青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

藤原岳を仰ぎ見て

2020年09月05日 17時00分00秒 | 三岐鉄道・北勢線

(小野田時代の残滓@東禅寺界隈)

藤原岳の石灰石採掘は、昭和初期に小野田セメントによって始められたものですが、平成後期の日本のセメント業界の合従連衡によって伝統ある小野田の名前は消滅してしまいました。それでも、東藤原の駅を囲む東禅寺の集落には、かつての小野田王国だった時代の残滓が見受けられました。「小野田のポルトランドセメント」を標榜する看板ですが、商標の龍の絵柄の緻密な事と言ったら。

ホキの入れ替えを終え、パンタを下げて一休みの老優・ED453。側線に留置された炭カル/フライアッシュ用のホキ1000については、この日は動くことはありませんでした。奥に聳えるのは藤原工場のセメントキルンの煙突。セメントは、石灰石の粉末に粘土、ケイ素、酸化鉄原料などを混ぜ込んで、キルンと言う窯で焼成して生成されるのですが、セメントを焼く燃料は石炭やコークスが使われている事が多いそうです。太平洋セメントの熊谷工場では、燃料の石炭を川崎の三井埠頭から鉄道で運び込んでましたけど、ついぞ3月に石炭輸送も廃止になってしまいました。CO2規制で、大手企業は石炭燃料を大っぴらに使いにくくなっているという背景もあるのでしょうが、貨物輸送の多様性の面からは残念なことでした。

鳥居の向こうに藤原岳を仰ぐ、伊勢治田は賀毛神社の参道。三岐の貨物を撮影しようとすると、どうしても田園地帯を伸びやかに行く貨物列車の姿ばかりを追い掛けてしまいがち。そうなると、後で見返してみた時に、どこで撮影しても同じような印象しか残らなくなるんですよねえ。そんな中で、線路際に鳥居の立つこの参道は、アイテムが少ない三岐鉄道沿線では貴重な存在。セメントの粉にまみれ、白く煤けたような武骨なタキ16車を引き連れて山を降りて行くED重連。夏空と赤い鳥居と藤原岳を入れ込んで。

三岐線内での貨物運行は、秩父鉄道をイメージすると結構スジが立っているというか、保々か伊勢治田で僅かに停車をする以外は一気に富田~東藤原間を運行するものがほとんど。秩父は途中の駅で副本線に入って交換を待ったり退避したりと時間が掛かりますが、三岐ではなかなか追っ掛けは厳しいですね。普通列車との交換も、交換駅には基本的に安全側線が配置されているので、有効長の長い駅構内の配線を使って双方の列車が同時進入する事が可能。貨物列車は安全側線手前にある出発信号機の手前まで徐行で接近し、進行信号の現示を確認しながら停止せずに通過して行きます。

位置を移動して、伊勢治田で上り貨物と交換して来た下りのセメント返空便を。アウトカーブからギュッと詰めて撮れる構図は貴重です。この構図だと、さっきの賀毛神社の参道の鳥居の中からタキを牽き出しているように見えなくもないですね(笑)。


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