高校生無頼控
1972年/日本
忌諱された総括
総合 10点
ストーリー 0点
キャスト 0点
演出 0点
ビジュアル 0点
音楽 0点
企画者として寺山修司、中山千夏、赤塚不二夫が名を連ねて、脚本に足立正生と佐々木守がかかわっているならば、当然誰もがその作品の出来を疑うはずはないのであるが、どのような経緯でもってこのような有様になってしまったのか知りたいところではある。
主人公の村木正人は過激派学生だった兄の村木鉄人が警察に逮捕されて、その責任をとる意味で母親が自殺したために、保釈金を稼ぎながら東京へ向かい、保釈させた後に自分の手で兄を斬殺することで死んだ母親の無念を晴らすつもりでいた。この作品が制作された1972年という時期を考慮するならば当然クライマックスは過激派学生の村木鉄人と高校生の村木正人による白熱した議論が戦わせられると期待するのであるが、突然の早瀬卓子の出現によって村木正人はあっさりと兄を赦してしまい、観客の期待は見事に裏切られる。学生運動の総括が何故このような尻窄まりになってしまったのか全く理解できない。結局軟派と硬派の演技のあやふやな沖雅也のアイドル映画以上の価値は見出せないのであるが、この作品の‘挫折’こそが学生運動の‘挫折’のメタファーであるというのならば余りにも深すぎて全然面白くない。
当時、同時上映されていた『混血児リカ』(中平康監督)の方が面白そうだった。
アート作品「バッタもん」 ヴィトン社抗議で展示中止(朝日新聞) - goo ニュース
神戸・六甲アイランドの神戸ファッション美術館を運営する神戸市産業振興財団は
この件に関して「法的に問題ないと考えるが、当館はファッションの振興を目的として
おり、企業と争ってまで展示を続けるのは本意ではない」とコメントしているが、
ファッションの振興を目的としている美術館であるならば「バッタもん」という作品が
「偽造品の販売を肯定する」という訳のわからないことを言っているルイ・ヴィトン社
に対して美術の“伊呂波”を伝授することこそが役目ではないのだろうか? 何故
ルイ・ヴィトン社が「バッタもん」を“商標権を侵害する偽造品で作った作品”と断言
できるのかも謎である。ルイ・ヴィトン社は5月6日付で展示の中止を要請して、
同館は同7日の閉館後に撤去したということはルイ・ヴィトン社に何の反論もせず
言われるがままに撤去した事になる。美術館がこんな腰砕けで成り立つのか