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青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。写真はおおめ、文章はこいめ、コメントはすくなめ。

私の心は夏模様。

2023年08月20日 17時00分00秒 | 北条鉄道

(少年時代@北条町~播磨横田間)

夏を音楽で語るならば、「夏が過ぎ風あざみ・・・」と歌った井上陽水の「少年時代」を思い出す人も多かろう。だが、歌詞冒頭にやって来るこの「風あざみ」という言葉がずーっと頭に引っかかってはいた。風?あざみ?なんとなく、なんとなくだけど、アザミ(薊)の咲く夏草の道を麦わら帽子の男の子が駆けて行くような、そんな夏を想像していたのだが、ひょんなことからこの歌詞がやはり植物のアザミを意識して書かれたものであることを知って、我が意を得たりと思ったものだ。北条町を出た列車は、そんな井上陽水が奏でる夏のような世界の中を走って行く。ちなみに陽水自身、この風あざみ、という言葉はなんとなくのフィーリングの表現で出て来た造語なのだと語っている。元々、彼の作詞はフィーリングと語感とリズムで音楽に乗っけたような造語がたくさん出てくるので、あまり驚きはしなかったのであるが。

最初は車窓から沿線を軽くロケハンして・・・なんて思いつつ北条町を出て僅か5分程度、車窓に流れる圧倒的な夏に居ても立ってもいられず、思わず一つ目の駅・播磨横田の駅で下車してしまう。待合室だけが妙にオシャレなガラス張りに改築されていて、地域住民のギャラリーのようになっていた。勢いだけで降りてしまったので、ここで涼んで待てるのかと思いきや、中はエアコンの効きが悪くてムワムワと蒸し暑い。草いきれと稲田を渡る風だけが吹くホームで一人佇んでいると、待合室の大ガラスに、播州の正しき夏がシンメトリーに映り込んだ。

「おー、兄ちゃん、今日は立ってるだけで暑っついのぉー」

いつの間にやら現れた、初老の保線のおっちゃん。この暑い中、当然ながら安全帯と長袖長ズボンで、流れる汗を拭いながら枕木に貼られているオーナープレートを一生懸命ブラシで磨いている。枕木一本一本をオーナーに託し、寄付金を供託してもらうという枕木オーナー制度。地方のローカル私鉄や三セクでもよくある取り組みである。

「折角やってもろて、見に来て汚れてたらがっかりするやん」
枕木に貼られたオーナープレートを磨きながら、初老のおっちゃんが言う。
「AIの時代に、真夏にこんな手作業や!兄ちゃん、何か上手い方法考えてえな!」
そう言っておっちゃんが笑った、播磨横田の夏景色。

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夏たけなわの、虫の知らせ。

2023年08月18日 17時00分00秒 | 北条鉄道

(小私鉄の終着駅@北条町駅)

北条鉄道の終着駅・北条町の駅を傍らの踏切から遠望してみる。旅客の着発線が1面1線あるほかは、安全側線代わりの留置線が一本と、ホーム裏に修繕作業用のピットが1線あるのみの非常に小ぢんまりした設えである。留置線とピットで同じ形のNDCが3両寛いでいますが、その他に1年前にJR秋田支社より導入した国鉄型のキハ40が1両在籍しています。このキハ40の導入効果で、鉄道ファンには俄然注目度の高まった同鉄道。どうやら週末はキハ40の終日運用になるケースが多いようなので、私もそこら辺の走行シーンを含めて乗り撮りしたいな・・・なんて希望もあってやって来たところだったのですが、この日は朝の3往復で上がりという運用になっていて、どうやらもうすぐ粟生からやって来るキハ40が到着即入庫→車交でNDCのフラワ2000になっちゃうという全くツキのない運用。一応スマホで調べたらちゃんとHPに書いてあったのだけど、すいません。そこまで見てませんでした(笑)。

しょうがないのでこの日の最後のキハ40の運行を写真に収めるべく沿線へ。北条鉄道、レンタサイクルの貸し出し&サイクルトレインの運行をしているので、窓口の係員氏に自転車を貸してほしい旨を申し出ると、「すいません、今日イベントで貸し出しやってないんですわ」というつれない返事。これもよく見るとHPに書いてあったので全く文句は言えないのであった。事前準備と情報が空っぽでどうしようもないのだが、ひとまず暑い中をあまり歩きたくもなく、北条町の駅から近い四種踏切でパチリ。猫の目のように変わる雲の流れで直前まで日が差していたのだが、列車が来るときは日差しが遮られてしまった・・・いつもなら憤慨するところなのだが、なんとなく流れからそんな気がしていた。何をやってもダメなときはダメ、という見本のような一枚。四種踏切を囲む、真っ赤なカンナの花だけが夏らしさを添えてくれました。

北条町の駅の待合室に飾ってあったキハ40系の導入記念ヘッドマーク。ちょうどこの頃、キハ40の故郷であった東北は秋田を豪雨が襲っており、市内も冠水で大変な被害を受けたニュースが流れていました。なまはげのヘッドマークに故郷を案じる北条鉄道のキハ40、現状では秋田車両センターにいた頃の五能線カラーでそのまま走っていますが、個人的には播州のローカル色豊かな田園地帯を走る加古川線系統の路線は、キハ30とか35が走っていた古き良き時代の雰囲気に合わせて、いわゆる朱色の首都圏色(タラコ)にペッタリ塗ったほうが合うと思うんよね。そんでもって、少しディーゼルの排煙で煤けて来たくらいの頃合いがちょうどよく似合うのではないかと。そもそも加古川線系統、播磨臨海工業地帯で働く労働者たちを運ぶために、キハ30とか35みたいなロングシートの近郊型気動車のイメージが強かったのですが、キハ40とか47の稼働実績ってあったんだっけ??

折角来たのだしここまで来てキハ40が走らんから帰る、という選択肢もないので、気を取り直して窓口にて一日フリー切符を購入。ホームにはキハ40に代わって、側線に置かれていたNDCが出て来た。「スズムシ列車」のHMを付けているのだが、どんな列車や!と突っ込んでみたところで、網棚の上の昆虫箱にスズムシが入っているというマジでそのまんまのコンセプト。スズムシ、DCのエンジン音に負けずと鳴いてくれるのだろうか。ちなみにホームに続々子連れのファミリー層が集まって来たのは、このスズムシ列車の続行で出されるイベント列車「カブトムシ列車」に参加するためらしい。どんな列車や!と突っ込んでみたところで、やはり車内に大量の昆虫箱に入れたカブトムシと戯れるというそのまんまのコンセプトの企画。小学生のお子様まで、フリー切符&カブトムシ一匹お持ち帰りで1,500円。結構伝統のイベントらしく、今回で23回目の運行だとか。

いずれにしろ北条鉄道、虫好きが過ぎる。

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神姫一転、豊穣の鉄路へ。

2023年08月16日 17時00分00秒 | 北条鉄道

(日本の名城・白鷺城@姫路市・姫路城前)

前日は夜遅くに山陽姫路駅近くのホテルにしけこんで、シャワーだけ浴びて横になったのだがやはり旅の空というものは体が疲れていても神経が昂っているせいかあまりよく寝付けないものだ。それに加えて、泊まったホテルのエアコンがご丁寧に効きすぎていて正直寒かった(笑)。まあね、毎日35℃を超えるような猛烈な暑さだから、そらエアコン効いてないよりは効いてたほうがいいんだけども、モノには程度ってのがあるんだよなあ。とりあえずシャワーでもう一回温まって、短き姫路の一夜の宿を辞す。一応姫路まで来たので、朝から姫路城まで歩いてみたり。それにしても朝から暑い・・・姫路駅前から大通りの向こうにデンと聳える姫路城は、改めて目の前まで行ってみるとまあデカいね。手前を歩いてる朝の散歩の姫路市民と比べるとわかると思うのだが・・・

朝日に輝く白鷺城。「大天守」と言われる天守閣の高さは海抜93m、城の大きさと高さをどこから数えるかって難しいところだと思うけど、城の基礎部分の小山から積み上げられた石垣といい、自分が見たレベルでは文句なく一番デカいと思う。デカすぎてあんまり近付き過ぎると全体像が把握しづらく、そして城内がめちゃくちゃ広い。もう家臣とか腰元とか城下を移動するのにチャリンコとかセグウェイとか必要なんじゃねーのかと思うくらいで(笑)。

早朝の姫路城散歩、汗を拭き拭き姫路駅まで戻り、今日はこの電車からスタート。姫路から和田山へ向かう播但線。赤でも紫でもないビミョーなその中間の色。なんだろうねこれ。強いて言うならサツマイモの色だよなコレ。ってか先日和田岬線で「最後の103系が引退!」みたいな話でマニアがワーキャーやってましたけど、播但線でまだ走っとるやんけ。まあ播但線の103系は2連ワンマン対応で、側面窓など細かいところが結構改造されているみたいなんで原形があまり留まっていないというのが不人気の理由らしいのだが。おじちゃんそこまで気にしないので。

姫路駅の片隅に佇む播但線の寺前行き。播但線は、その名の通り播州・姫路と但馬の和田山を結ぶ陰陽連絡ルートの一つ。姫路経済圏の寺前までは電化されていますが、そっから先はろくすっぽ本数のない非電化ローカル線に変わります。陰陽連絡ルートってのは、山陽側と山陰側が分水嶺を境にガタっと流動量が変わることが多いのですが、この線もそんな感じですかね。昔っから「特急はまかぜ」が大阪から姫路を通って播但線経由で浜坂とか倉吉に向かっていますけど、かつてはキハ181系が最後まで現役で頑張ってたから晩年は結構人気ありましたよね。冬になると香住や浜坂の漁港に揚がるカニを目当てに運転される「カニカニはまかぜ」なんてのも名物列車ではありました。今でもキハ189系が毎日3往復の定期で播但線を通過して山陰方面に向かってますけど、播州地域から兵庫北部~鳥取方面の需要ってどのくらいあるのだろうか。

播但線の103系が、休日の部活に向かう大勢の高校生を乗せて、高架の姫路駅を出発。左にカーブして山陽本線と離れた後も、暫く姫路市街を高架で抜けて行く。京口を出て、左手車窓に目を凝らしていると・・・あった!姫路競馬場の大屋根。向こう正面に広峰山を望む姫路競馬場は、兵庫県競馬組合が主催する公営競馬の中でも園田に対して非常に年間開催数が少なく、日陰の存在にありました。北関東における宇都宮競馬と足利競馬の関係みたいな感じで、それこそ暇を見つけちゃ「旅打ち」に出ていた若かりし頃の自分でも、行くのが相当に難儀な競馬場ではありました。売り上げ減少や設備改修の負担が重く、2012年から長期間開催を休止していて、「もうこのままなくなるんだろうな」なんて思っていたのですが、2020年に8年ぶりに奇跡の開催復活。園田のナイター開始などで収益面の改善が図られたのが要因らしいのですが、よくもまあ廃止にならなかったなとびっくりしたものです。基本的に兵庫県競馬組合は、園田で金曜ナイターをやれる時期は園田開催にするみたいなんで、今年の姫路開催は1月から3月までの30日間のみ。来年以降もナイターをやれない(やらない)厳寒期の日中開催中心になるのでしょうか。

これは自分が初めて姫路競馬場に行った時の写真。本棚のアルバムの中に入っていた。日付を見ると1998年2月25日とある。もう時効だが大学の春休みの話(笑)。今にも雪が降りそうな寒い寒い冬の日であったことを覚えている。まだこの時は当然ながら園田・姫路はアラブの競馬場で、走ってる馬もアングロアラブだけ。ちょうどこの日は同じアラブの競馬場である広島県の福山競馬場との交流重賞「福姫交流」というレースが行われていた。その後全日本アラブ優駿を勝つ園田のタッカースカレーなんかも出ていましたね。タッカースカレーは曾和尚栄厩舎&小牧太という当時の園田のゴールデンコンビ。小牧太も、中央に移籍してからは後輩の岩田の方が圧倒的に活躍したけれども、園田時代の小牧太の剛腕ぶりというのは凄味があって、いかにも公営らしい腕っぷしで馬を御せる乗り役だったなあと思う。対して岩田の場合はたいして追わなくても園田の小回り道中でスーッと馬が動くような不思議な乗り役で、思えばああいう当たりの柔らかいところが中央(芝)向きだったのかなと。この写真を見ても、尾林、岩田、平松、三野なんかの勝負服が見えて懐かしいったらありゃあしない。

閑話休題。そんな播但線を、姫路から二つ目の野里駅で降りる。確かこの駅に降りるのは二回目、それこそ1998年に姫路競馬場を訪れた時以来だと思う。その頃はまだ播但線は電化されてなくて、キハ47かなんかに乗ったんであろう(あんま覚えてないけど)。播但線は、姫路市のベッドタウンとして開発されて行く沿線の人口増に車両の増備が追っつかず、平成初期までは朝のラッシュ時を50系客車の超大編成で通勤客を捌くような状況だったと聞きます。駅周辺はマンションが立ち並ぶ野里駅前、そらその当時はそんくらいの通勤需要があったんやろな、という駅前の風景です。

ここからはバスにお乗り換え。兵庫県西部地域の公共交通の王者こと神姫バス。アスティアかさい経由北条営業所行き。このバス、姫路駅前発なんで別に姫路駅前から普通に乗ってもよかったんだけど、何で野里の駅前?ってのは播但線も乗りたかったという単純な理由によります。この日の目的は北条鉄道。神鉄&加古川線の接続駅である粟生と北条町(加西市)を結ぶ旧国鉄北条線の第三セクター。JRで北条町に向かっても良かったんだけど、姫路から加古川、加古川から粟生、粟生から北条町とコの字型に回るより、姫路からバスでそのまま北条町に向かうほうが早いことに気が付いたので。

野里駅前で私含めて乗車人員は3名。2名の妙齢のご婦人は、野里から少し行った場所の停留所であっさりと下車してしまい、あとはひたすら自分と運転士氏のみのマッチレースという田舎のバスにはよくある光景が繰り広げられる。田園の中を走る神姫バス、律儀に運転士氏は自動放送をカチカチと切り替え、どうせ降りやしない&乗る人もいない停留所の名前が車内に流れるだけの緩やかな時間。そんな時間を流れるに任せてウトウトしていると、バスは40分ほどで北条町の駅前に着いた。

きれいに整備された北条町の駅のバスロータリー。駅もいわゆる第三セクターの駅らしく、国鉄から転換されてから整備されたのか波板の屋根材&鉄骨組の長いホームがある。側線に留置されたNDC。新潟トランシスによって製造された全国の第三セクター向けDCですが、ここ北条鉄道では「フラワ2000」の名称がつけられています。「フラワ」って日本の鉄道会社が付ける呼称の中でも一番よく分からねえなあ・・・となる形式名称だと思うのですが、加西市にある加西フラワーセンターからのネーミングなんだとか。後ろに見える大きな建物がアスティアかさい。旧国鉄の北条町駅跡地に建設された複合公共施設で、コープこうべ(生協)を中心にした専門店と、図書館やホールなどの公共部分で成り立っています。地区の核になる商業と交通網を結節させたコンパクトな街づくりの典型例のような駅前です。

北条町駅の周辺一帯の区画整理の結果、少し粟生寄りに移されて現在の位置に落ち着いた駅舎。とんがり屋根の二階建てで、一階が北条鉄道本社・二階が英会話教室。駅の隣には駐車場付きのセブンイレブンとはま寿司があって、食料調達にも困らない配置になっています。北条鉄道は、国鉄の第一次赤字交通線、いわゆる「特定83線」に選定された国鉄北条線を昭和60年に第三セクターへ転換したもので、国鉄の解体と民営化に際して全国に広がった三セク鉄道の一期生にあたる路線です。特定83線というのは、慢性的に赤字が続いた国鉄の経営体質の改善のため、真っ先に「廃止やむなし」とされた路線。三セク化された中でも、お隣にあった三木鉄道(国鉄三木線)なんかは収益が改善せずに廃線となっている訳ですから、今日まで鉄路を残し続けていることも、地元加西市を中心にした行政・利用者による弛まぬ支援が続いていることの証拠でしょう。

「応援は年一回の乗車から」という標語が重い北条町駅から、北条鉄道の旅が始まります。

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神戸・平家の宵祭り。

2023年08月14日 17時00分00秒 | 神戸電鉄

(炭酸泉に癒されて@神戸・湊山温泉)

猛暑の中、一日神戸電鉄を撮り歩き夜になった。夜になったらなったで、お腹も空いているのだけど、とにかく暑い中で歩き回った汗と汚れを洗い流したくてねえ。三木上の丸から乗った電車を長田で降り、そっからは神戸市営バスに乗り換えて、六甲山の麓にある「湊山温泉」へ。見た目は関西の銭湯らしく電飾ハデハデネオンギラギラの大衆銭湯ながら、温泉自体は平清盛の御前湯として開湯800年以上の歴史を持つ名湯で、この温泉も創業1891年とおよそ130年以上の伝統を持つ老舗銭湯である。源泉温度27℃の含鉄ナトリウム・カルシウム-炭酸水素塩・塩化物泉が加温及びかけ流しで利用されていて、この真夏の時期に源泉そのままの樽風呂や源泉浴槽の絶妙な冷たさは最高に心地いい。浴場では加温浴槽などはそっちのけでひたすら源泉水風呂と樽風呂に浸かりながらか体を冷やし、少し金気とイオウ気のある生源泉の炭酸弾けるシュワシュワ感を楽しんで、仕上げは湯上りの生ビールをグビグビ。最高の時間を楽しんだのでありました。

すっきり体を冷やして温泉を出ると、どこぞからお囃子の音と太鼓の音が聞こえてきて、何だ?と音のするほうに足を向けると、近くの神社でお祭りなんかをやっている。平野祇園神社の祇園祭。「平野」の名の通り、平家の支配拠点であったこの地域。湊山温泉同様に平家に由緒のある神社の夏祭り、コロナ禍で各地の神社仏閣の催事も相応に自粛傾向にありましたが、久し振りの祭りの復活と見え、境内には多くの人が訪れていました。夜店の屋台の明かり、参道を照らす提灯。確かに長いこと目にしていなかった気がするまごうかたなき夏の夜の風景。思わずその雰囲気に惹かれるように雑踏の中をかき分け、参道の階段を登って祇園神社にお参り。祈るは旅の無事と世界平和。ラブアンドピースフォーエバー。

湯上りの体、ついついもうちょっと水分が欲しくなって、新開地のホルモン屋で一人焼肉&ビール。今日はこれから姫路まで移動して宿泊しなくてはならないので、ホルモンをのんびり突っついてる時間もあんまりなかったんだけど、まあ一人だからね。シロ、テッチャン、レバ、センマイ、ハツと一通り。ビールとレモンサワーとハイボールで小一時間の速攻勝負。ほろ酔いの体で新開地の駅の階段を降り、山陽電車の直通特急で姫路に向かったのでありました。

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播州の 城下に降りや 蝉時雨。

2023年08月12日 08時00分00秒 | 神戸電鉄

(カーブの駅で小休止@三木駅)

美嚢川のほとり、福有橋という橋のたもとにある三木駅。粟生方面に向かって大きくホームは右カーブしている。傾くのが遅い日差しの夕方、最新車両の6500系と1100系の交換シーン。神鉄の三木駅、以前はいかにも郊外電車の駅らしい雰囲気のモルタル造りの駅舎があったのだけど、何年か前に駅の隣の古民家から出た火事が延焼して焼けてしまいましてね。その後どうなったのか気になっていたのですが、それなりに立派な駅舎が再建されていました。まあね、新築だから、今風のどこでもあるような駅に見えてしまったんだけども、失ったものの思い出は美化されてしまっているのかなあ・・・

新しい駅舎がなんかおさまりが悪く見えてしまったのも、そもそも北播の城下町・三木の街は、街並みが古いのだ。三木の駅から美嚢川沿いに歩くと、夕方の時間帯だったこともあって、長くなっていく斜光が余計にそのレトロさを引き立たせているように見える。路地のタバコ屋の収まる民家の立派な甍、古びたコカ・コーラの看板が掲げられたトタン板の商店。暑さの収まらぬ路地に水を打っていた床屋の店主の横を、神戸電鉄の電車が走り抜けていく。

流れる汗を拭きながら、三木の駅から福有橋を渡り、ナメラ商店街を通って上の丸駅へ歩く。渋焦げの板塀続く商店街の路地から、神鉄の高架線を見上げてパチリ。さっき鈴蘭台方面に上って行ったリバイバルカラーが戻って来た。商店街の一番北側にあるお店は毛糸を売るお店。仏壇仏具に純毛毛糸とか、販売しているものにあまり一貫性はないのだけど、なんだか年配の人が扱うもの・・・という意味では共通項があるのだろうか。

そのまま三木上の丸の駅から電車に乗ってもよかったのだけど、なんとなく夕焼け空を狙いに美嚢川のほとりでもう少し粘ってみる。素敵な写真が撮れるかどうかは、「もう帰ろっかな」からのひと粘りがあるかないかにかかってくるような気がする旅の空。夕方6時半を過ぎ、太陽は西の空にようやく沈みかけて、空に浮かぶ雲が下から焙られて行きます。神鉄の美嚢川橋梁は、上の丸側から下り勾配&左カーブで三木駅方面になだれ込むようなトリッキーな形をしているので、水平を掴むのがなかなか難しいですね。

最後、三木の街を再び三木城址の高台から。階段を上るだけのお手軽プチ俯瞰。夕焼け空というほどのかそけき感じではないけれど、まだまだ蝉時雨がジイジイとやかましい油照りの夕方の風景というのも、それはそれで夏らしいだろうか。汗を拭き拭きヤブ蚊を追い払いながら、レンズを広角に付け替えて、大きく空を渡る夏雲を広く取り込む。神戸の街を目指す電車のサイドに、夏の残照がキラリと輝きました。

 

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