(夜の底に佇む@森宮野原駅)
175Dを追い掛けて、森宮野原の駅へ。既に到着した飯山色は、既に車内の灯りを落とし滞泊留置の準備をしていました。そんな風景をいつもの軽俯瞰から。いつもの場所からいつものように撮るだけで、何とも能がないなあ…と自嘲してみるのだけど、さりとて他に思い付かず。そして、ここからの眺めがとてもローカル線らしくて好きだ。短編成の普通列車には持て余すほどの広い構内、ポイントに光る転轍機のカンテラ。漆黒の闇の中で、駅の灯りがとても頼もしく、暖かく見えます。
175Dが到着してから約10分。暗闇の向こうに強い光が見えて、二条のレールを照らします。今度は十日町発の最終列車である172Dがやって来ました。こちらもキハ110系の単行。ちなみに東京を19時半の新幹線に乗れば、越後湯沢~十日町経由でこの最終列車に乗り継げます。森宮到着22:20。冬は豪雪に沈む北信の郷が東京から3時間弱と考えると、思った以上に近いんだなあとも思う。
豊野と川口のちょうど中間点として、森宮野原の駅は飯山線を東西に分けるサミット。毎日こうやって最終列車がやって来ては、翌朝に備えて2名の乗務員が一夜を明かします(冬場除く)。最盛期に比べるべくもない利用者の数ではあるだろうけれども、鉄路はこうやって守られているのだなと実感する、そんな駅です。
森宮野原という駅名は、長野県栄村の「森」集落と、川向こうの新潟県津南町「宮野原」集落の合成名。信濃と越後の国境でもあり、ここで千曲川は信濃川と名を変えます。信濃から越後、越後から信濃と川筋に沿っての往来が古くから盛んな場所で、江戸時代は越後方面からの善光寺参りの主要ルートとして賑わったそうです。鉄道が開通してからは、栄村や秋山郷からの物資の集散地であり、それこそ蒸気機関車の時代は、C56が貨車を引いてやって来ては農作物を積み込み、構内で貨車の入替や給炭を行っていたそうな。
鉄道の栄華の時代はとうに過ぎたとは言え、今でも国境の村は交通の要衝。
北信妻有の守りを担うキハ2両、今宵はどんな夢を見る。