青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

思い出は川崎の砂塵の中に

2004年12月21日 23時20分48秒 | 日常
元ロッテ投手を強盗殺人容疑で逮捕 埼玉の女性殺害 (朝日新聞) - goo ニュース

栄光と挫折、光と影は表裏とは言え、なんともやりきれない。
彼の名前をこんな形で目にする事になるとは。
個人的に思い入れのある選手だっただけに、余計にやりきれない。

ファンになり、川崎に通い始めた頃に、一番光り輝いていた選手の一人である。
ちょっとニヒルなポーカーフェイス。
テークバックはグッと沈み込むようにアンダー気味に振りかぶりながら、リリースの位置はちょっとスリークォーター気味の一風変わったばね仕掛けのようなフォーム。
左打者の外へ、少し浮かんでからスパッと落ちる高速シンカーが決め球だった。

右のスリークォーター。俗に言う左打者には「見やすい」フォームでありながら、左打者も苦にしなかったのはひとえにこのシンカーのキレが素晴らしかったからに他ならないだろう。
私にシンカーと言う球を意識させたのは、潮崎でも高津でもなく、彼であった。

10勝を挙げ、ベストシーズンとなった88年には204奪三振にて奪三振王。
冴え渡ったシンカーのキレと145kmは出ていたストレート。
当時黄金時代を誇った西武ライオンズ。役者揃いの超強力打線に、僅かな望みを賭けて立ち向かえる投手と言えば、荘、村田、そして彼だったと思う。

その後は肩を痛め、全盛時の球は戻ることなく、人知れず引退。
ベストシーズンがラストシーズンであっただけに、その一瞬だけの輝きが物凄く印象に残っているのかもしれない。

ラジオから聞こえてくる文化放送の西武対ロッテ。0-0の緊迫した投げ合い。
9回の裏に力尽きた彼の熱投を今でも覚えている。
幕引きは、清原のプロ入り初、バックスクリーンに飛び込むサヨナラホームランだった。
嬉々として叫ぶアナウンサーの声。無念さと怒りと悔しさで、メガホンをラジカセに叩き付けてぶっ壊した。

全ての思い出は、川崎の砂塵の中に還しておこうと思う。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする