谷崎光 中国日記  official blog  

北京発! 2018年9月3日で北京在住18年目に突入。

歴史読本9月号 老北京 戦争は誰が儲けて誰がソンするのかー日本軍、北京入城

2013年07月26日 | 老北京
 さて、日中戦争と言えば、満州とか南京の印象が強いですが、実際のところ、北京はじめ、上海も広州もチンタオも果ては海南島、香港まで中国のほとんどの沿岸都市ー一部内陸もーは日本に占領されておりました。

興味ある人はここへ。 



 これは香港の日本軍。イギリス軍を追い出した。

 歴史読本に掲載分の北京の写真も印象的です。
 戦争の写真はけっこう日本の新聞社に残ってます。
 軍に新聞社のカメラマンがついて行って準備万端のところをパチッと撮って、日本の新聞に載せて、国民に戦争に協力してくれ、とやるわけですね。


 で、北京も盧溝橋事件のあと城内では戦闘もなく、日本が占領。
 戦争中の8年間、日本の植民地でした。


 北京に住んでいる方は、地下鉄5号線、旧東城区内の張自忠路駅、降りてすぐの、こんな門の中の……(中は一般参観禁止)。






こんな建物をチラッと見たことがある人もいるかと思います。



これは当時の日本軍司令部。
いつもの中国様なら大騒ぎして「愛国教育基地」にしそうなもんですが、その件はいっさい表示なし。



 中は中国にありがちで、いろんな人が住みついて、壁紙が激しくはがれてて、うわーっと思うすごいシュールな中で、ダンスを踊ってました。前衛です。

 実は北京にはこんなところがかなりあるんですが、あんなに反日を叫ぶ中国様が、なぜ秘密にしているのか……。
 このあたりはぜひ、歴史読本9月号をどうぞ! 


 さてその8年間の日本の植民地北京、戒厳令下で軍人ばかり、というイメージを持ちますが、実際は、全然違ってて、かなり平和で、当時の銀座より繁栄していたと言われてます。

 上海もそうですが、軍より先に中国に行っていたのは、日本の商社、銀行、マスコミ、製造業などです(別に日本だけじゃなくて、当時の列強はみなそう)。


 まず戦争中、北京の日本人は多い時で八万人ぐらいいました(今、1万人ぐらい?)。多くが大企業の駐在員で家族連れ。日本人小学校の生徒が2200人。
 王府井と西単に日本のデパートがあって、鮨屋もある。
 建国門には日本の神社があって、私が見た写真(個人所有)では神社の前を振袖の女の子とか和服の女性がみな平気で笑顔で歩いている。ほかにもラクダと一緒に、和服の母娘がにっこりとか。
 日本人ガイドの観光バスも走ってました……。


 で、民間人も皆さん、裕福で、ごく普通の社員でも居ている間に日本の家の一軒分ぐらいの金が貯めれないような人は無能だと言われてました。
 これは戦後も少し前まで、同じことを言われてましたが、もちろん戦前は事情が違い、軍が通貨の発行や物資もすべて管理しているし、軍をバックに儲かる機会は多い。



日本銀行もありました。

 もちろん財産は終戦時、持って帰れなかった個人が大半です。目先がきく人や情報が入る人は、先に日本に送っておく。

 こういう企業派遣の人にも一応、現地で赤紙が来るんですが、出征は形だけで安全なところにいって、すぐに帰ってくるそうです。

 あの中国で一般日本兵がクリークで泥水呑んで、人殺しさせられて(もちろん自分も殺されてー実際は戦場で鉄砲ってなかなか撃てないらしいです。日中ともに亡くなった方は本当に……)、満州なんぞで農民が凍った大地を割っている間に、同じ国で家族仲良く中国人のお手伝いなど使いながら暮らして、お寿司食べて夜はダンスパーティの世界もあったと。で、お寿司組の話はなんとなく秘密にされると。それが戦争というものだと。

 会社の命で行った当時の一般駐在員に別に罪はない。小金を儲けた人もいるかもしれないが、大半は死ぬような目にあって帰ってこられました。

 ただ戦争時の中国の民間邦人といえば、満州の農民だけを語るのはあまりに亡くなった兵士たちが可哀そうかなと(私の父方の祖父と、母方の大叔父ー河南省で病死ーが含まれます)。



 日本は明治維新で錦の御旗組だった、薩長藩出身の人々に、軍需産業の経営権を渡します。
 江戸時代の豪商と言えば、その大半が商都大阪だったんですが、明治維新後、大きく経済地図が変わります。
 新財閥は戦争のたびに、資本金、倍増。戦後も解体されましたが、またすぐ復活、というのは皆さん、ご存じの通り。


 いや、戦争と財閥、とかいうと、きっとおまえはサヨクか、とかいう、人間は2種類しかいないと思っている人が出てきたりするんですが、ワタクシ、小なりといえどもナニワの老板の娘。社長が才覚があって、雇用を作って社会や社員を豊かにするのは、非常にいいことだと思ってます。
 ただ問題は才覚(努力じゃないよ)がないのに、儲けたい老板(笑)。政府とひっつくとか、国民に大リスクかけて、政府に円安にさせるとか、ついには武器販売をするとかになる。円安で利する輸出産業って広告が多いから、メディアもそこが儲かることを支持することが多い。

 円安で企業益が増えたなんて喜んでいるのは、いかがなものかと。今は多くが先に商売決っていたものの利益が数字のマジックで増えただけで、為替という実態のない超水ものに頼らねばならなくなったほど、世界で日本大企業の実力が落ちている、という風に私には見えます。で、選挙の前に蔵の財産をごく一部企業の利益に注入した。皆が豊かになると言わせた。
 でも別にipadみたいに、みんなが欲しい新しいものを産み出したわけじゃない。力技で輸出品を20%ほどディスカントしただけ(続くかどうかは不明-原料やエネルギーが輸入ならもっと目減りする)。特攻隊と似ている。で、その間に新しいものを産み出せるか、と言ったら、今後、社員が何か発明したら、企業が権利をとりあげる準備をちゃくちゃくと進めている……。優秀な人ほど、モチベーションが落ちる。
 あとは野となれ山となれ。これから大半の人は生活もっと苦しくなると思うけどな。子供の代には蔵は空だし借金の証文ばかり。

 改憲も言われてますね。
 私は100%反対ではないんですが、今じゃないと思う。
 今やっても、じゃ、軍隊増強ということになり、日米の軍需産業が儲けるだけじゃないかと。
 
 え、尖閣の中国様が心配って? だいじょうぶ、彼らは今、先立つモノがないので、戦争なんぞできません。


歴史読本8月号 老北京 天壇

2013年07月09日 | 老北京

今回はメジャーな場所、天壇。
いつの時代も、老外(外国人)に大人気。



 天壇は皇帝様が五穀豊穣を祈る場所でした。下はその儀式の再現。
 美しい空の色は、2000年代前半のものです。このブルーこそが北京藍天(シクシク)。宇宙が近い。
 



 ここで皇帝様が天に御礼を述べると、天はこだましてお答えになったという……、という。その仕組みは行った方はご存じですよね。 
 というわけで、今回のテーマは、
「権力者における、視覚、聴覚&ストーリーによる演出効果」。

 正直いって、中国様はこの方面のプロ中のプロ(笑)。

 4000年の歴史はこのためにあった、と言っても過言ではありません、て、ちょっと過言です。

 今月の歴史読本は満州特集でもあります。
 戦争終わったときって、日本の人口の一割近くが外地(外国、元植民地)にいたんですね……。