MASQUERADE(マスカレード)

 こんな孤独なゲームをしている私たちは本当に幸せなの?

『暁に祈れ』

2018-12-23 00:56:03 | goo映画レビュー

原題:『A Prayer Before Dawn』
監督:ジャン=ステファーヌ・ソヴェール
脚本:ニック・ソルトリーズ/ジョナサン・ハーシュベイン
撮影:ダヴィッド・ウンガロ
出演:ジョー・コール/ヴィタヤ・パンスリンガム/パンヤ・イムアンパイ/ソムラック・カムシン
2017年/アメリカ・イギリス・フランス・中国

劣悪な監獄に閉じ込められる気分を味わえる作品について

 イギリス人のボクサーである主人公のビリー・ムーアはタイに滞在中に麻薬に手を出したために逮捕されて、タイの牢獄に送り込まれてしまう。環境は酷く、狭い牢獄に密集させられている囚人たちはやりたい放題の上に、タイ語が理解できないビリーは状況が把握できずに途方に暮れているのであるが、それは観ている観客も同様で、英語は字幕が出るのだが、タイ語は訳されないままで具体的にタイ人たちが何を言っているのか全く分からないのである。ビリー同様に監獄に入れられた気分は味わえるとしても、その映像体験が心地良いかどうかは微妙なところである。
 ボクサーの経験を活かしてビリーはムエタイの試合に活路を見いだすのであるが、長年の不摂生やドラッグが祟って血を吐きながらの練習を強いられ、試合には勝利したものの、大量の血を吐いて入院してしまう。
  誰もいない病室で目覚めたビリーは隙を見て病院から抜け出すのであるが、タイの街中をさまよった末に、廃止された線路の両脇に建てられた家が並ぶそのレールの果てしなさを見たビリーは怖気づいたのか気づかれずに病院に戻る。
 ラストでビリーに面会を求めた人物がビリーの父親を演じたビリー・ムーア本人なのであるが、これが演出として洒落ているとしても上手くいっているかどうかは何とも言えないとしても、原題の「A Prayer Before Dawn」が「夜明け前の祈り」と訳せると同時に「A Prayer Before Down」として「ダウン寸前の願い」とも解せると捉えるならば、この「類似」を仄めかす演出は悪くはないと思う。


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