青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

太平洋ひとりぼっち

2017年07月18日 23時57分53秒 | JR(貨物)

(昭和のその先@扇町駅駅名票)

土休日ダイヤだと、日中は2時間間隔になる扇町駅。鶴見線は近隣の工場に向けての通勤輸送需要が中心のダイヤが組まれるのが特徴なので、そりゃ土日が本数少ないのは分からなくもない。しかしながら高度経済成長の時代を遠く離れ、鶴見線を支えていた沿線の工場自体もかなりの部分で合理化が進んでいるようです。そもそも京浜工業地帯の労働人口が減っているのか、結構最近になって減便が激しいのも事実。大川支線なんか朝夕だけになっちゃったしね。


扇町駅ホームから。石炭ホキが到着する少し前に10:30の鶴見行き電車が出て行ったんだけど、次は12:25発、その次が14:25発。駅の周辺は昭和電工川崎工場の施設に囲まれていて、お隣の「昭和」駅の駅名の由来ともなっています。昭和電工と言えば運河を隔てたお隣の大川駅へも液化窒素輸送の貨物列車があって、入れ換えで機関車が入って行ける配線になってないもんだから係員が手押しで入替をするという珍光景が近年まで残っていましたね。


稲妻マークの標識(架線終端標識)の向こうに広がる三井埠頭のヤード。既に積載のホキがDE10の訪問を待っています。一日一本、日曜運休の列車のためだけに荷役線を電化する事は今後もおそらくないでしょう。

 

まずは推進で返空のホキを押し込んで行くDE10。架線柱にびっしり絡みついたツタと、刈られないでいる線路脇の雑草の中に黒い貨車が消えて行きます。埠頭のヤードで返空の貨車を切り離し、いったん扇町のヤード側へ戻って転線。操車係が踏切のスイッチを切り、待ちぼうけを食らっていたトラックに道を開けました。

 

再び踏切のスイッチを入れて道路を遮断し、安全確認も慎重に積載のホキを連結。さすがに積車20両の引き出しは大ごとらしく、目一杯紫煙を噴き上げてゆっくりと扇町のヤードに入って来ました。35トン積みの貨車が20両で計750トンの石炭を運んでいますが、JR線内で積載物が「石炭」の列車はこの扇町~三ヶ尻の5074レのみ。


本務機としてのDD51に対し、入換機的な用途で作られたDE10。非対称のセミセンターキャブですが、圧倒的に2エンド(短い側)からの眺めに人気があります。何となく男がクルマを運転する際に、助手席に手を掛けながらバックで車庫入れする姿に萌えているのと相似なのではないかと勝手に思っているのですけど(笑)。


2つの台車に大きなバケットをそのまま載せたような作りのホキ10000。秩父セメント時代に工場への石炭輸送を目的に作成された生粋の秩父っ子ですが、中部国際空港の土砂輸送のために三岐鉄道に貸し出されていた時期もあったとか。秩父工場は特殊セメント以外の製造を止めてしまったので、現在は専ら熊谷工場への輸送のみに利用されていますが、常備駅は未だに武州原谷駅のままなんですね。


この石炭列車、返空はEF65が扇町までホキを持ってきますが、積車はDE10が浜川崎までホキを牽引し、そこで新鶴見から来たさっきとは別のロクゴにバトンタッチする変則的な運用です。DD51に比べると地味な役回りは日の目をあまり見ないDE10の働きですが、後継のハイブリッド機HD300の増備に伴いその活躍の場は徐々に少なくなって行くのでしょうね。

黙々と仕事をこなすDE10、今日も扇町で、太平洋ひとりぼっち。
コメント
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