ことばにならない風の声

今日もどこからか風はやってきてやがてまたどこかへいくだろう。
何に向かっているのか己でさえもわからずに、、。

さあて。

2011-08-31 23:59:51 | 日記




いよいよ、明日出発です。

どこへって、ドイツへです。




ドイツへ行くのはどこのどいつだあ~ってね。


くくく。






てなことで、前日になってやっとそわそわしだしました。

あれこれ考えだして、何かが憂鬱。


なんだろうと思うと、すべて移動のことだった。



ここジッカ石川からまず関西国際空港へ。

そこからまず飛び立つは香港へ。

台風11号、、どうなんじゃろか。

そこで乗り継いでからやっとこさドイツに到着。




とりあえず、なにが面倒かって、石川から関西国際空港までの移動です。

そこまででも2回乗り継ぎ。

荷物は多いしで、、。


前日になって思ったのは、これからは身軽な女を目指すぞ、ということです。

今回はちとケース自体が大きくてそれに見合う量の荷物もこさえちゃってで。

なんだか格好が悪い。





ギターに煙草さえあればいいさ。





ぐらいの身軽な女になりたい。



実際のところは、あれだ。

お金がないとそんな身軽女にはなれやしないのだろうな。

だって、やっぱし下着くらい毎日着替えたいじゃない。

へへ。




けど、もちろんわくわく感もある。

よーろっぱ。

ヨーロッパです。





さあて。


いってきます。








はいさいシーサー。

2011-08-29 10:21:02 | 日記





屋根の上のシーサーは何をにらんでいるのだろう

何を考えているのだろう

はいさいシーサーはいさいシーサー




この唄は、高校の沖縄への修学旅行の時にバスのお姉さんが教えてくれた唄で。

なんとも言えないメロディーなんだけど、ふとしたときに毎度唄ってる自分に驚くんだな。


なんか気に入ってるんだろな。





てなことで、ここ連日、家のお仕事のお手伝いをしています。


今日のお仕事は、庭の草を刈った(刈るのは父が草刈り機でジャンジャンやっておりました)あとに残ってるその切り取った草、

それを、くまのて という竹でできたくわみたいなもので草を集めていく。







この右手前に見えるのが、くまのて。

その後ろが一輪車。



この集めるのも簡単な作業ではあるんだけど、始めたときはまだまだこれからやっていく庭全体を眺めて、うきゃっなんてこったい。

まだまだありまんがな。

と、いつも以上に庭の広さを思い、あれ?こんなに広かったかしら、と目を細める。





まぁその草集めを終えて至る所に草の山が出来上がったとき、ふ~やっとこさ、ここまできたかぁと思っているのもつかの間、、。






ところどころ盛り上がってるのが、草の山。


‥こんなの写真撮ってるならさっさとやれってか。へへ。





それが終わると今度はそれを一輪車に乗せて、草を積むところに運んでいく。



んー、まぁ積むと言うよりは置く?かな。

捨てるって感じでもないような、、。






まぁ、ほんともくもくと、ということばが似合う作業でやんして、、。

途中、一輪車にてんこもりに乗せた草を放ってから傾いた一輪車をもとに戻すときに、一輪車を自分のすねにがつんと当ててしまった。



「ふぐ~っ」


とひとり痛みに耐える声が口から漏れて、その声を耳に入れた自分自身でなんか無性に一気にへにょん、となってしまって、、

へこたれてしまって、もういやだ~なんて思ったりしたのだ。

だが、かっこわるいからそこは黙っておいて、がんばったでしょって、みんなにアピールしておいた。


ふはは。




すべての草の山を集めて置いて、作業が終了し、そして庭を眺めたときの爽快感!

























なんてきれいなんか!すんばらすぃ~。


てなことで、今日も汗だくになりもした。










昨日は昨日で、来年の稲の苗床のための乾かしておいた土を、ふるいにかけて袋につめていく作業。

これもこれで、結構なしんどさやった。


袋につめる量は20キロと決まっていて、一つ一つ測りにかけては袋をガムテープで閉じ、トラックに乗せる。

この20キロって量は、想像以上で多分私の持てる限界の重さなんじゃないか、と思えるほどだった。


久しぶりに太ももに二の腕やらが筋肉つーつーでやんすよ。

いやはや。


けんど、体力ないんだなぁって今日改めて思いました。

筋肉、つけるべきでっしゃろか。うーむ。








ちなみに今日の夕飯。







ハンバーグでした。







今日もおいしくいただきました。










いや~、こっちに来ると、否が応でも規則正しい生活を送ることになるなぁ。

毎日3食しっかり食べて、働いて汗いっぱいかいて、んで、ねむ~くなって眠ることができる。


私の場合、ただここ連日が働いてるてなもんで、他はだんら~と過ごすのがたいていやけどん。



なんて気楽で、そんでもって豊かなところなのだ、と思いました。



明日で、この毎日にもおさらばです。

いとさみしです。













「おさぶた」ってなんだよ。

2011-08-26 23:11:58 | 日記







いや~。

ずっと書くのがご無沙汰になってまった。


全然どうでもいいようなことだけど、いま、「ご無沙汰」ってことばを出すことができなかった。

おぶさた?おさぶた?いやいや、違うわな、、。自分やばいんと違うか?


と、思いながら、兄に聞くと一発解決!

あ~「ご無沙汰」ね~。


けど、こういうことばでてこないことありますよねん。


ねん。







ということで、久しぶりの更新ですたい。

ここ最近更新しなかったのは特に何があるわけでもなかった、というのと、面倒だということ、このふたつが腕を組むとなかなかね、そのふたりの強力な協力にはなかなかね、それらを突破してまでっていう気力がなくてですね、ね。






今日は、働いた日だった。

多分ジッカに来てから、初めてまともにお仕事をお手伝いした。



父にいろいろ教わりながらふたりで、大根、タマネギにカブの種を耕耘されたやわらかい土に播いていく。

これがみんな小さい種で、こんなちいさな種からあの立派なやさいたちが育っていくのかと思うと不思議でならない。


そして、種を播くのにもそれぞれの一番いい方法があるみたいで、そういうのは先人たちの知恵としていまの人に受け継がれている。

それって少し思うとすっごいことなんじゃないかなと思った。



久しぶりに長いこと太陽の下に出てたな、土の感触やにおいとかも、ほんと懐かしいような初めてに近いようでもあって、うん。




そのあとは、古墳に生えた雑草取りをした。

父とふたり、案外スムーズに雑草を取れたし、会話も弾み、あっという間くらいにきれいになってしまった。


種まきにしろ、雑草取りにしろ、何でも事が済んだ後って、すっときれいになっているものだよな。

種を播いたあと土をかけたところも、とってもきれいなのだ。

これでこそ完成!って終了!って感じだよなぁ。


そのおかげか、仕事を終えて、その場所を改めて見渡すと、いや~やりましたなぁって、とってもすっきりするのよね。







あと、今日は久しぶりに夜空を見た。

ずっとこっちに来て夜外に出ることもなかったせいで、こっちの星を見ていなかった。


父が今日の星はすごいぞ~と言うこともあり、ハナの散歩がてらもあり、ふたりで夜散歩に出た。


ここらの夜となると街灯も一切ないし、民家も私たちの家以外ないしで、家からの坂道を下ればそこは辺り一面闇の中。

今宵は新月が近いこともあり、ほんとうに真っ暗なのだ。

それこそ、懐中電灯があっても私はひとりじゃ坂の下までさえもこわくて行けやしないだろう。

そんな中すたこらさっさとハナは元気に先頭を進んで歩き、なんだか楽しそう。




父と夜空を眺めながら、いろいろおしゃべりした。


懐中電灯を消して歩くと、頼りにするのは道路の端を意味する白線だけ。

足下をふらつかせ、どきどきしながら歩いていく。









闇の中に入ると木が木じゃなくなるし、虫が虫じゃなくなる。

昼間見てる分には、木だ、とか、虫だ、鳥だ、草だ、山だ、やらやら、ことばであたかも把握しきっていて、わかりきっているものとして思ってしまっているけれど、、。



闇の中に入ると、それが一切通用しなくなる。

ほんとは昼も夜も関係ないはずなのだけれど、どうしても視覚で見た形とそれにつけられている名前が合体すると、どうしてもわかっているような気になってしまう。

ものの指す名前がどうとかではない、そんなものでわかっていることなんてほとんどない。





そういうわけわからんくて、おそろしくさえ感じるものたちとふつうに、当たり前に共存しているようだけど、それはこっちの勝手な思いに過ぎなくて、どっちかというと私たちの方が生かされている、というのか、取り込まれてしまっているもの、というのんか、、。

そういう気がしてくる。


そんくらいわけわからんでっかいものたちに囲まれて生きているし、彼らも、木も虫も草も、みんなみんな生きているなぁって思った。










なんか、ひとつ、星という視点から私を見たり、木という視点から見たり、虫という視点から見たり、とか、「違う視点から見る」ということはできないのかもしれないけれど、そういう視点から見てみようと努めてみると、こんなにも不思議な気持ちがわいてくる。


これっていったいなんだろう。


じぶんってものがどんどんちっぽけにも思えるようで、なんか変な奴だなぁというか、なんなんだよって言いたくなるいきものにも思えるし、ほんと不思議だ。






こういう感覚って多分とても大切な気がするんだけど、毎日、という日常を暮らしているとどうもそういう感覚が薄れてしまう。

すぐ自分のこころの中の葛藤が中心を占めてしまう。


やっぱり時折、こうやって感覚を戻さないといかんよって思う。














どうも、なんだか、、。

2011-08-20 12:18:55 | 日記





ジッカに帰ってきてはや1週間が経った。


いや~、なんだろう。


どうも、なんだか、、。

頭がぽっかりしている、というか。

しなくてはならないことってのがここではない。


未来の予定?というのか、そんなのが無くただ毎日おいしいものを食べたり、親や兄弟、幼なじみやここらに住む第2の父母たちとしゃべったり、、。


緊張することもなく、なんだか、ぴんと張っていたものがもう姿さえないかのようで。





いつもは大抵自分ひとりで暮らしている大学の生活が頭から完全には抜けず、どこかいつも想っていたものだが、この夏はなぜかあんまり考えないというか、想うこともない。


別にわざと想いたくないから忘れているとかでもなく、ほんと、ぽーんとしているのだ。


それをそんなにも悪い感じに感じていることもない。








一人暮らししていると、当たり前だけど、ほんと自分のことばっかなんだ。

じぶんじぶんじぶんじぶん、、、。


ずっと頭の中じゃ自分のあれこれに頭を悩ませて、勝手にもがいたり、勝手に喜んだりしている。



けど、ジッカにいると、私が自分自分する前に、ハナ(愛犬)が「くわ~」とあくびをする。

はなくろ(愛猫)が「んみゃぁ~」と甘えた声を出してはご飯をねだる。


おばあちゃんが部屋の真ん中でせっせと縫い物に励んでいる。

兄がどたどたと廊下を歩いてくる。


やらやら、とりあえず、自分だけでなにかが始まったり終わったりしないんだ。

ちょっとよくわかりにくい文章だとは思うけど、なんて言ったらいいのだろう。






あー、これが共に暮らす、共に生きるということなんだろうと思うんだ。


一人で暮らしていると、とっても楽なんだけど。

自分のことしか気にしないでいいし、周りが自分がする何かにいちいち口を挟んだり、視線をよこしはしない。

ほんとうに自分の思い通りにやってたらいい。

自分は自分の思い通りにやろうなんて思いもしないまま、やってしまっているからこそ、とっても楽だし、居心地もいい。





だけど、やっぱり、共に生きるってことを求めるのはなんだろう。


私がひとつくしゃみをしたり、せきをしたり、ハナがあくびをしたり、はなくろが甘えた声を出す、そんなささいなちょっとした音にも誰かが応える。




当たり前だけど、一人暮らしの中とは違って、人を意識してのくしゃっみだったり、咳が出てたりする。


周りに気にしてほしいのだろうな。

周りが気になりもしているのだろうし。



なんか、このことが面倒に感じることもしばしばだけど、それに救われている、というか、それに甘えたり求めたりもする。


面倒だけど、あったかいというか、これがほっこりするってことだな、と思う。



だけども、本でも読んで頭くらいは動かさなくちゃいかん、ですかね。










ごちそうさまでした。

2011-08-18 23:02:56 | 日記





とてもごちそうにあふれる1日を過ごしてしまった。

お昼ご飯は、自家製ピザ。









手でこねこねして、生地を伸ばす。






そして、先にのばした生地だけ先に焼く。






こちらは、ピザのソース。

母が大好きな自家製トマトにタマネギ。

塩を少し加えるだけで味は決まる。

やさいの甘みってこんなにもあまいのか、おいしいのか、とびっくりする。






ほんで、これができあがり。

ハムのピザに、自家製アンチョビを乗せたピザと2種類でった。








そして、夜ご飯はにぎり寿司。






この日はあいにく雨であんまりいいお魚を手に入れることができなかったんだとか。

サーモンにマグロ、あとボイルされた甘エビ、ホタテ、あとー、名前忘れちゃった。なんだっけかや。













お寿司のバイト経験のある兄さんが手際よく作る。










そんなこんなで、ごちそうさまでした。

おいしくいただきました。