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MASQUERADE(マスカレード)

 こんな孤独なゲームをしている私たちは本当に幸せなの?

「フェリシアーノ」誤認問題

2014-04-19 10:09:21 | 洋楽歌詞和訳

 4月18日の朝日新聞と毎日新聞によると、ホセ・フェリシアーノ(José Feliciano)が

交通事故で亡くなったと報じられた。朝日はAP通信から、毎日はロイター通信から

入手した情報のようである。ところで上の2枚の写真で、ホセ・フェリシアーノが

どちらの人物なのか分かるだろうか 普通は分からないのであるが、ホセは

盲目の歌手として有名なのだから、サングラスをしている右側の人物であることは

分かるはずである。ところが朝日も毎日も左側の人物の写真を用いてホセの死亡を

報じている。おかしいと思わなかったのであろうか 普段ならばうっかりしていた

という言い訳が通じるのであるが、日本においては佐村河内守の件があったばかりで、

10歳も違うのだから怪しいと思うべきであろう。ちなみに実際に交通事故で亡くなった

サルサ歌手は左側のチェオ・フェリシアーノ(Cheo Feliciano)である。


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「Get A Horse!」の意味

2014-04-18 13:01:37 | goo映画レビュー

『アナと雪の女王』日本でヒットした背景は「キャラクターと主題歌」への共感(クランクイン!) - goo ニュース

 本編が大ヒットしてしまい、あまり語られることがなくなってしまったことが惜しいほど、

同時上映の短編『ミッキーのミニー救出大作戦(Get A Horse!)』(ローレン・マクマラン監督)

は非常に良く出来ている。それはもちろんスクリーンを内と外を自由に行き来する登場人物

たちのコミカルな動きのみならず、ミッキーマウス、ミニーマウス、クララベル・カウらが

乗っている荷馬車に、自動車に乗ったピートがちょっかいを仕掛けてきて、大混乱するので

あるが、結局、馬の活躍によってミッキーたちがピートをコテンパンにしてしまい、だから

ラストでピートは「馬を飼えよ(Get A Horse)」と言われるのである。


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「霧の中のジョニー」和訳

2014-04-18 00:51:28 | 洋楽歌詞和訳

大瀧詠一さん、死去直前に妻に感謝の言葉 “最期の日”も仕事していた(ORICON STYLE) - goo ニュース
大滝詠一さん『さらばシベリア鉄道』の歌詞
サラバシベリアテツドウ
words by マツモトタカシ
music by オオタキエイイチ
Performed by オオタキエイイチ

Dr. John Cooper Clarke, Hugh Cornwell - Johnny Remember Me

 今更ながら大瀧詠一の「さらばシベリア鉄道」の元ネタとなったジョン・レイトンの

「霧の中のジョニー」(1961年7月発売)を聴いてみるとメロディーやアレンジどころか

詞の内容までそっくりで、今ならばパクリと言われても仕方がないほど酷似している。

以下、和訳。

「Johnny Remember Me」John Leyton 日本語訳

靄がかかりだして雨が降り始め
冷たい風が荒れ地にふぶく時
僕を呼ぶ声が聞こえる
一年前に別れた恋人の声が

(私を覚えている、ジョニー)

信じることはなかなか難しいことだとは分かっているけれど
僕の頭の上にそびえる木々を揺らしながら吹く
風のため息にまじりながら彼女が歌う声が聞こえるんだ

(私を覚えている、ジョニー)

もちろん僕は死ぬまで忘れることはない
僕は彼女の叫ぶ声が聞こえる
「私を覚えている、ジョニー」

いつの日か
僕は僕の本当の恋人の代わりに
別の少女を自分で見つ出すだろうけれど
僕は生きている限り
僕の頭の上にそびえる木々を揺らしながら吹く
風のため息にまじりながら彼女が歌う声を聞くんだ

(私を覚えている、ジョニー)

もちろん僕は死ぬまで忘れることはない
僕は彼女の叫ぶ声が聞こえる
「私を覚えている、ジョニー」

(私を覚えている、ジョニー)

 こうして見ると大瀧詠一以上に松本隆が書いた歌詞に、より深みがあり良くできている。


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『ドラゴン怒りの鉄拳』

2014-04-17 22:36:47 | goo映画レビュー

原題:『精武門』 英題:『Fist of Fury』
監督:ロー・ウェイ
脚本:ロー・ウェイ
撮影:チェン・チンチュー
出演:ブルース・リー/ノラ・ミャオ/ティエン・フォン/橋本力/ボブ・ベイカー
1972年/香港

武術の荒さに伴う謎のカットについて

 今改めて観なおしてみると、主人公のチェン・チェンの師匠の霍元甲(フォ・ユァンジャ)を創始者とする中国拳法を教える「精武館」でも敵役となる日本の空手の道場である「虹口道場」においても、ブルース・リー以外に実際に武道をたしなむ人がいるのだろうかと思うくらいに殺陣のシーンが荒い。特にロシア人の用心棒のペトロフのデモンストレーションは武術というよりも奇術であるのだが、ラストでチェンを銃殺するために外で待ち伏せしていた男たちはペトロフの仇をとるためのロシアのマフィアであろう。
 道場の調理場の料理人のティエンとフェンの会話を外で盗み聞きしたことで霍元甲が毒殺されたことをチェンは知る。実はティエンが日本人であることが分かった時に、ティエンのはだけた胸がアップで映し出され、ティエンが服で隠そうとするのであるが、どのような意図を持ったカットなのか『世界ブルース・リー宣言』(江戸木純著 洋泉社 2010年7月31日)でも確認してみたが、今もって分からない。


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数の水増しを愛する科学者

2014-04-17 00:53:31 | Weblog

STAP笹井氏会見(5完)「弱い部分、慮ることできなかった」…不適切な関係は否定(産経新聞) - goo ニュース
小保方氏 弁護士の電話に涙…理研の笹井氏会見に「申し訳ない」(デイリースポーツ) - goo ニュース

 結局、「STAP細胞」は存在するのかどうか 理化学研究所の笹井芳樹発生・再生科学

総合研究センター副センター長の記者会見に意義があるとするならば、その点がはっきり

するかどうかだったのであるが、笹井芳樹の見解は「STAP細胞は有力な仮説」という

驚くべきものだった。「存在する」と「存在しない」の中間を取ったような「無難」な

ものであるのだが、それならばそれまでの実験やデータは何だったのかということになる。

その笹井芳樹CDB副センター長の記者会見を受けた、小保方晴子ユニットリーダーの

コメントが、「尊敬する笹井先生が、私の過ちのために会見で厳しい質問にお答えに

なっている姿を見て本当に申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。申し訳なさ過ぎて

言葉になりません」なのであるが、「200回以上」と同様に「申し訳なさ過ぎて」という、

数が多ければ良いだろうというような言葉使いがどうも気に障るのである。


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『ウォルト・ディズニーの約束』

2014-04-16 22:58:54 | goo映画レビュー

原題:『Saving Mr. Banks』
監督:ジョン・リー・ハンコック
脚本:ケリー・マーセル/スー・スミス
撮影:ジョン・シュワルツマン
出演:エマ・トンプソン/トム・ハンクス/ポール・ジアマッティ/ジェイソン・シュワルツマン
2013年/アメリカ・イギリス・オーストラリア

『メリー・ポピンズ』の続編が製作されなかった理由について

 『メリー・ポピンズ』に関して原作者のP.L.トラヴァースと製作者のウォルト・ディズニーたちと認識がズレていたように思う。トラヴァースが「アニメ化」を頑なに拒む理由は、『メリー・ポピンズ』の作風とは大きく異なる原作者の過酷なバックグラウンドを抱えた真剣な思いである。だからトラヴァースは例えば、「Responsible(責任がある)」などの単語だけでフラッシュバックして昔を思い出し、ウォルトを初め、ドン・ダグラディやシャーマン兄弟たちが軽いノリでおどけてみせることが許せないのである。
 その対立の「緩衝剤」として専属ドライバーのラルフの存在を見逃してはならない。車イスを必要とする娘の世話をしているラルフは、アルコール依存症の父親の世話をしていたトラヴァースと似たような境遇に甘んじ、お互いを理解するきっかけを作り、その後、ウォルトがイギリスまでトラヴァースを訪ねた際に、面会できた要因の一つなったことは間違いないであろう。
 しかしトラヴァースの意に反して『メリー・ポピンズ』にはアニメーションが含まれていた。チャイニーズ・シアターの試写会で、ウォルトに泣いている理由を問われたトラヴァースは「アニメがあるから」と答える。最初、これは作品に感動したトラヴァースの照れ隠しかと思われたが、大ヒットした『メリー・ポピンズ』の続編が製作されなかったところをみると、トラヴァースは本気で怒っていたのである。


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数字を数えられない科学者

2014-04-16 00:05:07 | Weblog

STAP細胞 小保方氏「複数回、再現性を確認」 「200回成功」実験の一部(産経新聞) - goo ニュース
小保方氏、再現の第三者「理研も認識」…200回超作製も改めて協調(産経新聞) - goo ニュース

 詳細な数字まで正確を期さなければならないということは無いとしても、それはあくまでも

記者会見の時に限るわけで、今回文書を通じて、「平成23年9月頃までに100回以上、

それ以降に100回以上それぞれSTAP細胞を作製したと主張していたが、これらは

実験の前半部分で、後半部分は『複数回確認した』」という説明がおかしい理由は、

実験の前半部分はかなり成功していたが、後半はそれほどでもなかったという事ではなく、

実験に成功しているのであれば、成功したまでの経緯は全てノートに記しているはずで、

成功した回数が「100回以上」とか「複数回」などとアバウトになるわけがないのである。


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『中村一美展』

2014-04-15 12:07:14 | 美術

 国立新美術館において『中村一美展』が催されている。「絵画は何のために存するのか

絵画とは何なのか」という惹句がついているように、中村の作風は、「初期作品」の

「桑畑(櫛形町)」(1976年)や「自画像」(1977年)は正統派の作品として

描かれているものの、すぐにそのような正統派の絵画に疑問を投げかけるような抽象絵画

に転向している。

 中村の作風をとりあえず大まかに理解する方法として、まず「開かれたC型」という

部屋に飾られている「宗達より - ダイアゴナル」(1986年)という茶色い描線で

描かれた小品を見て、その後に、その作品の横に据えつけられている「宗達より」

(1986年)と比べてみれば、「宗達より」は「ダイアゴナル」をベースに大胆に

色彩を施した作品であることが分かる。中村の作品は必ず「骨組」となるような

「斜行グリッド」のようなものがあり、そこに着色することで、絵画の「出自」を

暴く試みのように見える。

 そのアプローチが比較的よく分かる作品は上の作品「存在の鳥 107(キジ)」

(2006年)に代表されるシリーズである。「存在の鳥」という言葉は英語で

「A Bird in its Existence」となり、正確に訳すと「その存在の中の鳥」となる。

つまり鳥が存在するのではなく、「存在」の中の鳥の在り様が描かれているのである。

とても分かりにくいが、上の作品をよく見ると、上で半分に見切れている円を鳥の目と

見なして向かって左側に大きく口を開いて右側に翼を開いている鳥の姿が見えてくる。

作品によっては左下に2、3羽の小鳥が後ろ姿で描かれている作品もあるのだが、

ようするに基本のストラクチャーは同じで、着色の仕方が違っているだけなのである。

意外なことかもしれないが、これはアンディ・ウォーホールのシルクスクリーンの

作品とアプローチとしては同じで、中村はベースとなる骨組を変えずに着色を変えることで、

絵画の成り立ちを探求しているというのが、あくまでも私の勝手な解釈である。


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『神様のカルテ2』

2014-04-15 00:19:41 | goo映画レビュー

原題:『神様のカルテ2』
監督:深川栄洋
脚本:後藤法子
撮影:山田康介
出演:櫻井翔/宮崎あおい/藤原竜也/要潤/柄本明/市毛良枝
2014年/日本

「残酷な天使のテーゼ」について 

 主人公の栗原一止が勤務する信州の本庄病院は「24時間365日」を看板に掲げ地域医療の一端を担うのではあるが、勤務する医師たちには過酷な労働条件が強いられている。そこに一止の大学時代の同期のエリート内科医である進藤辰也が赴任してきて、さらに本庄病院消化器内科部長の貫田誠太郎が末期の悪性リンパ腫で倒れたことも手伝って、家族を顧みることをせずに仕事に没頭してしまう医師のあり方が問われることになる。
 その問題を考えるきっかけとなる出来事は貫田と妻の貫田千代に満天の星を見せるために病院の屋上に2人を連れていき、1分間だけ病院の全ての明かりを消して観賞してもらおうと一止たちが画策した時である。「24時間365日」という赤い電光の文字が消える時、一止たちが身上としていた医療方針は一旦放棄されることを意味し、その間にそれぞれが自分たちの生き方を改めて考えることになる。彼らに明確な答えが見つかったようには思えないが、それは決まりきった答えではなく、お互いが納得しながらそれぞれの新しいライフスタイルを見つけようという密かな誓いを立てるからであり、残酷にも再び「24時間365日」は光りだすのである。
 同じ後藤法子の脚本である『チーム・バチスタFINAL ケルベロスの肖像』(星野和成監督 2014年)と比較するならば、本作の方が出来が良いと思う。


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『チーム・バチスタFINAL ケルベロスの肖像』

2014-04-14 22:43:57 | goo映画レビュー

監督:『チーム・バチスタFINAL ケルベロスの肖像』
監督:星野和成
脚本:後藤法子
撮影:川越一成
出演:伊藤淳史/仲村トオル/桐谷美玲/松坂桃李/西島秀俊/生瀬勝久/栗山千明
2014年/日本

「超能力」を避けるために起こる「不注意」について 

 キーワードとなるケルベロスとはギリシア神話に登場する「三つの頭をもつ冥界の番犬」ということであるが、本作の「ケルベロスの塔」とは日本初となる国際Aiセンターを指し、国と自治体と東城医大の三位一体を表すと同時に、「遺体の最終検査」「犯罪を暴く最初の検査」「遺族にとっての希望の光」の意味となるようだが、「希望の光」を番犬に例えることには無理があるように思う。一方で、ドイツ製の高性能のMRIは「リヴァイアサン(Leviathan)」と呼ばれており、これが旧約聖書に登場する海の怪物(レヴィアタン)を指し、クライマックスにおいて普通のMRIでは写されることはない、ペアン(剪刀)に癒着して絡まる神経線維の比喩として観るならば悪くはないと思う。
 このようなミステリー作品における問題点があるとするならば、事件が解決した際に、犯人がこんな超人的なことが出来るだろうかという荒唐無稽さであり、その点に関するならば敢えて詳細に言及はしないが本作は上手くいっていると思うのであるが、その代わりに別の問題が生じてしまっている。
 事件の発端となる、司法解剖では死因が判別できない前代未聞の集団不審死は「ケルトミン」という新薬に関わった医師の船橋直樹の別荘で起こるのであるが、地下室のある高級別荘に非常口や「セコム」が無いということが考えにくいのである。


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