青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

五百石立志伝

2018年10月02日 17時00分00秒 | 富山地方鉄道

(立山あーとれいん@榎町駅)

榎町駅に進入する「立山あーとれいん」のHMを付けた14760系の第4編成。車内では沿線の住民が描いた絵や写真が飾られています。私の愛してやまない14760系は2両ユニットで都合7編成が活躍していて、気になるカラーリングは1~3編成が原色の雷鳥(ダイコン)カラー、4~5編成がカボチャ、6~7編成が再び雷鳥(大根)カラーに塗装されてます。そう考えると14760系の原色って結構貴重なんだね。


田添駅へ入線したアルプスエキスプレスこと元西武5000系レッドアロー。こちらでは16010系を名乗ります。2編成があって、土日はサハを入れて特急運用に就いたりしますが、サハ抜きの2連で普通運用に回っていたりと使われ方はフレキシブル。この運用は朝に宇奈月温泉からアルペン4号で立山へ向かった後、電鉄富山まで戻る際の間合いの普通運用。無理して特急料金を払わなくとも、観光列車の使用車両に乗れるのが地鉄の良いところ。


朝に岩峅寺で見かけた14760系の第6編成が、電鉄富山から戻って来ました。どうやら引き続きパン側の幕は故障中。14760系は落成時はスカートを付けていましたが、今は取り外されていて台車から突き出たスノープロウが足回りを引き締めています。ゴテゴテしてメカニカルな引き通し管、連結器の両サイドを挟む2つのタイフォン。赤の細いラインは眉毛のようにキリリとして、広いブラックフェイスの二枚窓の上には菱形の大きなパンタグラフ。それを左右だけでなく上下にも少しだけ角度を付けたフロントマスクの造形がまとめていて、総合的なデザインの完成度が実に高いんだよなあ(溺愛)。


地鉄電車の撮影の際に重宝する、全線時刻表を貰いに五百石の駅へ。朝に岩峅寺へ寄って貰おうと思ってたのが貰いそびれてしまったので。五百石の駅は立山町の中心部にあり、町の公共施設である「元気交流ステーション・みらいぶ」の中に組み込まれていて、外からの見た目で言えば多分地鉄の駅では富山駅に続いて二番目にゴージャス(笑)。「みらいぶ」の中には立山町立図書館が併設されていて、ちょっと覗いてみたんだけど郷土の資料を集めたコーナーには富山地鉄を始め立山製紙や不二越など地元企業の社史のアーカイブスとなっていて非常に興味深いです。


手に取った「富山地方鉄道50年の歩み」。富山地方鉄道の創始者である佐伯宗義はここ立山町出身の郷土の名士。代々が雄山神社の神官を務める芦峅寺の家に生まれ、冬は深い雪に閉ざされる寒村から上京した立志の人。東京で知己を得て富山に戻り、日本興業銀行の資金をバックに富山電気鐡道を設立。「高志の大観」という理念を掲げて、小資本がバラバラと割拠していた富山県内の交通統合を図りました。宗義は、富山県内で事業を拡大する中で、高橋是清の愛弟子として日銀総裁を務め興銀に天下りして来た結城豊太郎(商工中金初代理事長)など金融界の大物とも繋がり、鉄道会社のトップを務めながら衆議院議員に立候補。電鉄系の地盤をバックに、最終的には国会議員を8期も務めました。観光事業の創設にも熱心で、「立山黒部『貫光』株式会社」を設立し、立山黒部アルペンルートの整備にも尽力しました。「観光」ではなくて「貫光」としたのは、「北アルプスの大自然を『貫』き、地方振興の『光』たらしめる」という佐伯の思いが込められているからなのだそうで。


そう言えば、取り壊された電鉄魚津のステーションデパートにはもうとっくになくなってしまった日本興業銀行の看板が残っていた事を思い出す。今思えば地鉄のメインバンクだったんだね。「ワリコー」とか、いわゆる割引金融債という商品自体、バブル崩壊の嵐に飲まれる前の、経済の右肩上がりを誰も疑ってなかった頃の古風な財テク商品という感じですなあ。興銀、長銀、日債銀の三長銀(長期信用銀行)が売り出していたワリコー、ワリチョー、ワリシン。農林中金が売り出していたワリノー、リツノーとかもあったねえ…「にっ・さい・ぎん・の ワリシン!」ってCM、昭和生まれの人間だったら記憶にめっちゃ残ってませんか?(笑)。草笛光子若え!

という訳で、鉄道の話をしつつ昔の金融商品について語ってしまうブログがこちらです(笑)。
コメント
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