青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

ワンコイン博物館

2011年09月19日 16時24分06秒 | 東京急行
今週来週と三連休が続くのだが、直前までとてつもなく忙しかったせいで何の予定もなく。幸いにして天気も良かったのでどっか行こうと言う話になったのだが、最近自分たちが楽しむ事ばっかやっているので、たまには子供が楽しめる場所に行ってみよう!と言う事になった。子供が楽しめる=キャラもんか遊園地かって感じだが、その手の子供向け遊戯施設に行って高いカネ取られてクソ混みの中でウダウダするのってどうにも肌に合わない(笑)。ディ○ニーランドとか言い出したらどうしたもんかと思ったのだが、行く場所はこちら指定で構わないという事なのでひねり出したのがこちら。


電車とバスの博物館 東急田園都市線宮崎台駅下車徒歩15秒

最初はテッパク(鉄道博物館)とかも考えたんだけどねえ。子供連れて大宮遠いっす。昔みたいに万世橋なら良かったのに。昔はデントの高津の駅の高架下にあって、開館当時は良く行ったさ。宮崎台に移ってからは初めてだけどね。わざわざ三連休にこんなマイナーな場所に来る家族連れってのもそんなにいないっしょ。テッパクって入場料いくらか知らんけど、ここは大人一人100円だぜ!(ちなみに高津時代は10円だった記憶があるが)。

  

と、タカをくくって行ったのだが、館内は家族連れを中心に意外なほどに混んでいた…世の中の鉄道ブーム恐るべし。でもここは本当に子供のために親が付いて来た感じの家族連れが多くて、なんちゅうかテッパクだったら子供そっちのけで親の方が本気汁垂れ流してSLの転車台にかぶりついたりしてそうなんだけど(笑)、ここはそこまで煮詰まった感じの人はいなかったすね。8090系のシュミレーター、高津時代にもあった記憶があるのでそんなに変わってないんでしょうね。つーか8090系ってもう東急でもオールドタイマーなんですけど…5000系で作り直したりしないのかしら。

 

これは昭和30年代の高津駅の改札口を復元させたジオラマ。田園都市線も新玉川線も影も形もない。渋谷へはニコタマから玉電で行く時代でした。その代わりにニコタマから砧本村に行く砧線があったりして…東急で純粋に廃線になったのってこの砧線と横浜と桜木町の間だけだよね。ちなみに砧線の終点・砧本村駅は現在バスターミナルになってまして、その前に悪名高い駒大の玉川校舎があります(笑)。玉川校舎の思い出って学食が不味いって事くらいしかないですけど…その玉電に走っていたデハ200型、特長ある形の路面電車は玉電のシンボル的存在でありました。高津の開館当時から入口に飾ってありましたからね。イモムシとかペコちゃんとか言われてたらしいですが、実際は超低床構造を実現させるために当時の最新技術が投入された東急車両の意欲作であったらしい。今では館内の休憩室代わりになってまして、親子連れが弁当を広げていました。


オトーサンは懐かしものばかり写真に収めてしまうのだが、日本エアシステム時代のDC-10とかの模型もあります。今は日航に吸収されてしまいましたけど、東亜国内航空(TDA)時代から東急が大株主だったですから。、JASのレインボーセブン(B777)、全席設置のモニターがあって画期的だったっす。千歳線とか福岡線とかこれを狙って乗ってましたねえ。その隣のMD-81とか、2×2の細長いシートで特徴的な形をしてましたねえ。これに乗って正月の帯広競馬に行ったんだったけか(笑)。


HOゲージの巨大ジオラマ、新型車両に混じって昔の目蒲・池上線を思い出す緑色の3750型とか3500型。蒲田の駅なんかは乗り場に行くとこんな感じの冷房なしの緑色の電車が池上線方面と目蒲線方面からひっきりなしに入って来ては出発して行きました。昭和の時代の夏、東急全線のスタンプラリーをやった事がありましてねえ。乗換口の東急百貨店の冷房でクールダウンして、「キュート」と言うホームの喫茶店で飲んだコーラの美味さの思い出に懐かしさを覚えるオトーサンなのでありました。最近どこもやらなくなっちゃったけど、小田急・京王・東急は制覇したんだよなあスタンプラリー。なんかやたらと自分が懐かしがっちゃったけど、子供も結構模型とかシュミレータ見て楽しそうだったし、まあいっか。

安・近・短の典型的施設ですが、内容はそこそこ濃いワンコイン博物館、あります。
コメント
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