ことばにならない風の声

今日もどこからか風はやってきてやがてまたどこかへいくだろう。
何に向かっているのか己でさえもわからずに、、。

草取り。

2013-09-09 22:41:12 | 日記



今日は朝からいい天気であった。
からんとしてて、ひさしぶりの晴れの日のようだ。

そんで朝から、んではと(いや、そんなスムーズに身体は動き始めなかったけどね)草取りに出向いたでありました。
いやー晴れたら晴れたで背中が暑いのなんのって。
しかもね、こっちに来てからというものの、はなくろ(猫)なのか、ハウスダストなのか(家は毎日掃除してるからきれいなはずなのに)、ぶたくさ系のなんかなのか、
よくわからんけど、ずっと鼻がずびずびしてくしゃみは出て、目はなんだかぐぬぅって感じでしんどいのでやんす。
今日は特に朝からずっとそうで、草取りしながらずびずびでちょいしんどかった。


そんで私的にはだいぶやったねダディっ(にこっ)って感じにね、やりましたのよさ。
やり終えたあとっていいよ~とっても、きれいなんだよね。
あんなに草たくさんあったのに、これだけきれいになって、、これを自分たちでしたのかぁという感じでとてもしたかいがあるってもんで。
終わったらいつもの如く気分上がっちゃってバスケのシュートしながら、大きな声でおうたを声たからかに空に向かってうたうのでごわす。
それのなーんやきもちのよいことと言ったら。
それの延長でそのあとのお風呂の中でも大熱唱しちゃったりして、それがここでの暮らしの私にとっての醍醐味でもあるかもしれん。
なーんちって、ふはは。


にしても、草取りのあの態勢、姿勢ってしんどいね。
ずっとあのしゃがんでる態勢って膝にくるし、こりゃ腰もやられるね、と思っただ。
けんど、あんなもんでそんなへーこら言って君はまだまだ甘いあるね!と言われるですが。
こっち来て、朝課のあとのお掃除のあとの、父との体操タイムがあるんだけど、それが体操でもありもはや筋トレに近いメニューでして、
それを一緒にやるんやけど(もちろん父とのそのひとつひとつのメニューの度合いはだいぶ違うけどね、へへへ、ついていけんもんね)、
そのおかげもあって、筋肉ついてくるんやないかなという期待が生まれましたよね。
このままずっと続けば、筋肉もちょっぴしはついてくるのかもしれないけど、毎日同じことをくり返しきちんとする、というのはそう簡単なことではないのであるね。
ずーむーでやんす。



さてさて、ということで、また明日から福岡でやんす。
あちらはこちらよりだーいぶあったかいのやろか。
こちら、朝晩冷え込みます。
じぇじぇじぇ!







動くということ。

2013-09-07 11:53:48 | 日記



ここでのお手伝いときたら農作業である。
専業農家のような大それた農作業ではないけれど、ね。


こっちに来てからした仕事と言えば、大根の間引き、耕耘(初めて耕耘機?っちゅーの、それやった)、畝立て、
種まき(玉ねぎ、大根、小松菜、人参など)、大根の苗植え、草取り(古墳、玉ねぎとか大根のところ)とかね。
してますねんけど、ね。
まぁ、そういうのってこう、なんというか、やったーお仕事だわん!なんて思えるものでもなくて、
はぁやりますかぁ、とどうも冴えない返事(顔)になってしまうのです。
んで、そのような作業ができる格好(長袖シャツ、もんぺ、靴下、長靴、軍手、手ぬぐい、麦わら帽子)になって準備万端!
いざ出陣!、、となるのである。


そんで、そのお仕事は大抵父と一緒になってやるのですが、そのときの父との会話がなんとも面白い。
父としたら、この仕事がつまらんくなって嫌にならないようにと会話をしてくるというのもあって、父劇場となったりもする。
けれど、会話がのれば、次から次へとおはなしはころころかわり、笑いあり真面目あり、楽しくやっている。
こうやって誰かとやる分には、ね、時間はさほど気にならないけれど、これが1人となればそうも言ってらんないやろうなぁとも思う。

まぁしかし、畑に行けば、ここの住人の誰かどうかおるし、その人らとの会話がまたうれしいもんがある。
別にこれと言って何を話すわけでもないけど、なんやかんやね、
「宮崎さん引退やってね。」
「それで今日紅の豚テレビであるらしいよ。」
とかから、
「何してんの?」
「ん?今日はね、ここの草取り。これからここに人参植えんねん。」とか。
「雨降りそうやね、午後からかね?」
とか、そういったことから、なんやかんや話したり笑ったりして、面白い。
時にスイカジュースやら、しそジュースやらくれたりして。


動き出す前までは、頭も身体もぬぼーっとしてこりゃいかんよなと自分でも思いながらの、ぬぼーをしている。
けんど、それが動いて始まってしまったらそんなもんや、というのんか、
動き始めたら、途端にさっきまであった面倒やなぁとかそういった想いでしめられていたこの頭の中がすーっとしてる。
自分でも不思議なくらい、すきーんとしてくる。
それで、いつの間にやら、この草手強いな、とか、、ちょっとこれじゃいかんか、こんなもんか?とかそういったことでいっぱいになって、
さっきまでのぬぼーはなんだったんだってくらい、それがもうどっかにいってしまって、いまこれをしている自分がいるだけになる。
それがなんだかよい感じで、どうも仕事を終えたあとって気持ちがよい。
まず見るからに(畑を見ても)変わったから、ここからここまでこんなことした、とか、目に見えるからやりがいがあるし、きれいやなって思う。
そんな感じがよいよなぁ、こういうのっていいなぁって思う、やったあとはね。


自分のやっていることがなんなのかこんなにもはっきり見せてくれるものってそうしたことがなかったということにも気づいた。
なんかなるほどと思えるような、自分で自分のしていることがこうしてこうなったっていう感覚っていいなって思った。
とか、言っているとまた仕事を増やされそうな気もするからある程度にとどめておくことにしよう。



そんなこんなで、今日も草取りに出たが、もうお昼前から雨がざざっと降ってきてしまって中断となってしまったのだった。





困ったさん。

2013-09-03 23:05:08 | 日記


少し前まで暑い暑いとこぼしてたこの口からは、寒いという言葉が出てくるようになった。



前の記事から半月ほど経ってしまったようだ。
早いもんである。



いま、石川の実家に帰って来ている。
毎日あまりこれといったこともなく過ぎていってるようで、濃い時間を過ごしているような気もする。


実際、家のお手伝い以外することもないし、こんな大雨続きの大変な天気も手伝って、映画三昧の日々だったりもする。

とは言っても、ひとりのときとは違って、朝6時半過ぎころに目覚めだして、時折寝坊もしてますが、7時から朝課(朝のお経読む時間)に始まり、お掃除と朝ごはん、食後のお茶タイムと、、
規則正しく早寝早起きして、三食きちんと色とりどりの野菜を食べて、人とよく話をする。


そういう意味では、あっちで一人暮らししているよりよっぽど頭も身体も使って動いていると思う。
バイトのような働く動きではないけど、こっちの動き方はまた違ったものがある。ような気がする。



色んな情報量が多い。情報の行き来が激しいね。
周りから色んな話を聞けて刺激をもらう。
話をしようと思わずとも、会話をしてしまっているこの環境。
これが一緒に暮らしているということなのかな、と思ったりするね。


ただシャキッとした気持ちに入りにくかったり、なんだか傲慢だったりわがままになってたりする。
毎日一緒にいると、甘えとかも出て来て自分のダメな部分を客観的に(みることはほとんどできないとしても)思えることも難しくなる。


どうしても許されてしまうし、許されるだろうと無意識でも思ってるところもある気がする。



そして、さもわかったかのように話を聞いてしまったり、口出ししてみたり、何ともね。
そういうことをしてしまってるときは自分では全くそう思ってるわけでもない、正しいことをしてたり言ってるような気になってる。



相変わらず困ったさんをしているのである。