現在、森アーツセンターギャラリーにおいて「テート美術館の至宝 ラファエル前派展」が
催されている。本展覧会ではラファエル前派を「英国の近代美術に新たな道を切り開いた
アヴァンギャルド運動」として捉えて紹介するというコンセプトである。例えば、上の作品、
ジョン・エヴァレット・ミレイ(John Everett Millais) の「両親の家のキリスト(大工の仕事場)
(Christ in the House of His Parents (The Carpenter's Shop))」(1849-50)を
小説家のチャールズ・ディケンズは左手を怪我している息子にキスを求める聖母マリアに
関して「イギリスの安酒場かフランスの安キャバレーにいるモンスターのように醜悪」
として非難している。しかしディケンズのような評価は、それまでの「歴史画」の教養を
持っているからこそ出来る指摘であり、現代の私たちは、そのような「歴史画」の歴史を
知らなければ理解出来ない。つまり、当時の教養人たちが感じた「アヴァンギャルド」感を
私たちが感じることは出来ないのである。
あるいはウィリアム・ホルマン・ハント(William Holmann Hunt)の「クローディオとイザベラ
(Claudio and Isabella)」(1850)において、「歴史画」に精通しているならば、罪を犯した
兄のクローディオに懇願された妹のイザベラが身代りになるという「おとぎ話」として
理解するはずだが、実際は、死刑の撤回を妹に断られて不機嫌なクローディオが描かれて
いるのである。「革命」としてラファエル前派はフランス印象派よりも早いのであるが、
今となって観ると、「歴史画」という教養がなければ、筆致の精巧さは認められる
ものの、印象派のような驚きまでには至らないように思う。