谷崎光 中国日記  official blog  

北京発! 2018年9月3日で北京在住18年目に突入。

老北京のお正月

2016年02月10日 | 老北京
「国が消えても爆買いだ!」
崩壊するハズの中国から、大量に爆買いに来る秘密もわかる新刊、発売中です!
「国が崩壊しても平気な中国人 会社がヤバいだけで真っ青な日本人」(PHP研究所)

 今となっては、シャープの予言の書となってしまったこちらもどうぞ!!!
日本人の値段 中国に買われたエリート技術者たち(小学館)


****************************************













歴史読本6月号 北京の中心&鄧小平の家

2014年05月10日 | 老北京
今回は、北京の中軸線(中心線)の話です。

いまの北京というのは、元代に風水によって設計された都市なんですが、その思想により中心に、コマの芯のように、南北線が通っています。で、その中心線は、故宮の中心線とも重なります。

それを空から見ると、中国の「中」という文字になっています。





これは景山公園の万春亭。家(8階)からも見えます。周囲に、他にあまり高い建物がないので、ながめは最高なんですよ。老北京の四合院の屋根を手前に北京城外の高層ビルがばーっと屏風みたいに180度、広がります。毎日、めちゃうれしい。


同じ場所から、鼓楼に向かっての方角。

そしてこの中心線には、大きな秘密が隠されていた…、という話です。

 今も昔も北京の本当の権力者が住むのは、内城の、この中心線の付近です。お金だけでは絶対に住めない、金と権力の両方そろった最高のぜいたくをよく見かけます。
 今、 外国人の多い朝陽区というのは、建国以後も長らく荒れ地で、1.外国人は政治の要所のある内城(地下鉄2号線の中)にいれない。2.外国資本で何もない場所を開発させる という二つの目的があってできたわけです。各国大使館も、外国記者の住居も全部、本来の北京の外に出してしまったわけです。(植民地時代の北京では、全部やっぱり内城に置かれたという苦い思い出もあります)。何もなかった分、開発も簡単で今は高層ビルが立ち並んでいるのは、ご存じの通り。
 内城は今は不動産価格だけが天文学的にあがり、権利が複雑に錯綜し、文化財保護もあり、開発は手がつけられず保留状態です。

 今回は特別に皆さまもよくご存知の、トウ小平先生のお宅(四合院)の場所をご紹介したいと思います。地元では知られており、新聞などでも紹介されています。2000年代まで奥様が住んでらして、その後もまだご親族がいらっしゃるとか。隣は軍区でちらりとのぞくと、屈強な若者たちがトレーニングを積んでおりました。

 この米粮庫胡同を奥に入って、つきあたりの右側。門が閉まっていて街灯がついてます。
 観光したとき、「知ってるかー。ここ、トウ小平の家やで」とかいうと、ちょっと通っぽくないですか(笑)。



 さて、丸二年続いたこの老北京の連載も、今回が最終回です。
 まず、何より、ご愛読いただきました読者の皆さま、本当にありがとうございました。
 また、お世話になりました方々、本当にありがとうございました。皆様のお力を借りて、レベルのなかなか高いものになったと思ってます。本人的には、大満足です。

 現在は、北京から中国各地をいろいろ訪ねる日々です。
 さすが中国広くって、 
 やっぱ、こうなると、私人飛機(プライベートジェット)が欲しいわね、
 タオバオで買うか、模型を……。

歴史読本5月号 老北京 文革の真実

2014年03月31日 | 老北京

 羽生君、強いなぁ……。
スポンサーのANAの担当者、うれしいだろうな(笑)。
あの負けず嫌いがすごい。
 滑っているときにときどき撮られている阿修羅な顔を見ると、戦場で死んだ東北の若武者の生まれ変わりかな、なんて思ったりして。

 「フリルを着た阿修羅」「討ち入りロミオ」「皆殺しロミオ」……、ファンの人って、本質をよくつかんでますよね。


 さて、歴史読本、今回のお題は文革。
いや、これも怖いんです。あのね、中国に行くと、文革カップとかポスターとか売ってるじゃないですか。
私も昔は喜んで買ってたんですが、話ききすぎて資料見すぎて、今は買えなくなりました。
 革命、とかいうと、なんかいいことみたいに聞こえますが、つまりは殺し合いです。


 女性は地主だといわれてます。





 もっと怖いのもあるんですが、このへんで。

 最近、ちょっとブログがごぶさたなのは、投稿に使っていたホームページビルダー(旧バージョン)が、OSを更新したら使えなくなってしまい。
 以前はネット見て調整したらなんとかなったんですが今回は無理でした。gooブログって、直接だと写真の大きさの調整が難しかったりで、これもちょっと大きすぎて怖いですが。
 
 
 本人は、元気でございます。 『汚染大国』ぐらしなんですが、なんか、この一年で体調くずしたって(風邪らしきもの)、日本に一時帰国した時だけでした……。
 中国、報道だけ見てるとどんな国やーなんですが、今、ネットの発達、近代化?で本当に生活は便利。
 しばらく仕事、がんばります。


歴史読本4月号 老北京 日中女性対決 溥杰の中国人妻

2014年03月05日 | 老北京
ラストエンペラーの弟の溥杰が、日本人の奥さんと結婚したことは有名ですが、その前に、中国で中国人と結婚していた、というのは、あまり知られていません。


その人は故宮でラストエンペラーの溥儀といっしょに育ったぐらいのお嬢さんなんですが、なんつーか、すさまじい。

結局、溥杰とは離婚するんですけど、そのときに、婚家(すなわち王室)の財産を、貨物列車に連結できる車を、門に横付けして運び出そうとは、ま、日本の奥さんはあまりしない。


溥儀、溥杰の生まれた家。後海北側に残るのは一部で、本来の敷地は非常に広大です。



中国妻って怖いんですけど、その行動力と度胸で味方にすれば頼りになることは事実。
働くのをいとわないし、
めそめそしないし、
人のせいにしないし、
夫の失業ぐらい、へとも思わないし、
いっしょに悪事もしてくれるし、中国の企業家って夫婦で財をなした人も多いです。
日本の男性って、社会で自分がやる悪事を、嫁さんと子供だけには見せたくない、という感じですが、
中国の場合、嫁さんのほうがすごい、という場合も少なくない。男もそれが平気だし。
内助の功じゃなく、ビジネスパートナーという感じ。アメリカみたいですかね。
 この人も、あの時代に、本当に思う通りに生きた女性でした。


 でも、気の弱そうな溥杰、のちに日本のお嬢さまと再婚して、きっとものすごくうれしかったと思う(笑)。
 しかしね、この溥杰の日中、両方の奥さんの写真を並べて見たとき、どっちも美人なんですが、両者、同じぐらい強いな、と思いました。本当のところは、日本女性のほうが怖いかもしれないですね。男はわかんないと思うけど。

歴史読本3月号 老北京のミッションスクール 

2014年02月01日 | 老北京
北京に来て、
後海ちかくの恭王府に行く人は多いですが、
そのすぐ近くのここに気づく人は少ない。
(恭王府正門から西へ徒歩4分ぐらい)



現、北京師範大学分校。

元、輔仁大学ー北京がかなり植民地化されていた時代の、キリスト教系大学です。
最盛期は北京だけで数十のミッションスクールがありました。
北京大学も、一番最初はアメリカとイギリスの三つのミッションスクールの合同です。清華大も、アメリカ留学予備校で、とにかく当時の中国ローカルに、まともな近代教育というものはなかった。自然科学の授業、ゼロ、みたいな。
そして今も昔も中産階級が一番投資するのが子供の教育。


 あれですね、欧米人というのは、「侵略」をわりと硬軟でやるんですね。 近代で何とか戦争、に勝つと、まず条約に入れてしまうのが、宣教師の派遣とキリスト教布教の自由。


 で、無料の学校を作ったり(当然、思想教育がついています。封建社会に自由、民主、平等を教えるとだいたいウチからひっくりかえる)。
 教会付属の病院で貧しい中国人を治療したり……、


(これはフランスの絵葉書)

 孤児を救済したり、

 いいことを通じて、ウチからも浸透していく。


 当時、日本が植民地にならなかったのは、日本人の一神教との親和性の悪さ、というのもあるかな、と思いました。
 その分、自由、民主、平等もさほど、浸透しなかったですが。
 

 そういえば先日、マクドナルドでスケジュール帳開いていたら、隣にいた可愛い女の子の二人組に、カルト系のキリスト教を勧誘されました。
 女の子は東北出身で外大のロシア語学科卒。就職難で、将来が心配で、そのときにハマった、あ、いや、入信したそうです。
 ipadで教義の動画を見せられ、活動への参加を呼びかけられ、「そのとき、ファンジョウが」などと言うので、何のことかと思ったら、「方舟(fangzhou)」でした。

 んな、単語、外国人やから知らんがな。

歴史読本 2月号 老北京の結婚式

2013年12月29日 | 老北京
 中国生活が長くなると、どうしても失われていく日本の常識……。それを思い出すためにも、実は私が愛読しているのは、ヤフートップページの『みんなのアンテナ』(笑)。

 でね、その中でいつもビビるのが結婚式の話なんですね。

 『○○したら、○○で、非常識だと思いませんか!」『私を呼ぶなら○○で』『お祝い金額が○○だった』『料理が○○だった』『そういうときはそもそも、こうするべきで!』


 いやー……。細かい決まりありすぎ。察しないといけない常識ありすぎ。
 日本人て、自分もちゃんとしますが、他人への要求も高いです。でも、その一見、同一性のたかそうな日本の常識ってやつも、意外と地方や年齢で違ったりして、一致しないですよね。

 ここで話題になって、たくさんの日本人が「それは非常識だ!」とコメントを付けていることは、
 中国では、正直、全部、問題にも話題にもなりません


 

 何かと悪評高い中国ですが、これだけは中国のほうが私は好き。
 たとえば中国で結婚式に友だちを呼んで、その人がさらに自分の友だちを突然、連れてきたぐらいで、怒る人はいない。

 対応も折り込み済みで、こういう豪華な結婚式でも、実は簡単なビュッフェだったりして、1人や2人や30人ぐらい増えても、あまり関係ない。だいたい500人ぐらい、て感じなんでしょうかね。 で、そのうちの300人は遅れてくる?ので、はじまりも予定より遅い。

  

 で、やるほうも未編集の「ふたりの慣れそめ再現ビデオ」を一時間ぐらい見せたりして、日本人からすると『不手際』だらけなんでしょうが、帰りに中国人に「今日はいかがでしたか?」と聞いたら、99%、「很好!」と心から言うと思う。

 しかし、彼らにも彼らのこだわりがある

 なんかよくわかんないですけど、高級車を連ねて花嫁を迎えに行き、その後、隊列を組んで走るのがかっこいいという……。
 ヤンキ―かよ。はい、血中ヤンキ―濃度は基本的に、高い人々です。
 車のランクが低いのにむくれて、花嫁が結婚解消したとか。北京で各色のフェラーリを並べて走ったのはニュースにもなってました。女性アナウンサーの、まあ、すばらしいわね、みたいな声は忘れられません……。








 これは勤め先の車で節約したという……。



 いかん。ぜんぜん老北京の話になってませんね。

 隊列を組むのは、昔からで、そこには『qiang婚(他の村に集団で行って女性を奪ってくる)」が結婚の基本であった、昔の中国周辺少数民族の習慣もあったかも。女性獲得に成功すれば、隊列を組んでアピールします。凱旋パレードなんですね。
 今でも、老北京式の古典風結婚式では、新郎が必ず○○を○○するんですが、これは本当は女性を力で奪ってきた、という象徴なんだそうです。(近年では野蛮だということで、違う理由に替えられていることも多いですが、昔のきちんとした資料では皆、そう)。
 詳しくは、歴史読本、2月号をどうぞ!


 いまは中国の若者も、地味婚志向の人も多いそうです。

歴史読本1月号 老北京 満族八旗

2013年12月01日 | 老北京

今回のテーマは満族八旗。
清朝の中枢で権力をほこった特権階級です。

八旗というのは、清朝の政治システム、と考えていいと思います。満族が清をつくったときの民族混合軍が基盤になってます。
で、民族混合軍なんだけど、支配者の満族の八旗だけは特別扱いでした。北京内城に住めるのは、満族八旗の幹部だけね。
で、その旗の種類で、それぞれ住むところも決っている。



 皇城は故宮のことです。
 この内城の中が北京の中の北京です。私も某、皇帝直属の旗のエリアにおりますが、
 住んでみて、本当にいろんな発見がありました。最高!

 ガラス張りのモダンな茶館の入り口に、さりげなく黄色い布が結んであったりします。
 自分たちは、镶黄旗の子孫だ、というアピールなんだそうです。わかる人だけにわかる、高度なお遊び。
 

 ま、んなこと知ってても一文にもならんがな、という、関西人の私もいるんですが(笑)。
 


 北京一、二、三中は元・八旗の学校でした。



歴史読本12月号 老北京 小吃

2013年11月12日 | 老北京
 この小吃の歴史読本が無事届いてホッ。
その前の週刊朝日は封筒から抜き取られてました……。


 小吃というのは、北京のおやつというか、朝ご飯でもあり昼御飯でもあり、酒の肴、軽食、夜食でもありました。



 こういう甘いのや、




 パン、ケーキ系も意外と多いんです。いかにも大陸、西側と地続き。
 面茶とか、なんかどろっとした系列もたくさんあります。




 肉系の卤煮火焼と炒肝。

 
 小吃は種類がものすごく多いんで、一回も食べたことがないのが、まだけっこうあります。
 宮廷ヨーグルトのような上品な味から下世話な味まで、庶民がその豊富さを日常に楽しんでいたところが、まさに都市かな。

歴史読本11月号 老北京 景泰藍  

2013年09月28日 | 老北京
 自分も染織をやっていたぐらいで、工芸の好きな私、基本的に中国の工芸品は全部、好きなんですが、ひとつだけ苦手なのがありました。
ハイ。あの王府井のお土産売り場などにある、極彩色の巨大な悪趣味なツボです。子供の身長ぐらいなのもある。




 ……うっわー。目が汚れる。



 今回、取材したり調べてよくわかりました。
 これを景泰藍(中国の琺瑯の工芸品)だと思うのは、浅草で売っている KIMONOを見て、日本の和服を語るようなもの。
 西陣の人、怒るわな。


 景泰藍はいい時代の本物はそれはきれいです。
 トルコ石とか、宝石(半輝石)を砕いて顔料にしてました。

 故宮博物館 清朝のポット

 故宮博物館所蔵 琺瑯(景泰藍)


 今の制作現場も見てきました。






後継者難で、国が聾唖の若い女性を送りこんでいました。
 身ぶり手ぶりで技術の継承。
 こういう顔料って、けっこう毒性が高いので、ちょっと心配でした。(顔料の制作所もだから工場から移したそうです)。
 あいかわらずディープな中国様。
 日本の西陣とかって、奈良、平安の技術も色も全部、再現できるんですが(資料も保存)、景泰藍は清朝のものでさえ、全部、途絶えています。


 今回の歴史読本の写真は、財政難の故宮から追い出され、外国人に売る景泰藍を必死で作る人々を活写した一枚。
 ぜひご覧ください!



歴史読本10月号 天橋ー元祖中国のブラックマーケット 

2013年08月30日 | 老北京
有名な中国の雑技団……。
写真が怖すぎる……。


 


 この雑技団って、1949年、今の中華人民共和国ができたときに、路上の大道芸人たちを吸収したものって、ご存知でした? 
だから、道具に茶碗とか皿とか、日常のモノが多いんだそうです。


 天橋は、前門エリアの南側から天壇公園の北西あたり、今の自然博物館を中心としたあたりにあった昔の娯楽エリアです。清朝末から今の中国ができるまで、一大歓楽街&ブラックマーケット&大道芸エリアでもありました。道歩いていて、服装に因縁つけられて、ひとりや二人殺されても誰も気にしない、そんなとこでした。
 ありとあらゆる胡散臭いものが集積し、しかしそこから人の心をつかむ有名芸人がたくさん出ています。






 芸能のそういう本質的な胡散臭さと、建国当初の労働はすばらしい、京劇は階級の敵で腐敗だ、金持ちは悪くて貧乏人が正しいみたいな黒白だけの世界の中で、天橋はどうなったか。
 ところが文革が終わり、締め付けが緩んだとたん、またここに……。雑誌の写真はその瞬間の人々の気持ちを捕えた貴重な一枚。


 人間はごリッパなことだけでは暮らせない。
 ♪恋愛幸運曲奇もいると。

しかし発売日にはすぐ、中国語訳付きバージョンが流れてました。すごい情熱(笑)。



 本文ではふろく?に、天橋生き残りの芸人が難しい芸を身につける秘訣を述べてます。
 芸事に限らず、アメリカに徒手空拳で渡って、現地の大学の教授になった人に、英語をどうやって勉強したか聞いたら、まったく同じ事を言ってました。あっという間に覚えられるそうです。 


 日本もこれからは、語学できる人、増えると思うけど……。
 答えは、歴史読本10月号をどうぞ。



歴史読本9月号 老北京 戦争は誰が儲けて誰がソンするのかー日本軍、北京入城

2013年07月26日 | 老北京
 さて、日中戦争と言えば、満州とか南京の印象が強いですが、実際のところ、北京はじめ、上海も広州もチンタオも果ては海南島、香港まで中国のほとんどの沿岸都市ー一部内陸もーは日本に占領されておりました。

興味ある人はここへ。 



 これは香港の日本軍。イギリス軍を追い出した。

 歴史読本に掲載分の北京の写真も印象的です。
 戦争の写真はけっこう日本の新聞社に残ってます。
 軍に新聞社のカメラマンがついて行って準備万端のところをパチッと撮って、日本の新聞に載せて、国民に戦争に協力してくれ、とやるわけですね。


 で、北京も盧溝橋事件のあと城内では戦闘もなく、日本が占領。
 戦争中の8年間、日本の植民地でした。


 北京に住んでいる方は、地下鉄5号線、旧東城区内の張自忠路駅、降りてすぐの、こんな門の中の……(中は一般参観禁止)。






こんな建物をチラッと見たことがある人もいるかと思います。



これは当時の日本軍司令部。
いつもの中国様なら大騒ぎして「愛国教育基地」にしそうなもんですが、その件はいっさい表示なし。



 中は中国にありがちで、いろんな人が住みついて、壁紙が激しくはがれてて、うわーっと思うすごいシュールな中で、ダンスを踊ってました。前衛です。

 実は北京にはこんなところがかなりあるんですが、あんなに反日を叫ぶ中国様が、なぜ秘密にしているのか……。
 このあたりはぜひ、歴史読本9月号をどうぞ! 


 さてその8年間の日本の植民地北京、戒厳令下で軍人ばかり、というイメージを持ちますが、実際は、全然違ってて、かなり平和で、当時の銀座より繁栄していたと言われてます。

 上海もそうですが、軍より先に中国に行っていたのは、日本の商社、銀行、マスコミ、製造業などです(別に日本だけじゃなくて、当時の列強はみなそう)。


 まず戦争中、北京の日本人は多い時で八万人ぐらいいました(今、1万人ぐらい?)。多くが大企業の駐在員で家族連れ。日本人小学校の生徒が2200人。
 王府井と西単に日本のデパートがあって、鮨屋もある。
 建国門には日本の神社があって、私が見た写真(個人所有)では神社の前を振袖の女の子とか和服の女性がみな平気で笑顔で歩いている。ほかにもラクダと一緒に、和服の母娘がにっこりとか。
 日本人ガイドの観光バスも走ってました……。


 で、民間人も皆さん、裕福で、ごく普通の社員でも居ている間に日本の家の一軒分ぐらいの金が貯めれないような人は無能だと言われてました。
 これは戦後も少し前まで、同じことを言われてましたが、もちろん戦前は事情が違い、軍が通貨の発行や物資もすべて管理しているし、軍をバックに儲かる機会は多い。



日本銀行もありました。

 もちろん財産は終戦時、持って帰れなかった個人が大半です。目先がきく人や情報が入る人は、先に日本に送っておく。

 こういう企業派遣の人にも一応、現地で赤紙が来るんですが、出征は形だけで安全なところにいって、すぐに帰ってくるそうです。

 あの中国で一般日本兵がクリークで泥水呑んで、人殺しさせられて(もちろん自分も殺されてー実際は戦場で鉄砲ってなかなか撃てないらしいです。日中ともに亡くなった方は本当に……)、満州なんぞで農民が凍った大地を割っている間に、同じ国で家族仲良く中国人のお手伝いなど使いながら暮らして、お寿司食べて夜はダンスパーティの世界もあったと。で、お寿司組の話はなんとなく秘密にされると。それが戦争というものだと。

 会社の命で行った当時の一般駐在員に別に罪はない。小金を儲けた人もいるかもしれないが、大半は死ぬような目にあって帰ってこられました。

 ただ戦争時の中国の民間邦人といえば、満州の農民だけを語るのはあまりに亡くなった兵士たちが可哀そうかなと(私の父方の祖父と、母方の大叔父ー河南省で病死ーが含まれます)。



 日本は明治維新で錦の御旗組だった、薩長藩出身の人々に、軍需産業の経営権を渡します。
 江戸時代の豪商と言えば、その大半が商都大阪だったんですが、明治維新後、大きく経済地図が変わります。
 新財閥は戦争のたびに、資本金、倍増。戦後も解体されましたが、またすぐ復活、というのは皆さん、ご存じの通り。


 いや、戦争と財閥、とかいうと、きっとおまえはサヨクか、とかいう、人間は2種類しかいないと思っている人が出てきたりするんですが、ワタクシ、小なりといえどもナニワの老板の娘。社長が才覚があって、雇用を作って社会や社員を豊かにするのは、非常にいいことだと思ってます。
 ただ問題は才覚(努力じゃないよ)がないのに、儲けたい老板(笑)。政府とひっつくとか、国民に大リスクかけて、政府に円安にさせるとか、ついには武器販売をするとかになる。円安で利する輸出産業って広告が多いから、メディアもそこが儲かることを支持することが多い。

 円安で企業益が増えたなんて喜んでいるのは、いかがなものかと。今は多くが先に商売決っていたものの利益が数字のマジックで増えただけで、為替という実態のない超水ものに頼らねばならなくなったほど、世界で日本大企業の実力が落ちている、という風に私には見えます。で、選挙の前に蔵の財産をごく一部企業の利益に注入した。皆が豊かになると言わせた。
 でも別にipadみたいに、みんなが欲しい新しいものを産み出したわけじゃない。力技で輸出品を20%ほどディスカントしただけ(続くかどうかは不明-原料やエネルギーが輸入ならもっと目減りする)。特攻隊と似ている。で、その間に新しいものを産み出せるか、と言ったら、今後、社員が何か発明したら、企業が権利をとりあげる準備をちゃくちゃくと進めている……。優秀な人ほど、モチベーションが落ちる。
 あとは野となれ山となれ。これから大半の人は生活もっと苦しくなると思うけどな。子供の代には蔵は空だし借金の証文ばかり。

 改憲も言われてますね。
 私は100%反対ではないんですが、今じゃないと思う。
 今やっても、じゃ、軍隊増強ということになり、日米の軍需産業が儲けるだけじゃないかと。
 
 え、尖閣の中国様が心配って? だいじょうぶ、彼らは今、先立つモノがないので、戦争なんぞできません。


歴史読本8月号 老北京 天壇

2013年07月09日 | 老北京

今回はメジャーな場所、天壇。
いつの時代も、老外(外国人)に大人気。



 天壇は皇帝様が五穀豊穣を祈る場所でした。下はその儀式の再現。
 美しい空の色は、2000年代前半のものです。このブルーこそが北京藍天(シクシク)。宇宙が近い。
 



 ここで皇帝様が天に御礼を述べると、天はこだましてお答えになったという……、という。その仕組みは行った方はご存じですよね。 
 というわけで、今回のテーマは、
「権力者における、視覚、聴覚&ストーリーによる演出効果」。

 正直いって、中国様はこの方面のプロ中のプロ(笑)。

 4000年の歴史はこのためにあった、と言っても過言ではありません、て、ちょっと過言です。

 今月の歴史読本は満州特集でもあります。
 戦争終わったときって、日本の人口の一割近くが外地(外国、元植民地)にいたんですね……。

歴史読本7月号 老北京 牌楼 

2013年05月29日 | 老北京
 中国のともだちに送るはずだった携帯メール(けっこうディープ)を、まちがえてなぜか大家さんに送ってしまいました……。
 

今回は牌楼です。
牌楼(牌坊)ていうのは、この神社の鳥居みたいなヤツです。


↑これは前門。再建されたものです。




↑これは国子監。昔からあるものを彩色。




↑これは国子監の中の瑠璃瓦の。国子監の西側って、一区域長く非公開で、これもたしか、比較的新しく公開されたもの。

現物は、周りに草が茂り、人の目にあらされていない感じがとても素敵です。
あとお薦めは東岳廟の向かい。瑠璃瓦でこれと似てますが、北京らしいので、ぜひ。
北海公園もたしかいろいろあったけど、私は東四の再建されたのも好きかな。これは何の変哲もないんですけど、通るときに目標物になって、いかにも生活にとけこんでます。


北京だけでなくて、中国のいろんな地域にあります。




これはたしか安徽省ですね。あのへんは科挙合格者も多いので、
それをたたえたのもある。



 今回の、雑誌掲載写真は、北京の牌楼を戦前の日本人が撮ったもの。
 で、調べる過程で中国の、白黒のそれに着色したニセモノを発見。非常によくできてます。

 カシオでもホンダでもソニーでも、中国のニセモノは、

「本物より豊かなラインナップ」「本物より(見かけが)多機能」

 というのはよくありますが、古い写真までそうとは。

 ではクイズ。



 北京で昔、いつも生首のかかっていた牌楼はどこでしょう?

  1.前門
  2.北海公園
  3.故宮の中
  4.東四
  5.ラマ寺入り口
  6.西四
  7.西直門
  8.安定門



 答えは、歴史読本7月号で!

歴史読本6月号 老北京 雍和宮 

2013年04月26日 | 老北京
今回は、北京のチベット仏教(ラマ教)寺院、
雍和宮です。かなり広いです。





ここはいわゆる歓喜仏があるのでも有名なんですが、私が好きなのは唐ka(Thang-ga)。チベット仏教の宗教画です。


 


 でもどうして、北京にチベット仏教のお寺があるのか。

 しかもここって、元は清朝の皇太子の住居なんですね。そんなところに異民族、異教徒の寺院。しかもしばらくは皇帝の別宅とチベット寺院が同居したという、日本ではあり得ないシチュエーション……。

  ではここで質問です。

1  漢族の宗教はなんでしょう。
2  チベット族の宗教はなんでしょう。
3  モンゴル族の宗教はなんでしょう。
4  満族の宗教はなんでしょう。

(複数回答可)



 現代なお複雑な、中国の辺境支配の仕組みを学べるいい場所です。 現代の偽パンチェン様も、ここで法要をいたしました。しかし中国様って、悪事のパターンがいつも一緒てのが、弱点かも。

コスプレ好きだった雍正帝。雍和宮の、もともとの持ち主で、最初にチベット寺院を置きました。

 

ラマ僧姿。        道教姿。





西洋風。キリスト教はすでに来てました。下の人は違う人ですね。


では、もうひとつ質問です。





この仏像の下に埋まっていたものは何でしょう。

1 雍正帝がチベットから奪った宝物。
2 雍正帝が殺した政敵の骨。
3 雍正帝の携帯。
4 雍正帝が指名した跡次の名前を入れた紫檀の箱。


 答えはもちろん、どちらも歴史読本、6月号で!

歴史読本5月号 宦官 

2013年04月09日 | 老北京
 実は北京には、宦官博物館というのがあります。宦官のお墓と併設なんですが、八宝山(北京の火葬場)を超えたさらに辺鄙な場所でした(下は中国らしいこわい模型……)




 尾籠な話で恐縮ですが、宦官というのは臭かったそうです。
 なかなか深ぁぁい話だと思いました。
 男性諸君! 臭くなってはいけない。いるでしょ、宦官くさい人って。気持ちの上で、「つけてて」ね。
 あ、私はあまり下ネタ派ではないんですが、今回はテーマゆえ……。


 宦官は別に中国だけじゃなくて、古代ギリシャとかでも美少年を去勢して、売り飛ばしたりしたそうです。
 遊牧民文化というより、捕虜、奴隷文化なんじゃないかな。ポイントは生殖のコントロールー遺伝子が継承されないことだから。

-->