ことばにならない風の声

今日もどこからか風はやってきてやがてまたどこかへいくだろう。
何に向かっているのか己でさえもわからずに、、。

かなんとこんばんどん。

2013-06-30 23:43:18 | 音楽



アイルランドがだいすきな先輩がおって、彼女はお金を貯めてはちょくちょくアイルランドに出向いていました。


そいで、明後日からも1年ワーキングホリデーに行くという。
そいで、彼女は前にアイルランドでアコーディオンと出会ってからというものの、アコーディオンを鳴らし続けていて、日本に帰って来てからもアイリッシュパブで働きながら、バンド仲間を集めていた。


集めていたというよりは、集まったということなのかもしれないけど。
そのバンドは、アコーディオン、アコースティックギター、バイオリン、よくわからない変わった太鼓、三味線の西洋版のような弦4本の弦楽器、エレキマンドリンなんてあるかしらないけど、そんなような弦8本の弦楽器の編成バンドと、どんどん増えていったのです。


それで、その先輩はいっろんなところで演奏していて、彼女が働くパブでも週に一回演奏してるみたいで、今日が旅立つ前の最後の日、ということで、挨拶も兼ねてそのアイリッシュパブに赴いたのだった。




パブに来てるお客さんは今日はほとんどがその演奏を見るがため来てる人ばかりで、おじさんからおばさんから、みんな黒ビールにウィスキーを飲んで顔を赤くしてにっこにこしながら、その音楽を聞いていた。
みんなで手を叩いてぴーぴー言ってがやがや会話が飛び交い、、


そのお店の雰囲気いいんだなぁ。
またあのアコーディオンのアイリッシュ音楽がね、知らない曲なのに、なんでか乗っちゃうし懐かしんじゃうし、すっと入ってくるのね。
雰囲気にもってかれるということやけど、そんな雰囲気を作るのは演奏する人らでもあるし、それをにっこにこいい顔で聞いてる人たちでもある。



あぁ、いいなぁと自分も自然と頬が上がって手拍子打ってた。
そういうのって、あるようでなかなかない。
貴重な時間でした。










散歩。

2013-06-28 08:10:56 | 日記



今日の朝6時半ころ。
近所のパン屋さんで焼きたてのパンを買ってから、散歩をした。
私を含め3人で。


いつも通る道から外れた道をぐるりと回った。
家に辿り帰ってくれば、2時間も経っていた。
一本違う通りを歩いて見えるものは、全くの別世界に見え、なんとも不思議な心地だった。



歩いたところは主に住宅が並ぶ小さな込み入った道ばかりで、色んな家と庭があり、それを見るだけでどんな人が住んでるのだろうと想像を掻き立てられた。
中心の通りから少し外れるだけでこんなにも違うのかというほどに、街自体は閑散としていて、なんとも言えない侘しさが漂っていた。



そこには色んな人がいて、朝早くから仕事をしている人、今から仕事場に向かう人、学校へ向かう人、洗濯物を干す人、、人は今日という一日の始まりをしていた。
当たり前のように、そこに家があるのは住む人がおり、生活があり、暮らしをやっている。


それは私自身のことを見つめ直させるものがあった。
他人を見て、わが身を思えるということなのだろうか。
自分にあなたはどう暮らすのか、と問われてる気がした。




くるくるくるり。

2013-06-27 19:57:17 | 音楽



くるり、というバンドがありますが、
いいうたがたくさんあるですよ。



ハイウェイ

僕が旅に出る理由はだいたい百個くらいあって
ひとつめはここじゃどうも息も詰まりそうになった
ふたつめは今宵の月が僕を誘っていること
みっつめは車の免許とってもいいかな
なんて思っていること

俺は車にウーハーを(飛び出せハイウェイ)
つけて遠くフューチャー鳴らす(久しぶりだぜ)
何かでっかい事してやろう
きっとでっかい事してやろう

飛び出せジョニ一気にしないで
身ぐるみ全部剥がされちゃいな
やさしさも甘いキスもあとから全部ついてくる
全部後回しにしちゃいな勇気なんていらないぜ
僕には旅に出る理由なんて何ひとつない
手を離してみようぜ
つめたい花がこぼれ落ちそうさ

ハイウェイ/くるり






一喜一憂。

2013-06-25 01:15:44 | 日記



最近、一喜一憂の日々であります。


ミスをしては憂うつな気分になり、
新しく出会ったまだ慣れない人と楽しく笑って会話しては喜び、
反対にぎこちない会話で緊張して苦笑いしては落ち込みもしたりして、


とくりかえすのであります。


そんなちょっとしたひとつひとつがわたしをちょっとしないです。
嬉しいときとつらいときとかわるがわるやってきてぐらぐらと揺さぶるのであります。



なんで嫌な気持ちってああも嫌な気持ちなんだろう。
なんで嬉しい気持ちってああも嬉しい気持ちなんだろう。


こうやって思い返す分にはどうってことないのです。
そのときそのときというのは、正直にまっすぐに感じるしかないのです。





最近のわたしのうたうソング
ひこうき雲/松任谷由実





ずれ。

2013-06-24 00:03:07 | 日記



ほほーいい。
6月もそろそろ過ぎていこうとしてます。
びっくらこいちゃいまっせ。


今日、手紙を書いた。
そして、手紙を書いてて思ったのは、
感情とか想いというものがこんなにも言葉になってこないものなのか、
ということだ。


日々の生活のお話での、こう思った嬉しかった楽しかった嫌だった、
などというものはつらつらと言葉に、文章になるのは容易い。
のだけれども、そういった類の物語じゃないただの自分の伝えたい想いというもの、
この胸のうちからわきあがるどうともいえない想いは、
伝えるには言葉ひとつでは到底難しいように思った。


伝えたい想いはあってもそれを自分の言葉で当てはめてはみても、
どうもこれじゃ伝わらない気がしてならなかった。
読むときに文の中には、合間、隙間、空間、などの、一呼吸置く間がない。
…あるのかな。
あるのかもしれないけど、
自分が読んだ分にはないと思った。
その間がない、というそれがどうも違う感じにさせるのだ。



自分で書いたものを読み返す。
たんたんと読めてしまう。
けど、違うんだよなぁ、と思う自分がいる。
あんなにもつっかえながら、
間を置かざるを得ないでいただばだばの気持ちは
一体この文字のどこに隠れたのだろう。
もし隠れてくれたなら、なんてかくれんぼの得意っ子なんだ。


それを読み手は見つけることなんてできるのか。
本人でさえ違うと、見つけられないと思っているのに。
私の言葉はすっと出たかと思うと、またすっと誰かの頭に直接届かせる。
けど、胸に響かせるには及ばない気がした。



と思いつつも、手紙なのだ。
文字で書いた過去から未来へのおくりものでもある。
そういうものなのかもしれないと思ったら、
そういうもんか、とも思う。


正確に伝えるとか伝わるとかでもないし、
とにかくこっちにはどうしようもないほど、
相手の受け取り方次第でどうとでもなるものでもある。
同じ言葉の文章でも私が読むのと他の人が読むのと多分違う。
ちょっとずつずれていく。
けどそのずれは多分どうにかできるものでもないし、
どうにかしたいというとこでもないんだな。
むしろあってこそなのやもしれぬ。



とかなんとかぐだくだ言ってるけど、
手紙書くのってたのしい。
たまにだからいいのかもしれない。
そういやこれまたもらう方って嬉しいもんね。