青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

沢中山望洋

2018年10月01日 17時00分00秒 | 富山地方鉄道

(空は俄かに…?@沢中山~釜ヶ淵間)

天気的にはさっぱりワヤだった立山方面から戻り、立山アルペン村のセブンイレブンで缶コーヒーなんぞ飲みながら小休止。お次は寺田方面に…なんて思いつつクルマを走らせていたら、富山平野は雲の切れ間から青空が。立山方面の惨状から諦めてたんだけど、これはひょっとしてお天気回復モードか。思ってもみなかった展開に、ウキウキで沢中山駅近くの跨線橋へ向かうのであります。



左に収穫間近の黄金色の田んぼ、そして右側はこれまた葉を黄色く染めて収穫間近の枝豆畑。富山平野らしい散居村の風景を軽く俯瞰するこの沢中山の跨線橋からは、遠く遥かに富山湾の海が見える。朝の土砂降りからうって変わって日差しはみるみる明るく、露出も上がればテンションも上がるってもんよ。光の加減を見ながら待っていた特急立山号…はまた京阪カボチャ。どうも朝から立山線系統はカボチャばかり。胸焼けするので14760系はよ。



流石に即座にドッピーカンの晴天という訳にもいかず、空はまだまだ雲量多め。特急立山の続行でやって来たのは…おや、14760系ではなく1編成しか残っていないレアな古豪14720系。富山地鉄の鉄道線車両では最古参の昭和37年製造。長電の2000系とか福鉄の200型とか、あの辺りの車両と同世代。さっきのカボチャは日が差したけど、今度はマダラ雲にやられてしまいました。


先程立山で見送ったダブルデッカーエキスプレスが、普通列車運用で常願寺川の扇状地に続く坂道を緩やかに降りて来ます。このDDEに使われている10033編成は平成24年に京阪時代の塗装で復活していますが、その際はまだ2連だったし、そもそもスカートも付けてなかったりでだいぶ印象は違ってたんだけどね。


これが2連時代の10033編成(平成24年頃)。この翌年、譲渡元である京阪から2階建て車両(サハ8831)の追加譲渡を受け、DDEとして再デビューすることになります。やはりスカートを履かせたほうが100倍カッコイイと思うのだが。雪が降る地方だからスカートが付けにくいというのは分かるんですけどね。


京男、越中富山之晴姿。大見得を切りながら富山平野を走り行く京阪の3000系。前後のモハは昭和46年製造と車齢はそこそこですが、ダブルデッカーのサハだけは1995年に更新されているので、地鉄に大量に導入された京阪3000の残党の中で状態の良さそうなのを上手く使いながら組み替えて行けば結構長いこと走れるのではないだろうか(笑)。その都度カボチャを京阪色に塗り替えなきゃいけないのが面倒そうですけどね。この車両にゆかりの深い関西の鉄道ファンにとって、昭和の関西私鉄を代表する名車が第2の人生を謳歌する姿はたまらないものがあるのではないでしょうか。
コメント
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