携帯電話のmsdカードが埋まり込んで取れなくなったのでauの販売店に持っていったらメーカーでないと直せないので1週間位預からせてくださいと言われた。使ったことないのでべつにこまらないけど、この際だから機種変更しようかなと大きな電気店にそれを見に行った。別に複雑な機能はいらない。単純な人間が最低限の基本的な機能を2,3使うだけだからと思ってもいいのを見れば目が映る。若者むけの人気機種は、キーボードが小さすぎて見えにくい。あれこれ見てるうちにお世話係の人が来ていろいろ説明してくれました。年のころなら20か21くらいだろうか。マニュアルどおりでなく自分の感覚で説明してくれるのが楽しいなと思っていた。「この機種は世界中で使えるの」と何気なく聞くと「これは、アジアokですがヨーロッパは駄目。」「これはok」とかいろいろ言ってるうちに「ヨーロッパへ行かれるんですか」と「かも?」「あたしもドイツに行ってきました。」「一人で行ってたんです」「ドイツきれいでしょう?」「きれいです。人がとっても親切ですばらしいんです」「ドイツ語できるんですか?」「今。勉強してるんです」「むずかしいでしょう」「むずかしい」とはじけるような笑顔でこたえていたのがとても印象に残りました。こんな若者もいるんだ。とうれしくなりました。まだまだ捨てたモンじゃないね今の若者も。というより元気な若い女の子は。というのが正解なんだろうけど。草食系男子で一人でドイツへ行ける子いるのかな?
映画館に行ったら吹き替え版しかやっていなかった。というのが今の時流らしい。あの、日本が誇る字幕スーパーが減り日本語吹き替え版の洋画が増えているという。その方が客が入るから。どうして?字幕の漢字が読めない若者が増えてるのが理由らしい。これには、あきれた。日本語教育は、どうなっているんだろう。やれ英語だナンだといっても母国語ができない連中が外国語やっても無益と思うんだが。字幕は、まだ本物を味わうことができるんだよ。彼らの声が、声質が伝わってくるから。吹き替えは、もはや別物として見るもの。日本語を捨てて、公用語が英語となって字幕なしで見られるというのも一つの楽しみではあるけれど、この完成された世界でも類を見ない美しい日本語を捨ててまで英語を取りたくないよ。絶対、いまの教育間違っている。何もかも低きにあわすのではなく高き極みを求めるべきだ。100%に近い識字率を誇った国民はどこへ行ったんだろう。
家の中ではわからないけど夜風は吹いている。交差点の上で、公園の中で、昔ながらに吹いていた。懐かしい友に出会ったように「やぁ」って笑顔で挨拶を交わし見送った。アスファルトの上をまっすぐに夜風が行く。ちょっともったいななと僕は思った。窓が小さい今風な家では、夜風を感じることはできないだろう。窓を閉め切ってエアコンの生活では夜風を感じることはできないだろう。網戸があるだけで夜風は通り過ぎていくのに。でも、夜風がいてよかった。昔の夏と変わらないね。僕あの年代はそう思うようにした。あの夏の日と夜風と僕。映画のタイトルみたいだね。安心して、夜風はいるからね。
熱中症という単語は、1,990年に出版された英語の辞書には載っていない。新しい言葉をあまり自ら作らない民族だからしかたがないけど。一方で新しい言葉を作るのが大好きな国民だからこっちも仕方がないか。今年、熱中症で搬送された人は3万人にのぼるらしい。支社132人だとか。5月31日から8月15日までというから凄い。65歳以上の人が47.7%。年寄りは水分がないんだ。僕も脂肪はたっぷりあるけど水分は少ない。でも、駱駝は脂肪を水に変えて砂漠を行くという。それなら俺も脂肪を水に変えて熱中症を防ぐのかな。ああ、らくだ!ラジオで聞いたんだけど今年は、南半球の冬が寒さが厳しいとのこと。アフリカのケニア、ナイロビで寒さが続いているとのこと。北半球はうだって、南半球は寒い・・・・か
The cruel war is raising Jhony has to fight 戦争って聞くとこの歌を思い出す。それとなんという歌か知らないけど「死んだ兵士が残したものは、曲がった銃と歪んだ地球。他には、何も残せなかった。平和一つ残せなかった」という詩だ。飛行機で体当たりをして死んでいく特攻隊の最初の兵が高知の若者だった。そして戦争末期最後の特攻ととなった若者も高知の男だった。無私の県民性と妙にマッチして哀しいハーモニーとなっている。その心情は、国を守ると言うより家族を守る恋しい人を守るという一点だったらしい。「恋のハートは、守れませんが、愛のハートは守れます」とどこか高揚感のある陶酔のうちに飛び立って行ったのではないかと僕は思いたい。戦争はみんな悲惨だと分かっているのにいまだに戦争がなくならないわけはナンなのだろう。闘いたくない人を戦わせるのは、ナンなのだろう。確か、守るということから始まっているのだけれど。
今年も終戦記念日が来ました。天皇が戦争を終結する宣言を出した日を日本では終戦記念日と言っているんだが、樺太やなんかの北方領土にソ連軍が進攻したのは8月15日以降のことだったから何のための宣言かわからなくなりますね。それでも天皇が宣言しなければ、横井さんや小野田さんみたいに気のいい国民は、原爆を落とされようが何されようが最後の一人まで戦うつもりだったから国がなくなるのを防げたのは良かったことなのかもしれない。玉砕だけが生き方ではない。ともっと早く言ってあげてたら、あたら優秀な人たちを失わずに済んだものを。それにしても、野党になった途端、靖国へ参拝に行く自民党議員もいかがなもんだろうか。正々堂々と歴史認識の持論を戦わせ、説得し、納得してもらい自国のアイデンティティを確立した上で堂々とした態度で臨めばいいんじゃないかと思う。日出国の気概はないのか。正義の戦争なんてどこの国にもないのだから。わざわざ広島に来て、犠牲者に献花もしないような国を相手に戦争をしたんだもの道理がわかるわけがないということをそろそろ気づいてもいい頃だと思う。武士の情けも知らない連中を相手に闘わなければならないと言うことをもっと身近に理解しなければならない。戦うことをなくせないのは一部で金儲けができる現実があるからだということを忘れてはならない。彼らは言う、国を守れと。その時こそ一体誰が儲かるのかを疑ってみなければならない。終戦だ敗戦だという言葉遊びでなく真の意味の戦争放棄の日としなければ英霊は浮かばれない。
NHKで昨夜「若者日韓討論」というのをやってました。タイトルはそうであったかどうか記憶がないですけど。いま、こくさい競争力は韓国が日本を抜いているんだってね。まだそんなこと競っているのかというのが僕の実感。そのために、仁義なき競争社会に突入して自殺者も日本を抜いてるとか。こんな社会を作るために直情径行な民族は邁進してるのだろうか。「振り向いてみる」ということがないのだろうかというのも実感。所詮、日本と韓国は、アメリカの傘の中にいるのだから少々滑稽な気がしないでもない。2020年に中国がアジアに君臨するといわれている。それに対抗できるのは、アメリカの軍事力を背景にした日韓連合しかないということは、なんとなく分かっているんだけど、昔の長州薩摩のような関係の国を連合させるのは、これは、骨だね。歴史認識は相変わらずだけどやはり若い考えは柔軟性に富んでいて未来にかすかな光を今よりは感じる。昨今このくそ暑いのに、どこでも手をつないでいるカップルを見かけるのは、韓国文化の流れだったのかとあらためてその浸透ぶりに感心した。前門のアメリカ後門の中国、この2大国に挟まれた小船2隻 隊をなして対等にいくのか、それとも木っ端微塵となってしまうのか。将来は、日本と韓国の若者にかかっている。アジア連盟という鳩ちゃんの構想、あながち間違ってはいなかったけど具体策がなかったね。具体的に経済協力で行くと決めたらよかったのにな。東南アジアと日韓で連携して中国包囲網の形成と日中韓でアメリカ対抗のアジア連盟。これって結構機能するとおもうんだけどな。ちなみにヨーロッパで人間というとヨーロッパ人をさすという。しいて言えば、白人種のみのことだろう。アジア人は、すべての人種を人間として考える。この融合の思想が、隔離の思想を席巻したとき世界は変わるだろう。ただ、論理的に説明できなければヨーロッパ人は、納得しないだろう。中華思想ではなく、日韓の融合思想が世界を変える日がくればいいね。
コットをもって山の涼しいとこで昼寝したいよな。と前から言ってたんだけどちょっと自分の感覚では大きいと思って買うのをためらってた。どうしてもオートキャンプじゃないから体で荷物を運ぶことが多いから重い大きいは、はなっからNGだった。でも、家で使えばって発想を変えたら結構便利じゃないかと思った。山の涼しいところじゃないけど家のクーラーのある部屋での昼寝なら便利だよね。パタパタと組み立てて昼寝してまたパタパタとたたんで。また、山に持ってもいけるしね。勿論車で行けるとこに限られているけど。意外とベンチより便利だよ。ただ、オートキャンプ用のテントじゃないと入りきらないけどね。僕のテントは、コンパクトなティピーだから。インデアンのお家の小さなものだからコットは入らない。アボリディニのように青天井でテントの横で寝るならokだけどね。
今頃の台風はいつもなら高知沖で接近か高知上陸となるところだがここ2,3年日本海を通るのが多くなってきて来ている。これも、この異常気象と関係しているのだろうか。東北の人は驚いているだろうね。困ったもんだ。