ことばにならない風の声

今日もどこからか風はやってきてやがてまたどこかへいくだろう。
何に向かっているのか己でさえもわからずに、、。

10年日記

2021-01-18 18:42:00 | 日記


先日、鍼灸治療院をやっている叔父から10年日記なるものを頂いた。

このところ2週にいっぺん治療院に通うこととなり通ってる中、治療を終えた後に話してた話題で日記の話になったのだ。

叔父はたまたまこれをとあるご年配の方から私はもう先がわからんからということでその日記を託されたそうな。

そいで、もらったからには書こうと書いてて、この間その10年日記が終わったそうな。

そういう意味で昔からものを書くことがすきで小学生のころから文通やら何やらずっとやってきたらしい。

そんな話を聞けば、いやそれ私もそんなんで、と。

私も実は小学生のころ文通がすきでいろんな人としていた、というかしてもらっていた。

相手は大人のと言っても、20代の人たちとかか、今から思えば若いのに、よく小学生の文通に長いこと付き合ってくれたなぁと思う。

文通もしていたし、なんでだったか日記もしていた。

絶対毎日ってことではなかったけども、小学生のいつ頃からか大学生過ぎても、24.5歳くらいまではしていたと思う。

それこそ今日あったことを事細かに書いては、また書きながら読み返したりして、何がたのしかったのか、けど絶対に人には読ませたくないくらい、自分の中のうんだらかんだらな想いを吐露していた場だったのだ。


そんなんで、夫と一緒に暮らすっていうことが私にとっては家族以来の人と暮らすことの初めてであり始まりなのだが、それが始まって以来もまだたまーに書いていたものが2年くらいほどでぱったりやめてしまっていた。

言い訳でもないけど、夫にまた同じこと書いてるんでしょ、と言われ、それは本当にそうで、夫と一緒になってからの日記はまた特に、ああしたらこうなってこう思ってやっぱり私はこんなところがいけない、やら、こんな思いばっかり思ってしまう、たら、まー繰り返し繰り返しの気がしていて、(たまーに書くっていうときの気分がまたそんな反省だったり苛立ちだったり辛いみたいな気分のときになってしまうってのも大きいのだろうけど)、ほんとおんなじ繰り返しだし、書く意味ないなーと読み返しててもつまらないものになってたから、ついに書くのをやめてしまった。のだ。


それ以来、ずっとものを書くこと自体はすきなんだけど、どこにも何にも書くこともなくで、少し持て余す気持ちもあった。

そんなときはインターネットや本で拾った料理のレシピをノートに書き写すってことで満たしているような具合だった。


そんな折のこの10年日記である。



A4サイズで分厚い。

1ページの見開きで、10年をいっぺんに見れる。

たとえば、1月1日ならその年ごとにずらりと10年分まで欄があるわけで、一目で10年分の1月1日をそのページで読み返せるわけだ。

それが天気から特記事項欄からあり、ぱっとその日その年の出来事も書けるし、10年分の1月なら1月の予定表まである。

とにかく何から何まで明細にある。

今までこんなまともな日記帳はつけたことないもんだから、はてさて、と思ったけど、ここ何日か書いてみた感想としては、これは書きやすい、というのが第一だ。

なんせ1日書く欄が狭い、たったの4行分なんて今までいろいろなんちゃらあんちゃら書きに書きまくってた私の書き方からすれば、短過ぎて収まらないよ〜という気持ちくらいなもんなだけに、一瞬で1日分が終わる。

なんせそれくらいしか書けないのだから。

そうなると書くこともちょいと気をつけることに至る。

はて今日という1日を10年後に読んでもらうためにはどう書こう、と。

読んでもらうって他人にではなく、無論自分にである。

他の人が読んだところでなーーんにも面白くもかゆくもないものであるのは間違いないのだからね。

にしても、久しぶりのこの、あ、今日も書かなくっちゃ、とか、今日は何を書くだろう、なんて朝から考えたりしたりして、ちょっとたのしい。

そんな形で始まったのだったー。


はてさて、この日記はどんな形で出版しているかわからないが、もしかすると今年2021年から区切りよく2030年という10年の日記帳だとすると、誰か、これやってみたりしない?と薦めたい気持ちになった。

お高いから買って贈るとなるとよっぽどあげても喜ぶ人かな、なんて想像するとそうも出てこないのだが。

けど、たのしいよ、おほほ。





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