(タヌキの焼き物がお出迎え…@東武伊勢崎線茂林寺前駅)
この週末は、東武鉄道で長年に亘り活躍していた1800系(1819編成)がラストランを迎えるという事で、この話が出てからぜひどっかで撮りたい撮りたいと思っていました。但しこのラストラン列車、東武動物公園から伊勢崎線沿線をミステリーツアー的に回って最終的には浅草に辿り着くという行路のはっきりしない列車だったんで、どこで抑えていいものやらが全く見当がつかず。加えて東武沿線の撮影地など門外漢ですから、「とりあえず東武動物公園以北に行って考える」事にしたのですが…家から子供と2時間半かけてやって来て、途中下車したのは茂林寺前駅。館林の一つ手前の駅です。
多分もう二度と使わない可能性が高い駅(笑)を降りて、麦畑の中を歩く我々親子連れ。ロケハンは地図で見て決めたのだけど、伊勢崎線は羽生から利根川を渡って館林まで、ここだけ完全に南北に線路が走ってて光線が良さそうと言うのがまず一番。地図で見ると、駅間には見通しの利きそうな田園地帯があってアングル組みやすそうというのが二番。そして、スマホで調べたら駅前にセブンイレブンがあって食料の調達がしやすそうというのが三番目の理由であった。辿り着いたのは駅から歩いて10分程度の、小さな川の土手っぷち。雰囲気としてはワシクリっぽい。
土手から線路を見ると、屋敷森を割ってすっきりと田園地帯の築堤上に線路が伸びているいかにも関東平野らしい素直なアングル。踏切ぎわにかぶりついている先客若干名…といったところですが、そこまでギュウギュウに長タマで圧縮するつもりもないので若干開き気味の位置に。この区間、日中は特急りょうもうと館林ローカル(久喜~館林間の普通電車)くらいしか来ないので、車両のバリエーションは多いとは言えません。ただ、東武撮るのも久しぶりなのでね。来るものは抑えて行くというスタンス。
遠くに見える山は赤城だろうか。欲を言えば、築堤下の田園に水が入っていればなお良かったな。東武動物公園から羽生の辺りは田んぼに水が入って田植えをしてたので、こっちも期待してたんだけど。利根川渡って群馬に入ったらどこの田んぼにも全く水が張ってない。周囲には麦畑が目立つので、二毛作とかやってるのだろうか?そう言えば館林ってうどんの有名な町でしたよね。加須とか舘林とか、うどんの店が多くて有名ですものね。
現行の特急りょうもう。浅草から舘林・足利市・太田を通って桐生線の赤城までを結んでいます。東毛地区の中小都市をターゲットにしたビジネスユースの色濃い列車です。太田市と言えば中島飛行機からのスバルの大工場とかあったりしますし、カルソニックカンセイの工場だとか自動車系強いよね。ブラジルとか海外から来た工員がいっぱい住み着いてて、独自の文化を作っているのも東毛地区の特徴ですかねえ。ちなみに私は桐生競艇のナイターの帰りに何回か使いましたw
我々が着いたころには3~4人だった撮影地も、1800系のラストラン列車の通過時間が近づくにつれ人が増え、人が増え、人が増えて最終的には30人程度がここで構えることになりました。たぶんかなりのガチ勢が来てたんでしょうけど、アングルの組み方もお互い見事というかね。「これあなたの三脚?じゃ構えていただけますか?あ。そんな感じですか?じゃ私後ろからハイアンで抜いちゃいますので」みたいなやり取りを、人が来るたびにやるのなんてアタクシにはどうやら無理っぽい(笑)。しかし面からカブリ付きたい連中は平気で踏切の柵の中に三脚立てるのね…。正直アウトな位置から撮ってる人間もいて、通過電車からビービー警笛鳴らされてもお構いなしというのは厚顔無恥と言うか何というか。最初は子供と並んで手持ちで撮ってたんだけど、あまりにもみんな我々に接近して三脚を立てるもんだからこっちがアングルから離れてしまったよ。子供がチョロチョロして、アングル固めてる三脚にでも当たったら絶対トラブるもん…
熱気とちょっとした殺伐感を孕んで14時半過ぎ、屋敷森の向こうからスカーレットの車体が築堤に姿を現した。正直なところ東武沿線に住んでた事もなく、そこまでゆかりのある列車じゃないですけど、まあ我々世代の関東私鉄の特急列車と言えば小田急のロマンスカーに始まって西武のレッドアロー、京成はマルーンとベージュのAE型スカイライナー、そして東武と言えばDRC(デラックスロマンスカー)のけごん・きぬにスカーレットの急行りょうもうというラインナップでありましてね。小学生の頃、ヤマケイハンドブックスで飽きるほど眺めた鉄道車両のうちの一つである事は間違いありません。1800系の中間車のダブルパンタをしっかり抜きたかったので、個人的にはこのアングルで大正解。
居並ぶ撮り鉄から少し離れて立っていた我々親子に、何事があったのかとビックリして話しかけてきた散歩中のおばあちゃん。かくかくしかじか理由を話すと「ああ、あの赤い電車がねえ」と言って、ひとしきり昔話をしてくれた。赤い電車に乗って浅草へ出掛け、松屋デパートでショッピングを楽しみ、雷門をブラブラして、レストランで食事をするのが家族の一年に何回かだけの贅沢な時間だったこと。「東京って言っても、新宿や銀座なんか行かなかったわ」と語るおばあちゃん。群馬の片田舎から眩しく見えた東京とは、浅草の事だったんだろうね。
東毛地区の人々の思いを乗せて、半世紀に亘って走り続けたホームタウントレイン1800系。
あの頃の「急行りょうもう」が、惜別のヘッドマークも誇らしく、青い空の下を駆け抜けて行きました。