ことばにならない風の声

今日もどこからか風はやってきてやがてまたどこかへいくだろう。
何に向かっているのか己でさえもわからずに、、。

いい悪いを考える。

2014-08-12 23:35:19 | 日記





今前の記事を書きながら、、、
いい悪いをすぐ考える自分がいることに気づいた。
みんなそうなのかもしれないけど、それはそうとして。

は~考えだしたらきりがない、いい悪いを思わずなんていられないくせに、
なんでこうやってそういうことばっかり考える自分ってのを思うんだろうか。

けどまた思ったけどこれって言葉に追われてるんだ。
というかことばを追っかけていると言うのか、そうか。
わけわかめだし結論もない、ただの戯言。
けど案外こういうもちゃもちゃ話をしゃべるのってたのしい。









おもいおもいの重い思い。

2014-08-12 22:32:48 | 日記






最近、戦後史証言プロジェクト、とかいう番組が4回くらいに分けてテレビで放送してた。
まだそのうちの2回分、政治学者の丸山真男と哲学者の鶴見俊介の二人分しか見てないけど。


なかなか思わせるものがあって、なんかわかってんのかわかってないのか、よくわからんままにもんもんさせられる。
この日本の戦後史、ここ数十年前のことだけれど、世代的には二つ以上前ほどか、そんなちょっと前なんて思っても
実はここ数十年の変わり様は凄まじいらしく、世代間の意識差とか
普通と言われる感覚もそのときの世の中のありかたが作っているようなもんだから今の感覚では語れないものがある。
そのときじゃないとわからないリアルな記憶と日本を見る姿勢と視点。

そんなものはそのリアルタイムにいた人の話を聞いてもぴんとくるもんでもないんだけど、
こうやってテレビで観て聞くだけでもなんか胸に訴えられるもんもんさ。
これは自分がなんも、ほんとに何もしらんということと、それは今自分がこの時代を生きるのに知っていくべきことだろうっていう思いからくる。
これからも多分ずっとそうやっていつももんもんするんだろうし、してかないけんのやとも思う。



その番組で出てたもう80いくつかやったか、そんなおばあさんのことばのひとつで、

おもいおもいの重い思い

てのがある。

これ、ほんとにそうやなーって。
みんななんやかんや問題あったりなかったりあったりなくても思っていることがある。
ないことない。
けどみんなみんな懸命でそれは比べられない。
こんだけ物知りで詳しくて情報に長けているからこの人の言っていることは最もだ、とか、そんなんもない。
専門にいけばいくほど専門の言葉と知識でものをしゃべることが当たり前になってしまって、最もそうで何を言っているのか素人に伝わらないってなこともある。
だからと言って物知りが悪いわけでもないし専門にいくのが悪いって話でもなくて、そこでこり固めてしまったらそれもつまんないと思う。


けど凝り固まるんだなーどうしても。自分がそうだ。
こういうのって悪いけどこういうのってええよね、ってそういうものがどんどん増えていって固まっていってる。
また友達と共有するいい悪いとかすききらい、家族と共有するそれ、とか、それをお互いに明確化していく作業をしているような気になってしまうときもある。
それがだめってこともないだろうけど、それをいつだって覆させてもらえるような構えではありたい。
大抵そういうのって人に言われないとわかんないから。人任せなところと人の振り見て我が振りなおせのところと。うん。




だいぶ前、父に蛇口を締める力が強すぎるんじゃない、と言われたことがあった。
それ聞いて、「、、え?」となる。
なって当然だ。
だって自分の中で蛇口を締める強さなんて意識したこともなかったから。

私「え、そんな私強い?」
父「うん、強いね。ぎゅっと締めるでしょ。次の人がまたぎゅっと力入れて開けなくちゃいけなくなるね。」
私「、、はあ、、ふむ。」


それを聞いても蛇口をそんなにぎゅっと締めることなんて、言っちゃー結構どうでもいいことというか、問題にしないことだと思うでしょ。
思ってたんだけど、彼にとっては違ったし、それからというものの気をつけていい具合で締めるということに慣れてもいったんだけど
そういう蛇口を締める力って自分の無意識の行動で、そういうのをある意味注意をもらうってのはすごいな。
有り難い。
そんなんもちろんみーんなに通じるような問題点ではないと思うけど、今となっては確かに締めどころってのがあって、
それをうまくやれば次に開ける人がわざわざぎゅっと力を入れる必要がなくなるわけ。
それを細かい人だなーめんどくせーと思ったとして、それはそれでいいのだけれど。
けど、私がそういう人と一緒になったらそれを口にはするかもしれない。
「君、ちょいと蛇口の締めるのん強いんやないか。」と。


逆にいえば、そういう蛇口なんてものにも締めどころがあると思っているのもある人の思いなわけで。
けどそういう思いを受け入れたりするんが一緒に暮らしているーって思わさせるやつだ。
醍醐味というやつ。






めっきりタイフーンによって気温が急降下してからもともと街に比べたら涼しい避暑地がもうさぶって言うとこになってしまった。
今の夜なんて特に、さぶっ、だ。

この前写真家の星野道夫さんのアラスカの大地を撮ったもののドキュメンタリーがあって、またテレビ情報だけれど。
それで彼のまっすぐな問い、人間はどう生きていくか、というものと、写真の画像と同じように美しい洗練されたことばが妙に胸にきて。
本を読もうと思った。
こんなふうに読もう読みたいなんて思うようになるなんて、ぼくも変わったなーなんておもったのだったー。ちゃんちゃん
自分観察はおもしろいね。やりすぎたらいけなさそうだけど。
ただの自己中ってやつかもね、自意識過剰なのね。ほんと過剰だわ。