サヴァイヴィング ライフ ―夢は第二の人生―
2010年/チェコ
度々現れるオイディプス
総合 80点
ストーリー 0点
キャスト 0点
演出 0点
ビジュアル 0点
音楽 0点
作品冒頭で、ヤン・シュヴァンクマイエル監督自ら登場して、本作は予算不足で仕方がなく実写映像と写真を使ったカットアウトアニメーションの組み合わせにしたのであるが、アニメーションにすると尺が短くなるから尺を稼ごうとしても、予算不足のために俳優を使えなかったために監督自らがこのようにして出演しているなどの‘告白’をする。結果的に2分30秒の尺しか稼げなかった冒頭シーンの真意はアップが実写で、それ以外をカットアウトアニメーションで構成する本作の独特な演出方法を事前に観客に知ってもらうことだと思う。
2010年のチェコ作品が同年のカナダ作品である『灼熱の魂』(ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督)と同様に、ソポクレスのギリシャ悲劇『オイディプス王』をモチーフにしているにも関わらず、その演出方法が全く異なるだけでなく、視点が‘内向き(プライベート)’と‘外向き(パブリック)’という正反対のベクトルであることも興味深く、『オイディプス王』の普遍性と絶大な影響力に驚かされる。
主人公のエフジェンは夢の中で、最初はエヴァと名乗っていた女性と知り合って起こった出来事の真意を知るために、ホルボヴァー医師に診てもらうことになる。因みにここの見どころは、一人の精神分析医が、考え方が違う‘フロイト派’と‘ユング派’を兼任することは有り得ないことである。‘フロイト派’はエヴァを個人的なセクシャルな無意識として捉え、‘ユング派’はエヴァを男性が共通して持つ無意識人格の女性的な側面であるアニマと見倣す。あくまでも個人的なこととするならばユングは用無しとなり、超自我がナポレオンや梵天を名乗りだし、現実のエフジェンの妻が夢に現れ、「エディプス・コンプレックス」の構図が崩れることになると、フロイトも胸で十字を切って役割を終えるしかない。
エフジェンは『夢を操る』という書籍を購入し、原題通りに「理論と実践」を行なう。因みに最初に書店の主人が手に取ろうとした書籍は『Constitution And Disease(体質と疾患)』(Julius Bauer著)であるが、エフジェンがこの本を購入していれば話はこれ程複雑にはならなかったであろう。
ラストは幼少時に自分が使っていた玩具が原因で父親を殺してしまい、母親との間に子供を儲けてしまったエフジェンが、エフジェニエが切った手首から流れた‘母と妻’の血で染まった風呂水の中で、エフジェニエの手ほどきで、溺れないように必死になって泳ぐイメージで終わる。これが77歳のアートアニメーションの巨匠の男の人生に対する一般真実なのか、それとも個人的な達観なのか私にはよく分らない。
「夫をいじめないで」―民主・田中真紀子氏(時事通信) - goo ニュース
「おいおい慣れてくるのではないか。いじめないようによろしくお願いします」というのが、
田中直紀防衛相の米軍普天間飛行場移設で「年内着工」に言及したことについての批判に
対する、その妻である田中真紀子衆院外務委員長の釈明であり、さらに武器使用基準と
武器輸出三原則の混同に関しても「緊張して、違うことを答えた」と釈明している。確かに、
いわゆる“一年生議員”がいきなり重役を任されたのであるならば、田中真紀子の釈明は
通用することはあるだろうが、衆参合わせて7回も当選している71歳のベテラン議員が
ただでさえ混迷している基地問題をさらに分かりにくくするような発言をすることに対しては
「国民をいじめないようによろしくお願い」しておきたいのであるが、いきなり露呈された
体たらくこそが自民党に所属していた時に大臣になれなかった理由を明かしていると思う。