青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

踏切にも由緒あり

2013年04月13日 23時00分00秒 | 小田急電鉄

(♪ある日 森の中@渋沢6号踏切)

今朝は天気もいいと聞いていたので朝5時起き。とりあえずどっか行こうと着替えてお茶を飲んでいたら嫌でも阪神大震災を思い出すような淡路島の地震情報。気がかりなニュースにNHKをずっと見てたらすっかり出そびれてしまった。気を取り直して朝食を作り、子供を迎えに行って本日の希望伺い。どうせ「けいきゅう!」だろ?と思っていたら意外にも「おだきゅう!」と言う回答。そーいや最近赤い電車にかまけていて地元の小田急をないがしろにしておりましたなあ…と言う事で、本日は四十八瀬川の渓谷沿いに新緑でも眺めに行ってみましょうか。

辿り着いた渋沢6号踏切の場所はココ。ってか地図にも載ってねえや(笑)。以前はこの踏切の奥にある1軒の家(秦野市千村1477番地?)のためだけにある踏切であったようなのだが、その家もとうに廃屋となって久しい。R246からは近いものの、この踏切に行くために渡らなければならない四十八瀬川には既に橋がなく、今日は子供を担いで長靴履いて川を渡渉して来ました(笑)。既に役目を果たした感もあるこの渋沢6号踏切なんですが、それでも毎日カンカンと電車が通るたんびに警報音を鳴らしている。おそらく小田急線の数ある踏切の中で、一番利用者の少ない踏切なのではないだろうか…

 

こんなところに小さな子供を連れて来るのも何たるモノ好きと我ながら呆れるばかりなのであるが、それだけに四十八瀬の新緑は鮮やか。青空の下、子供とテキトーに遊びながら来る電車来る電車に向かってシャッターを切る。何だか気持ちまで清々しくなって来るような麗らかな春の日だ。しかしこんな場所で親子連れがウロウロしてるのも運転士サイドから見ればビックリするのだろうな(笑)。新宿方に向かって撮ると微妙にインカーブ気味、緑の中を走り抜けてく旧塗装LSE。

 

小田原方に構図を向けると萌える緑をバックに四十八瀬川の橋梁を駆けて行く姿が。EXEの広いサイドのウインドウにも新緑が流れます。桜の頃を過ぎて、芽吹いた若葉のライムグリーンの柔らかい色も実に美しいですなあ。こんな時期の山の風景を「山が笑う」なんて言うんだけど、言われてみれば若葉の息吹に山が柔らかく微笑んでいるように思えなくもない。HiSE退役に伴って増備されたMSEのメトロはこね、デビュー5周年ステッカーを貼っての登場。

  

正味1時間半くらいこの踏切に滞在したのだが、結局我々親子連れ以外に誰一人として現れる人はおらず。思い思いにアングル組んで、芽吹きの季節を満喫。踏切の脇の廃屋の家の前に、主を亡くしたヤマザクラ。「ごまんけーきたよー!」と子供に言われて気付いたVSEに声援を送って…

  

うーん。こんないい天気で写真撮ったのも久々だな。そして改めて思うのは、四十八瀬界隈は絵になるねえって事ですかね。ロマンスカーカレンダーに選出されるのも、毎年この区間で撮った写真が多いからなあ。そしてこんな里山の風景にLSE旧塗装は馴染む。


渋沢6号踏切の奥に鎮座する不動明王像と馬頭観音。「大山道」と書かれた台座からも分かるように、実はこの道、矢倉沢往還の一部であったらしい。矢倉沢往還ってのは赤坂見附から出て二子で多摩川を渡り、相模国、足柄峠を経て駿河国沼津宿を結ぶ街道。大山参詣の道としては大山街道と言う名前の方が有名か。現在はそれを国道246号線と言っておりますが、渋沢6号踏切とは、そんな矢倉沢往還時代の古道に位置する踏切と言う事になる。そうなると、廃屋の住民のためではなくて、小田急線が通る遥か昔から旅人の行き交う由緒正しき道の踏切であったのだね。

渋沢6号踏切、忘れられた踏切にも、由緒ありってか。
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