかんだらな想いを吐露していた場だったのだ。


そんなんで、夫と一緒に暮らすっていうことが私にとっては家族以来の人と暮らすことの初めてであり始まりなのだが、それが始まって以来もまだたまーに書いていたものが2年くらいほどでぱったりやめてしまっていた。

言い訳でもないけど、夫にまた同じこと書いてるんでしょ、と言われ、それは本当にそうで、夫と一緒になってからの日記はまた特に、ああしたらこうなってこう思ってやっぱり私はこんなところがいけない、やら、こんな思いばっかり思ってしまう、たら、まー繰り返し繰り返しの気がしていて、(たまーに書くっていうときの気分がまたそんな反省だったり苛立ちだったり辛いみたいな気分のときになってしまうってのも大きいのだろうけど)、ほんとおんなじ繰り返しだし、書く意味ないなーと読み返しててもつまらないものになってたから、ついに書くのをやめてしまった。のだ。


それ以来、ずっとものを書くこと自体はすきなんだけど、どこにも何にも書くこともなくで、少し持て余す気持ちもあった。

そんなときはインターネットや本で拾った料理のレシピをノートに書き写すってことで満たしているような具合だった。


そんな折のこの10年日記である。



A4サイズで分厚い。

1ページの見開きで、10年をいっぺんに見れる。

たとえば、1月1日ならその年ごとにずらりと10年分まで欄があるわけで、一目で10年分の1月1日をそのページで読み返せるわけだ。

それが天気から特記事項欄からあり、ぱっとその日その年の出来事も書けるし、10年分の1月なら1月の予定表まである。

とにかく何から何まで明細にある。

今までこんなまともな日記帳はつけたことないもんだから、はてさて、と思ったけど、ここ何日か書いてみた感想としては、これは書きやすい、というのが第一だ。

なんせ1日書く欄が狭い、たったの4行分なんて今までいろいろなんちゃらあんちゃら書きに書きまくってた私の書き方からすれば、短過ぎて収まらないよ〜という気持ちくらいなもんなだけに、一瞬で1日分が終わる。

なんせそれくらいしか書けないのだから。

そうなると書くこともちょいと気をつけることに至る。

はて今日という1日を10年後に読んでもらうためにはどう書こう、と。

読んでもらうって他人にではなく、無論自分にである。

他の人が読んだところでなーーんにも面白くもかゆくもないものであるのは間違いないのだからね。

にしても、久しぶりのこの、あ、今日も書かなくっちゃ、とか、今日は何を書くだろう、なんて朝から考えたりしたりして、ちょっとたのしい。

そんな形で始まったのだったー。


はてさて、この日記はどんな形で出版しているかわからないが、もしかすると今年2021年から区切りよく2030年という10年の日記帳だとすると、誰か、これやってみたりしない?と薦めたい気持ちになった。

お高いから買って贈るとなるとよっぽどあげても喜ぶ人かな、なんて想像するとそうも出てこないのだが。

けど、たのしいよ、おほほ。





新年明けまして

2021-01-07 18:37:00 | 日記


おめでとうございます。

なんだか年末年始から気持ち的にバタバタと過ごしていました。
大雪が降ることであれをせねば、あれが間に合わないと焦ったりしながら、お節を作って掃除をしてとゆっくり迎えれた気がしないところです。

なので、今になってようやくゆっくりとした気持ちになれてるところ。

何か、ことがあると、私はプレッシャーみたいなものを背負う癖があって、その上それをやらねば気が済まないような気に自分を持ち上げちゃうんだよね、それに疲れちゃうっていうところがあったりするんです。

結局考えるほどにはできないし、間に合わないし、上手くいかないことも多くて、あーあーと嘆くこともしばしば。

行動に取り掛かることにもっと気安く動きたいなぁと。

今年の抱負ですかね。



そんなんで、






年末に食べた白菜漬け鍋
異国の味だしたなぁ。
けど、今もまだ白菜漬けの残りがあるんだけど、今ぐらいひと月近く経ってしまってからの白菜漬けの方が味わい深い。

この鍋は、だから2週間ほど塩漬けされた白菜と豚バラブラックをゆでて薄切りしたものと、凍らした豆腐と春雨、でできているのだす。





年末キムチをこしらえまして、未だ食べれてない、出してないんだけど、そろそろ出せるかな。
そのときのヤンニョムの余りでカクテキ。
しかしこれは難しい!
もっと塩っぱく大根をしておくのがいいかもね!





クリスマスにお世話になった人に12センチのホールケーキプレゼント。
素朴な味がうまいんだよね、これ。



天然ブリの刺身!高い!けど、びびるほど美味しいかった。
と、釣られたメバルの素揚げ。





スペアリブの赤ワイン煮込み、とじゃがいもを牛乳で炊いてマッシュしたものの相性が良い。






そして、レモンチーズケーキ。
だいぶ、レモン。
クリスマス当日はんー、スフレやな、あんま好きでもないな、と思ってたけど、次の日の方がしっとり、おいしくなるのだなぁ。













なんかねぇ、おせちは実はどれもあんまり上手くいかなくて、んーほんとに残念だったんだよなぁ。
もうひとつこれっちゅーうまさがなくて。
今になって(まだある)筑前煮とか紅白なますとか菊花かぶが美味しくなってきた。











お正月、夫にリクエストされて作った水餃子、ウーウェンさんのレシピから。
いやーこれ、ほんとに美味!
なんだけど、作ってる最中はへこたれるっちゅーか泣けてくるくらいも〜作らないてな気持ちになる。
けど、食べたら一瞬!そして、美味しいからまた食べたくなるんだなぁ。。





遅ればせながらの、年越してからそば。
とろろそばってほんまにおいしいよね。


いやー
食う寝るところに住むところ!!
ですなぁ。