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青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。写真はおおめ、文章はこいめ、コメントはすくなめ。

お盆関西見聞録その9 準大手の苦悩

2015年08月26日 22時21分10秒 | 神戸電鉄

(有馬 川床 夏の夜@有馬温泉)

長々とお送りして参りました夏の遠征神戸電鉄編…最後に残ったのは有馬口から有馬温泉までの1区間。昼に乗換駅の有馬口は2回も通ったんだけど、あえて乗らず。何となく最後は有馬温泉にしたかったと言うのと、やっぱせっかく有馬温泉まで行くんだったらシメに温泉入ってさっぱりして終わりたいよね…って気持ちもあったんで。平日にもかかわらず、お盆を前に賑わう有馬温泉。温泉街の中心部を流れる有馬川の河原は貴船宜しく川床のようになっていまして、温泉客がツマミに生ビールで楽しんでいる羨ましい姿が(笑)。蒸し暑かった一日でしたが、有馬まで来ると山の風に川の風が吹いていて心地よい温泉街の夜。


粟生線の訪問を終え、改めて鈴蘭台まで戻り有馬温泉方面へ。有馬口では三田方面行きに有馬温泉行きが1分で接続するダイヤになっていて、写真を撮る暇もなく乗り換えを済ませると、電車はとっぷり暮れた闇の中を轟々と走るのみ。最後に少し長めのトンネルを抜けると、車窓には温泉街を囲む旅館の明かりが目に入り、電車はそのまま有馬温泉の駅に到着しました。

 

朝9時前から回り始めた神鉄電車の旅、ここ有馬温泉駅で全線完乗です。とりあえずお疲れさまっした。有馬温泉駅は頭端式1面2線のホーム、早朝深夜以外は15分おきと本線系統と同じ間隔で電車が走っています。何となく有馬口乗り換えが多いから末端の盲腸線っぽいですけど、そもそも神戸電鉄は神戸と有馬温泉を結ぶ目的で開業した神戸有馬電鉄を祖とする鉄道会社で、神戸電鉄の由緒ある本線ルートは湊川~有馬温泉間の有馬線なんですね。で、有馬口から三田までが後発で開業した三田線となります。


夜の有馬温泉駅前。戦時中までは、国鉄三田駅と有馬温泉を結ぶ国鉄有馬線が現在の神鉄三田線よりやや東側の有馬川沿いを通って有馬温泉と三田を結んでいたそうですが、戦況苛烈を極める中温泉街への鉄道は国策により「不要不急」とされ、その時には神鉄も既に三田~有馬口を開通させていたことから撤去対象となり、そのまま復活する事はありませんでした。ホントの話で、駄洒落じゃありません。


有馬温泉と言えば、「東の草津・西の有馬」と謡われる日本有数の温泉地であり、日本三古湯の一つ。駅前の交差点から眺める光景ひとつ取っても由緒正しい歴史を感じる温泉街の雰囲気で。ここへ鉄道を敷設しようという機運が高まったのも大いに頷けるところ。左側の山の上には「有馬兵衛の向陽閣へ~♪」のCMでおなじみの温泉旅館・向陽閣が見えてテンションが上がります(笑)。

有馬温泉 兵衛向陽閣 TVCM 1987 <伝統が醸し出す、やすらぎとくつろぎ。>

いや、あのローカルCMって結構インパクトあったからさあ。温泉CMで言うと「東のハトヤ、西の向陽閣」くらいのメジャーさはあったと思うよ。温泉入ってねーちゃんが「あ~、最高!」ってヤツよ。有名CMだから残ってるだろと探してみたら、宿のHPにCMライブラリーがあったよ!ちなみに自分がピンズドなのはこのあたりの時代のCMでんがな。さすが浪速のモーツァルト、キダタロー先生のツカミの効いたキャッチーなミュージックですなあ。


有馬温泉は有名な温泉地だけあって、宿泊するにはそこそこお高い。時間も時間だし、店じまい寸前の土産物屋を冷やかしたりしながら共同浴場「金の湯」へ。共同浴場とは言え非常にきれいな建物、普通温泉地の共同浴場ってーのは地元民の共有財産として非常に値段が安くされてたり、ヘタすりゃタダなんてところもあったりするのですが、この金の湯の設定価格は強気の650円。有馬温泉にはもう一つの共同浴場「銀の湯」がありますが、そちらはは現在改装中との事。夜になって少々涼しくなってきたとはいえ、夏にはちょっとハードな赤茶色の塩辛い熱めの湯をかけ流しで。鉄臭強め。


火照った体を冷ましながら湯の街の坂道をブラブラと下り、有馬温泉の駅前まで戻って来た。夜の街歩きを楽しんでいた湯客もそろそろ宿へ戻る時間、既に乗客の消え始めた駅の改札口に揺れる夏飾り。宿の灯がほの漏れる有馬温泉の駅、折り返しの準備の済んだ1100系の3連。

  

今日は三ノ宮に泊まる事になっているので、新開地には向かわず谷上で途中下車。北神急行を使って向かう事とします。三宮方面へ向かう谷上以遠の大半の客が同じルートを使うのではなかろうか…三ノ宮方面から地下鉄が到着すると、ぞろぞろと帰宅客が神鉄に乗り換えて行く。北神急行自体は神鉄も約3割の株主となっている阪急阪神ホールディングス内の会社で、純粋にはライバル会社ではない。おそらく神戸中心部への輸送力増強を迫られた神鉄が、ラッシュ時に粟生線&有馬線が流れ込む新開地~鈴蘭台の容量はいっぱいいっぱい、しかも同区間は厳しい山間部を通過するため改良もままならんと言う中で建設したバイパス路線なんでしょうね。


とは言え六甲山系の真下に約7,300mのトンネルを単独で掘る資金はないので、親会社の阪急とかその他の会社に出資を募って設立したと。惜しむらくは北神急行は神戸市営地下鉄と規格を合わせてしまったので狭軌の神鉄とは軌間が合わない事か…いずれにしろ新神戸までは神戸市営地下鉄が建設されることが決まっていたので、三田方面への乗り入れか、三ノ宮への直通か、悩んだ上で三ノ宮直通を選んだのでしょう。たぶん。まあそりゃそうするよな。ここで神戸電鉄を見送り、北神急行のワープゾーンに入るのでありました。


谷上から走り始めた北神急行は、六甲山系の下を突っ走り、あっけなく新神戸に着いてしまった。なんせ谷上から1駅だもんな新神戸。約14時間ぶりの新神戸だよ。宿は三ノ宮の方が近いんだけど、神戸地下鉄の初乗りが勿体ないから新神戸から歩きます。この日の夜はカプセルホテルです。どこまでも倹約(笑)。まあ、寝れればいいって事で。

神戸電鉄は大手私鉄と言うほどの規模でもなく、地方私鉄と言うには近代化されていて、その微妙な立ち位置から昔は「準大手私鉄」なんて呼ばれ方をしていました。高度成長期に急速に進んだ都市開発によって大手私鉄への道を進むかと思いきや、輸送力増強への投資は、いつしか人口減少社会となって急速に落ち込んで行く乗客の前に過剰資産となりつつあります。まさに日本のこれからの交通インフラにおける課題みたいなものを顕著に表している神戸電鉄、大手のように他業態に打って出て多角化するほどの資本力はなく、さりとて地方私鉄ほどはバッサリと合理化に割り切れない悩みと言うか…難しいよねえ。
それと、沿線の住宅開発と鉄道のアンマッチみたいなところが正直目立ちまして、そこらへんもったいないなあと。駅から見る丘の上には住宅街が広がっているのに、駅前の道路は細くてバスはおろか車も入って来れないような駅も多い。神戸市とか住都公団が主導で開発したんだろうけど、市営地下鉄ばかりに目が向いて、神鉄はあんまり関与しなかったんだろうか。もうちっと周辺の住宅街と鉄道の有機的な結合に力を入れた方がいいのかなと思うのですが、そこらへんに上手い事神姫バスが目を付けちゃったんだよなあ。神鉄関係なくそのまま三ノ宮に客を持ってっちゃう現状は、今となってはどうにもならんのでしょうけど。


鈴蘭台駅に滑り込む粟生線準急。何だかネガティブな事ばかり書いてしまったが、趣味的には大都市圏の山岳鉄道と言うシチュエーションは面白い。3両編成でここまで高低差の出る50パーミルを平然と走り抜けて行く姿、まさに神鉄の車両は山と戦うツワモノたちの集団である。天上の街と下界を結ぶ懸け橋として走り続ける神戸電鉄、「遅いし!高いし!」と言う地元の声を吹っ切る活躍を期待するものであります。
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お盆関西見聞録その8 バスに飲まれる鉄道

2015年08月24日 22時50分40秒 | 神戸電鉄

(この側線は何のため…?@市場駅)

夕方の粟生駅を出た鈴蘭台行きの普通電車に陣取り、流れて行く粟生線の車窓風景。さすがに朝から蒸し暑い中で動きっぱなしと言う事もあり、ほどほどに疲れて来た…通り過ぎた市場駅、駅は1面1線の片側ホームなのだが、駅の反対側に謎の側線が。保線用の車両置き場か何かかと思っていたが、これは車両の搬出・搬入のためのスペースなのだそうな。現在JR線との接続駅である粟生にも三田にもJRとのレール上の接続はないため、大規模修繕や新造車両はいちいちここまで陸送して、夜中に鈴蘭台の車両工場まで搬入するんだとか。


時刻は既に夕方の6時近くになっていましたが、まだまだ外は明るい。関西と言うのは東京と比べれば西の国だってー事を実感する(当たり前w)。と言う事でもうちょっと撮れそうなので藍那駅で降りてみます。藍那駅は、神戸市北区と西区の間に横たわる山間部にあり、何だかうら淋しい。隣の西鈴蘭台駅の乗降客数に比べれば、1日の乗降客数はたったの100人程度と圧倒的に少なく、とても神戸市内にあるとは思えない駅です。


とりあえずレンズをF2.8のいっちばん明るいのに変えて、撮れる時間まで撮ってみようと思います。正直粟生線の沿線写真と言う意味では少し食い足りなかった。やっぱ半日で撮り歩くにはもうちっと運転本数がないとツライ。藍那駅を通過する5000系の準急新開地行き。夕暮れ迫る裏六甲の峠道を、ヘッドライトを灯して駆け抜けて行く。


同じ場所から振り返って3000系の普通小野行き。粟生線の夕方ラッシュアワー、サラリーマン風情の乗客が目立ちます。粟生線は利用者の一番多い鈴蘭台から西鈴蘭台が単線となっているのがネックでして、鈴蘭台-西鈴蘭台=藍那-川池信号場=押部谷-粟生と細かく単線複線が入り混じる構造となっています。鈴蘭台から西鈴蘭台までが単線なのは、住宅密集地で拡幅の用地が確保出来ないのと、鈴蘭台~鈴蘭台西口間にあるトンネルが広げられないかららしい。


平日では夕方のみに運転される1100系の普通押部谷行き。押部谷は複線区間の終点かつ2面3線の駅なので、そこまでなら列車の本数も押し込みが効くって事でしょうね。押部谷行きの後は、藍那・木津・木幡・栄の4駅を通過する快速列車が追い掛けて、押部谷で普通の乗客を拾い上げるダイヤになっています。


だいぶ暗くなって来た藍那の駅で交換する1100系&1300系。夕方のラッシュ時であればこうして本数も多く、そこそこの乗客も目立つ粟生線。しかしながら、粟生線の苦境は続いている。そもそもが沿線に集客できるような行楽地を持たず、純粋に神戸中心部への一方通行の流動しか持たなかった粟生線。沿線にニュータウン開発が続いた昭和40~50年代は良かったが、今に至り団塊の世代の退職による通勤需要減、そして少子化による通学需要減、高速道路を含めた周辺道路の整備によるマイカーへの遷移、そしてこれが一番の問題になろうかと思うのだが、代替の交通網の整備による乗客離れに苦しめられています。



粟生線沿線からの乗客の逸走を見てみると、押部谷地区からは南下して神戸市営地下鉄の西神中央駅方面へ出る住民が増加している事(神戸市営地下鉄のパークアンドライド推進)、そして一番のライバルである神姫バスが押部谷・栄駅前を通り三ノ宮に直行する路線バス、恵比須・緑ヶ丘駅周辺のニュータウンから三ノ宮へ直行する急行バス、三木駅前から西神中央駅に向かうバスを走らせている事にあろうかと思われる。この神姫バスの神戸電鉄に対する攻撃は凄まじいものがあって、平日の朝7時台でその攻撃っぷりを検証してみよう。

<平日の朝7時台>
●押部谷駅・栄駅~三ノ宮間
神鉄5本(670円)に対しバス10本(620円)
●恵比須駅・緑ヶ丘駅~三ノ宮間
神鉄4本(740円)に対しバス5本(670円)
●三木駅~三ノ宮間
神鉄4本(760円)に対し急行バス3本(690円)

単線区間が多く増発の難しい粟生線、新開地での乗り換えを余儀なくされる粟生線を尻目に、まるで脇っ腹から美味しいところを吸い上げるように神姫バスが阪神高速の新神戸トンネルを使って三ノ宮へ直行するのである。特に三木営業所から恵比寿・緑ヶ丘・押部谷・栄を経由するルート(恵比須快速線)は4列シートの高速仕様のバスを投入しており、神鉄の牙城であった三木市西部のニュータウンの中まで入って行ってこまめに乗客を回収した後、藍那ICから高速に入って三ノ宮に直行すると言うツワモノ。待っている事しか出来ない鉄道と、拾いに行ける自動車の違いといったところか。所要時間についてはほぼ互角ながら、競合路線は微妙にバスの方が安い価格設定にしていると言うのも、マジで神鉄潰しに来てる神姫バスの恐ろしさを感じてしまう…


粟生線内で一番の優等列車である快速。とは言え線内で通過するのは4駅だけ。いっその事、粟生線も乗車人数の少ない中間駅については停車本数を削減して、全時間帯を快速を中心にした所要時間短縮くらい考えてもいいのかもしれないね。カーブと勾配の多い線形では表定速度を上げる事も出来ないから、時短のためには止まらない駅を増やすしかない。鈴蘭台・鈴蘭台西口・西鈴蘭台・押部谷・緑ヶ丘・志染・三木・小野・粟生くらいか。通過駅利用者には泣いてもらう事になるけど、それくらいドラスティックにやらんとこの状況は改善されんかもねえ。
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お盆関西見聞録その7 粟生行き吐息

2015年08月22日 00時20分09秒 | 神戸電鉄

(「あっ……(察し)」@神戸電鉄粟生線車内)

鈴蘭台で粟生線の急行に乗り換えたアタクシ。鈴蘭台の時点では吊り革もだいぶ塞がるくらいのそれなりの乗車率を見せており「何だよ、結構乗ってるじゃん!」なんて拍子抜けしてしまったのだが、鈴蘭台から2つ目の西鈴蘭台駅で大半の乗客が下車してしまった(笑)。それ以降は粟生方面に進むにつれて、残った乗客もぽつりぽつりと降りて行き、しまいには車内はガラガラに…雨が降るかと思って家から持って来たアタクシのビニール傘が余計に侘しいこの光景を見て察しないのはウソってもんでしょう。粟生線、マジ厳しい。

  

鈴蘭台から急勾配を上り、鈴蘭台西口と西鈴蘭台で大半の乗客を降ろしてしまった粟生線急行。西鈴蘭台の先、藍那からは単線となり、電車は藍那トンネルで小さなサミットを抜け、木津の手前の川池信号場までは裏六甲の寂しい山中を走る。藍那と木津の両駅については急行は通過してしまうので、ひとまず次の急行停車駅である木幡で降りてみた。急行が停まるからどんなもんかと思っていたが、さっきの藍那とか木津とかと駅前フリーハンデは大して変わんねーじゃねーかw

 

ともあれ木幡の駅前には1軒の寂れた商店以外何にもない。駅の横に幼稚園があり、園児は毎日神鉄電車を見ながら過ごせるのが羨ましいけど…(笑)。寂れた商店の前にあった自販機がチェリオってのもらしいなあ。思わずチェリオを買ってしまったよ。何年振りだ!とチェリオ飲み飲み準急新開地行き5000系5013編成。神鉄初のVVVF車で、急勾配の運転支援用に速度を一定に保つ(ボタンを押した時の速度で固定される)定速運転スイッチが付いとります。

 

駅手前のカーブを曲がって木幡の駅に進入してくる3000系3007編成の普通小野行き。おお、この編成は3000系の割に塗装がきれいだ(笑)。マスコン周りに関しても5000系に比べると一時代前って感じがしますね。ブレーキはこれまた昭和40年代の車両っぽい電磁直通ブレーキ。神鉄は現在合理化のため全線ワンマン運転を行っているので、運転台にはワンマン運転用に増設された機械が目立ちますね。車体側面ドア上部に付いている出っ張りって何なんだろ?と思ったら、戸閉用のセンサーなんだとか。木幡駅から乗り込んだ小野行きは、栄・押部谷と神戸市北区の北縁をなぞるように走ります。

 

押部谷から単線になり、緑ヶ丘から三木市に入って広野ゴルフ場前・志染。この志染の駅の北側には開発された住宅街が広がっており、日中の粟生線の電車の大半が折り返して行きますが、この電車は小野行き。もうちょっと乗って三木市街の中心に近い、三木上の丸駅で下車してみます。この駅、「上の丸」の名の通りに、美嚢川のほとりに建つ三木城跡(上の丸)にあります。三木城は、播磨の戦国大名別所氏の居城で、羽柴秀吉に兵糧攻めで滅ぼされた歴史を持っているそうな。おそらく開業当時からそのまんまの木造小屋のような駅舎は、神鉄の中でも一番レトロなのではないだろうか。


三木上の丸~三木間に架かる美嚢川橋梁。右側が三木上の丸駅方面になるのだが、この鉄橋は三木上の丸方面から左旋回して三木駅方面に下り込むような造りになっているのが珍しい。いきおい川面に立つ橋台の高さも右と左では異なり、その上に立つレールと架線柱もちょっとねじれながら緩やかにスパイラルを描くように続いているんだよね。

 

緩やかにスパイラルカーブの鉄橋を降りて行く1100系。横から見ると床下機器のみっちりとしたつまり具合はオール電動車のような風格を持っていますが、真ん中は冷房用の補助電源を持たされただけのサハ車だったりする。粟生線内でも50パーミルの勾配は随所に見られ、特に三木から先の小野市街にかけては丘陵地をアップダウンする案外と厳しい線形が続いていたりもする。そんなパワフルな1100系と三木駅で交換した「しんちゃん・てつくんミュージアム」6003編成が薄曇りの美嚢川を渡って行きます。鉄橋でインカーブの構図たあ珍しい。

  

三木市は人口約8万人、播磨平野東部の歴史ある城下町で、金物の生産が有名だそうな。美嚢川の橋を渡り、市の旧市街を三木駅まで歩いてみましたが旧市街は素敵に寂れており、商工会議所の掛け声も空しくボロボロでサビサビの踏切警報器が哀愁を誘う。こういう所にお金が掛けられなくなっている事に、毎期赤字10億円という事実をひしひしと感じてしまうなう。神鉄の三木駅は旧市街に馴染みまくった風合いのモルタル塗りの駅で、旧き佳き郊外電車の駅としての風情はありますが、何と駅員がおりません!市の中心駅に駅員がいないんですか(驚)。重ねて毎期赤字10億円という事実をひしひしと感じてしまうなう。

 

もとより三木市には、神鉄粟生線ともう一つJR加古川線の厄神駅までを結ぶ三木鉄道(旧国鉄三木線)と言う第三セクターがありました。営業距離僅か7km弱の零細三セクで、沿線自治体の支援を受けつつ細々と営業しておりましたが、財政再建のため同鉄道の廃止を公約に掲げ当選した現在の三木市長に息の根を止められ廃線となった経緯があります。神鉄粟生線も減り続ける乗客にいよいよ限界として、線路設備関係を地元自治体へ譲渡し、大幅に経費や固定資産税を圧縮した上で運行を継続する「公有民営化」の話も議題に上っているようですが、基本的に財政緊縮派の三木市が「経営は私企業たる神鉄の責任」として難色を示し進んでいない。三木駅の時刻表を見れば10時台から14時台まで下りは毎時1本のみで、神鉄サイドの「乗る人いないんでね」と言う開き直りすら感じさせるすがすがしい減量ダイヤ。粟生線の訪問を午後に回したのも、この日中が難儀すぎるダイヤのせいなんだよね。


播州平野の東側に連なる丘陵地に、粟生線の線路は細々と続いている。三木を過ぎ、いよいよもって乗客の流動は途絶え、大村・市場・樫山と国道175号線に沿って北西に向かって行くのだが、この辺りの国道175号線は改良拡幅された4車線道路で、大型トラックや乗用車がビュンビュンと飛ばして行く様が車窓からも見て取れます。

 

僅かな乗客を乗せた電車は、神鉄の小野駅到着。乗って来た電車は小野止まりなので、ここで後続の粟生行きを待つ事になります。15時台からようやっと毎時4本のうち2本が小野止まりになり、2本が粟生行きとなりますが、先に進むにつれ本数が減って行くダイヤは極端な言い方をすると札沼線で新十津川に向かっているような気分になって来る(笑)。平成3年頃は日中でも毎時三木行き2本・粟生行き2本を確保していたダイヤだったそうだ。乗客が半分になっちゃったから本数も半分にしましたよってか。

 

それでもホームには部活帰りの高校生が粟生行きの電車を待っており、電車の到着を待って一斉に乗り込んで行った。小野駅周辺には小野高校、小野工業高校と2つの県立校があり、大事なお客様となっている様子。いつでもどこでもローカル輸送の主要なユーザーは高校生だよなあ。一斉に乗って来られるとギャーギャーワーワーとウザイけど、ヤツらがいなかったらアタクシが好きなローカル私鉄なんてどこもとっくの昔になくなっているのかもしれない(笑)。

  

電車は小野を出ると、田園の真ん中にある葉多を過ぎ、加古川を渡って大きく右カーブ。左からJR加古川線の線路が近づくと、鈴蘭台から29.2kmの粟生線の旅が終わります。乗り換えの加古川線ホームに向かって行く高校生たちの白いソックスが眩しい。駅名票を一枚写真にパチリ、ア行2つの「AO」ってローマ字だと日本一短い駅名なんじゃないかね。あと山陰本線に「飯井(II)」があるな。長崎本線の「小江(OE)」とか。他にもあるかもしれんから誰か調べてよw


神鉄の粟生駅は、JRの加古川線のホームを間借りした形になっており、駅舎は神鉄・JR・北条鉄道の3社共同。駅周辺の風景はパッと見るだけでも神戸六甲の雰囲気とは違い、柔らかい稜線の山並みに田園が広がる播州の風景ですな。時間があればここから先、さらに北条鉄道に乗ってみるのもオツな話なんですが…そこまでの時間はないので、折り返しの鈴蘭台行きに乗って戻ると致しましょう。
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お盆関西見聞録その6 苦しみより生まれしマスコット

2015年08月20日 23時30分51秒 | 神戸電鉄

(神鉄北の玄関口@三田駅)

ウッディタウン中央駅から折り返しの電車に乗って、終点の三田駅にやって来ました。神戸湊川から32.0km、ひとまずは神鉄のメインルートである有馬・三田線を完乗。お疲れ様ですな。JR福知山線の駅横にあり独立している神鉄の三田駅ですが、JR三田駅から繋がる大きなペデストリアンデッキに隠されて昼間でも薄暗いです。日中でも大阪方面に向けてバンバン快速電車が出て行くJRに比べると、正直日陰の身ではありますが…

 

神鉄の三田駅全景。頭端式の1面2線のホームから、鈴蘭台・新開地方面の電車とウッディタウン中央方面の電車が交互に発着する。10分に2本の発車があるので結構折り返し時間は短いですね。ホーム先端部は柵で区切られていますが、これは以前5両編成の電車があった名残と思われます。現在は最大でも4両編成なのでね。


駅前のバスターミナル案内図。周辺のニュータウンに向かう路線バスの中に、「三ノ宮・神戸駅南口」行きの路線バス(神姫バス)があるのがお分かりいただけますでしょうか。三田駅を出てから三田市内のニュータウンを回り、イオンのショッピングモールを経由した後に六甲北道路~阪神高速を経由して神戸の繁華街・三ノ宮方面に直行するバスなんですが、所要時間は約1時間で700円。神鉄だと新開地乗換→阪急三宮まで1時間10分で780円、谷上乗換で北神急行新神戸→地下鉄三宮は50分ながら料金は高めの1,060円の現状を鑑みるに、この「三ノ宮まで乗換なし1時間・着席保障・700円」と言う神姫バスの路線の内容は魅力的に映るようで、三田方面からの神鉄の客をジワジワ奪っている様子。日中は時間1本程度ですが、朝の7時台は4本とかありますし、これは強力なライバルかと。


駅の全景を撮るために一回外に出てしまった。三田駅に戻るのも面倒なので、お隣の三田本町駅までは近いので歩いて行く事にする。三田~三田本町間に架かるのは武庫川の鉄橋、下流部ではそれなりの川幅を持つ武庫川も三田市内ではこの程度。先ほど三田の駅に停まっていた普通電車の新開地行き@5000系4連が川を渡って行きます。下枠交差型のパンタって関東ではあまり見ないから新鮮だなあ。


武庫川沿いの細道にある踏切から都市公園線に入線する1107+1204+1108の3連。順光側からガッツリ押さえてみました。前面幕の「ウッディタウン中央」の文字が詰め詰めです(笑)。この2ドア1100系は前パン以外にもウイングバネの古風な台車とか、自動連結器のテコだったり、前面下部にブレーキホースをチェーンで繋いでるところとか、とにかく面構えがいいねえ。

 

駅近くのセブンイレブンで飲み物と昼食代わりのサンドイッチを買って昼下がりの三田本町駅のベンチで一休み。薄曇りで日差しはそこまで強くないが、とんでもなく蒸し暑かったこの日。飲み物をいくら飲んでも喉が渇く…熱中症でぶっ倒れてもしょうがないので昼食くらい冷房の効いたレストランで…とも思ったのだけど、まだ神鉄の半分を乗っただけ。時間が押しているので、とりあえず昼食の時間をはしょりながら今度は粟生線に向かって移動を開始します。


武庫川の鉄橋を渡り、左カーブで三田本町の駅に滑り込むは普通電車の新開地行き。おっ、「HAPPY TRAIN」の5000系5001編成ですな。さっき鈴蘭台で撮った編成を、今度は逆側のエンドから。エンドごとに赤系統・黄色系統とデザインが違っているんですねえ。そしてやはり助手席側に乗っているぬいぐるみ(笑)。


編成の最後尾に陣取り、ちょっと失礼してぬいぐるみさんのバックショットを(笑)。車窓に流れて行く田園風景を見ながら何を思う。このマスコットは「しんちゃん」と申します。まあ由来は「神鉄」の「しんちゃん」なんでしょうが、近年乗客の減少著しい神戸電鉄粟生線のイメージキャラクターとして、「神戸電鉄粟生線活性化協議会」が地元の高校生からデザインを募集して選ばれたものなんだそうな。そして、これから私が向かうのがその粟生線でもあります。

 

涼しい車内を満喫し、鈴蘭台で1100系1119編成の急行粟生行きへ乗り換え。粟生線は「近年乗客の減少が著しい」と書きましたが、どんだけ厳しいかってーと上記の活性化協議会の資料によると粟生線ピークの平成4年には年間1,420万人を数えた利用者が、平成25年には672万人と僅か20年で半分以下に落ち込んでいるそうな。近年ではコンスタントに毎期10億円程度の赤字を計上しており、その累積もとうとう100億円を突破しようとしているらしい。神戸電鉄自身も色々と策を講じたりしているそうなのだが、沿線自治体の支援も財政が厳しい中で足並みが揃っているとは言えず、ここに来ていよいよその存廃問題も浮上しているとゆー非常に厳しい状況にあります。


1100系の車体に貼られた粟生線活性化協議会のステッカー。この「乗って残そう」的なスローガンってのは苦しくなった地方鉄道ではどこでも見ますけど、廃止されちゃった名鉄の末端区間や移管されちゃった近鉄のローカル線(伊賀線や養老線など)の末期ならいざ知らず、大都市圏神戸からそれほど離れていない神鉄で見るとは思わなんだ。少なくとも乗り込んだ急行粟生行きは鈴蘭台発車時点ではそれなりの乗客数なのだが、粟生線のこれほどまでの苦境にはどんな理由があるのだろうか。とにかく百聞は一見にしかず、乗ってみる事に致しましょう。
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お盆関西見聞録その5 ソフトとハードのバランス

2015年08月19日 05時58分14秒 | 神戸電鉄

(北摂の名門校@横山駅)

公園都市線の乗換駅である横山駅までやって来ました。横山駅の駅前には、北摂の名門校である三田学園中学校・高等学校がありましてホームには学生の姿が目立ちます。三田学園と言えば甲子園に出場する事もたびたびの野球の名門校で、出身者の中にはプロ野球選手も多数。その中でも千葉ロッテマリーンズ終身名誉監督である山本功児氏を輩出した功績はつとに知られるところ…耳を澄ますと「二日も休んでるんだバカ野郎ッ!」と言うあの声が聞こえて来そうですw


他にも三田学園と言えば、昭和末期の近鉄で活躍した淡口憲治と羽田耕一ですかねえ。淡口は巨人からの移籍だったけど。淡口と言えばコンコルド打法とあの打席でケツをプリッと振る独特の打撃フォームだよな。アタクシと同い年くらいの人間なら、必ずカラーバット持って左打席に入ってあのマネをしたものと思われる。羽田耕一と言えばあの10.19の最後の打者、投手関清和(ロッテ)からセカンドゴロのダブルプレーで悲願の優勝を逃したあのシーンが思い出されるんでありますが、そんな羽田耕一は去年から母校・三田学園の野球部監督になっていたりするらしい。へえ~。

  

昭和末期のパ・リーグ話をしているとキリがないので話を神戸電鉄に戻す(笑)。横山駅で乗り換えるは三田から直通して来た2000系3連のウッディタウン中央行き。公園都市線は入線できるのが現状3連限定で、すべての電車が三田から直通して来ます。横山駅の西方で三田線と別れ、公園都市線は三田学園の校内の下をトンネルでくぐり、ウッディタウン方面へ向けて走って行きます。

 

神戸市北部から三田市西部に続くこの巨大なニュータウンは、神戸三田国際公園都市と呼ばれる兵庫県と住宅都市整備公団が開発した大規模ニュータウン。この開発のおかげで1987年から10年連続で三田市は人口増加日本一の自治体になったそうな。公園都市線はニュータウンの核となる交通機関として1991年(平成3年)に開業。ニュータウンの中心部にあるウッディタウン・フラワータウンの住民をJR三田駅まで誘導するアクセスルートとしての役目を持っています。線路の両側を挟むのは兵庫県道720号線で、その風景は北総鉄道の千葉ニュータウン中央辺りを彷彿させる光景でもある。

  

横山駅から、フラワータウン・南ウッディタウンを経て終点のウッディタウン中央駅。基本的にはニュータウン内の路盤は複線分を確保しているようで、将来のさらなる人口増を見越した計画であったものと思われる。ただ、前述の通り10年連続で人口増を果たした三田市も、最近の人口の伸びは鈍化しており、神鉄自身の財務状況とも併せてひとまず棚上げになっている模様。

  

鉄骨で組まれた立派な吹き抜けの空間を持つウッディタウン中央駅。駅前には広々とした北摂の丘陵地に見渡す限りの住宅街が広がっている。阪神地区有数のニュータウンそしてベッドタウンであるこの神戸三田国際公園都市は、JR福知山線を介して大阪方面への流動が大きいようです。ただウッディタウン中央駅から車で10分程度の場所にJR福知山線の新三田駅があり、直接新三田へ出る住民も多く、伸び悩む住民数に比例し意外に神鉄の利用は伸びていないようだ。お盆の昼下がりとは言え人っ子一人いない駅前は、ちょっと色々と心配になって来るほど(笑)。


ウッディタウン中央駅の発車時刻表。始発から終電まで基本約15分ヘッド。朝のラッシュ時間も日中も運転間隔変わんないのは、三田線と共用する三田~横山間にこれ以上電車が割り込めないからなんでしょうかねえ。対してお帰りは福知山線の三田駅に到着する最終電車の一本前まで接続を取るため、終電の時間は大都市圏並みに遅いのもベッドタウンの鉄道らしい特徴。ちなみにJR東西線の北新地駅(≒大阪梅田)を23時50分に出る新三田行きに乗れば、三田接続0時53分でウッディタウン中央駅に1時05分に到着するダイヤになっています。

昭和の時代の福知山線と言えば、宝塚以北はDD51が客車列車を引っ張る前近代的な未改良の路線でした。昭和61年の全線電化以降、複線区間の拡大と運行本数の増加、そしてJR東西線との直通を開始し片町線を経て京阪奈方面へ乗り入れるなど、関西アーバンネットワークの代表路線の一つとなりました。この神戸三田国際公園都市に代表されるニュータウン開発や、神鉄都市公園線からの乗客流入により福知山線の輸送人員は急増。慢性的な混雑路線の中で常態化した列車の遅延と過密ダイヤが、平成17年のあの大事故の原因の一つではあったかもしれません。

誰も事故を起こそうと思ってやった訳ではないと思うけど、やはりモノと人の大きく動く所にはどこかにひずみが出来るもの。時は過ぎ、ちょっと過剰な装備を持て余す現状の都市公園線を見るにつけ、都市計画におけるソフトとハードのバランスの取り方の難しさを感じてしまうのであります。
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