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MASQUERADE(マスカレード)

 こんな孤独なゲームをしている私たちは本当に幸せなの?

『カンガルー・ノート』とピンク・フロイド

2021-06-05 00:59:01 | Weblog

 安部公房が1991年に上梓した遺作とされる『カンガルー・ノート』について論じてみたいのだが、『カンガルー・ノート』に関していち早く論評したのは、1991年の1月号から12月号まで『すばる』で文芸時評を担っていた元早稲田大学教授の渡部直巳で、それはまとめられて『〈電通〉文学にまみれて チャート式小説技術時評』として太田出版から1992年7月に刊行されている。

 渡部の『カンガルー・ノート』の評価は散々なもので、メインとして取り上げられてさえいないのだが、渡部の評価を列挙していくと、「かいわれ大根」を「安部公房が、久しぶりに『安部公房』しているだけ。」、「緑面の詩人」を「先月の小品の『連作』化。先月よりは多少ハイテンポに『安部公房』しているだけ。」、「火炎河原」を「賽の河原に火が立てば、仏の顔も三度まで!」、「人さらい」を「”前衛”の抜け殻がただたんに『もつれ合い、絡み合っている』だけの光景を目のあたりにすることほど、かつての愛読者にとって悲しいものはない。」として「出来れば二度と思い出したくない作品」と総括している。
 しかし「安部公房」という固有名詞を「一流小説家」と解釈するのならば、「安部公房が、久しぶりに『安部公房』しているだけ」でも大したものだと思うのだが、渡部の評価は断片的なもので、具体的に俎上に載せられないのが何とも惜しい。大物を酷評するならば具体的に説明してもらわなければ検証のしようがなく、作家の筆力が落ちたのか、あるいは作家の想像力に文藝評論家が追い付けていないのか分からないのである。
 30年前の作品なので既に論じ尽されている感もあるのだが、小説内で言及される「ピンク・フロイド」を軸に個人的な感想を書いておきたい。
 脛に「かいわれ大根」を生やした主人公そのものがカンガルーの換喩のように見える。つまり「カンガルー・ノート」を主人公が書き記した手帳と見なすのである。

「波のうねりがしだいに幅を狭めてきた。船だろうか? 櫓を漕ぐひそかなきしみ、船縁をたたく水の音。まるっきりピンク・フロイドの『鬱』の出だしとそっくりじゃないか。バンド内の紛争でロジャー・ウォーターズが抜けた後、87年に制作された新グループによる作品だ。ぼくは以前から髭を剃った馬みたいなウォーターズのファンだったから、多少の偏見はあったかもしれない。でも出だしの音色には、昔の雰囲気が色濃くにじんでいて、悪くない。いずれ家に戻る機会にめぐまれれば、あらためて全曲聞き直してみたいものだ。」(p.54)

 第二章「緑面の詩人」からの一節だが、何故急にピンク・フロイドが登場したのかと言えば、その前の文章に「仔豚状の物体」が現れるのみならず、第一章「かいわれ大根」の最後の方でも主人公に向かって中年の警官が尻尾の無い豚の絵を見せるためで、ピンク・フロイドは1977年にリリースした『アニマルズ』のツアーでピンク色の翼を持った豚(Pigs On The Wing)を飛ばしているのである。因みに『鬱』の原題は「A Momentary Lapse of Reason」で意味は「一時的な理性喪失」、俗な言い方だと「瞬間湯沸かし器」で、主人公が聴いている一曲目は「生命の兆し(Signs Of Life)」である。
 最終章「人さらい」において「B」という少女が音楽が聞こえると主人公に言うのだが、主人公には聞こえない。「B」はピンク・フロイドの『エコーズ』のようだと言う。

「妙な符合だ。サーカスは知らないが、『エコーズ』ならぼくの大好きな曲である。夜、神経に逆毛が立って、眠たいのに寝られないようなとき、この曲はけっこう有効なのだ。狂気の静寂ってやつかな。」(p.227)

 ピンク・フロイドの「エコーズ」は下に和訳したように、空と海が融合し、「僕」と「君」も融合するイメージが描写されており、それは『カンガルー・ノート』のラスト、「覗いてみた。ぼくの後ろ姿が見えた。そのぼくも、覗き穴から向こうをのぞいている。」に繋がるものであろう。
 ところで何故「反響(エコー)」なのか勘案するならば、主人公はカンガルーの母親の育児嚢の「内部」にいるからではないかと思う。カンガルーの子供の発育は親の生活環境によって大きく変化し、環境が悪化するならば死をも免れない。つまり子供はどうしようもないのではある。
 著者の遺作ということもあって『カンガルー・ノート』は「死」をテーマにしたものだと言われているが、むしろ「生」の可能性が問われているようにも見えるのである。

「Echoes」Pink Floyd 日本語訳

頭上ではアホウドリが
動きを止めて宙吊りになったまま
珊瑚の洞窟の迷宮の中
うねる波の真下の深みに嵌る
遠い昔からの反響が
砂漠を越えて開毛機のようにきれいにするためにやって来て
全ては青々と整えられて海底のよう

誰も僕たちに陸地の場所を示してくれなかった
誰も場所もその理由も知らないけれど
何かが覚醒し何かが実証する

街を歩く見知らぬ者たちの内二人が
偶然視線を交わし
僕は君であり
僕が見ている者は僕であり
僕は君の手を取って
この大地を経て君を導けば
僕ができる最高のことを理解する助けになるだろうか?

誰も僕たちに進むように呼びかけないし
誰も僕たちに目を伏せることを無理強いしない
話し出す者は一人もいないし
試みるものさえ一人もいないし
太陽を周回する者さえ一人もいない

雲一つない毎日
君は目覚めている僕に出くわし
僕に起き上がるように求め扇動する
そして壁の窓から
朝の何百万という輝く大使たちが
陽光の翼に乗って射し込んでくる

誰も僕に子守唄を歌ってくれないし
誰も僕の目を閉じさせようとしないから
僕はどの窓も大きく開け放ち
空の向こうにいるあなたに呼びかける

Pink Floyd - Signs Of Life (2019 Remix)

David Gilmour - Echoes (Live In Gdańsk)


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