原題:『Get Out』
監督:ジョーダン・ピール
脚本:ジョーダン・ピール
撮影:トビー・オリヴァー
出演:ダニエル・カルーヤ/アリソン・ウィリアムズ/ブラッドリー・ウィットフォード
2017年/アメリカ
「監禁もの」の今後の課題について
『ベルリン・シンドローム』(ケイト・ショートランド監督 2016年)同様に本作も監禁の物語なのだが、本作は第90回アカデミー賞の脚本賞を獲っている。
確かに精神分析の観点から見るならば、例えば、主人公の黒人である写真家のクリス・ワシントンが恋人の白人女性であるローズ・アーミテージが運転する車で彼女の実家に帰省の途中で、鹿を轢いてしまうのであるが、それはクリスが11歳の頃に交通事故で亡くした母親のことを思い出させる。
車の中でも外に捨てられてしまったようにクリスはローズにタバコを禁じられているのだが、実家についてからもクリスはタバコを吸いたくて仕方がない。しかし例えばタバコが吸いたくなった時に、クリスのコップに使用人のジョージナが飲み物を注ぎすぎたり、真夜中にローズが眠っている隙に、庭でタバコを吸おうとすると庭の管理人のウォルターがクリスに向かって走ってきたりと妨害されてしまい、その直後、そのようなクリスのコンプレックスにつけ込んでローズの母親のミッシーが催眠術をかけてクリスは囚われてしまうのである。
しかし『ベルリン・シンドローム』同様に後半になるとストーリーが雑になってくる。部屋にあった鹿の頭の剥製を武器に脳神経外科医のディーン・アーミテージを殺す時、クリスの、母親に対するコンプレックスの克服を暗示させるところは上手いと思うのだが、クリスがまだ手術台にいないまま開頭手術をディーンが一人でしてしまうところには違和感を持つし、助手が息子のジェレミーかいないのも、パーティーの招待客の人数を思うと不思議で、つまり「監禁もの」は被害者が脱出しなければ成り立たない物語なのであり、例えアカデミー賞の脚本賞を獲った作品であってもどうしても後半になってストーリーが緩んでしまうところに今後の課題が残るのである。